散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

十輪院

2012-04-04 | Weblog
アーケードの商店街や民家の並ぶ通りが「ならまち(奈良町)」と呼ばれていて、観光客らしき
人がふらふら歩いてる。ぼくも、ふらふら歩いてみる。


このようなアーケードを抜けると、民家が並ぶ通りへ

人がふらふら歩くからには、それなりに面白いことがあるはず。キョロキョロあたりを見回すと、
日本一の耳かきを製造販売していたり、塩麹を包みに入れて売ってたり、謎の民芸品(?)を
軒先にたくさん吊るしたり、なかなか楽しい(……のかな?)。


派手めな神社、発見~!

さすが古い町だけのことあって、ごくふつうに「御霊神社」なんていう、怖いものが建ってる。
もちろん説明を読んでも、あたりさわりのないことしか書いてない。


八神をお祭りしています……そこが怖い

御霊神社の御霊は、政争に巻き込まれたり、無実の罪を着せられて憤死あるいは悶死した
怨霊があばれるのを鎮めるために神社を建てました……ということをあらわす御霊だから、
この八神はみんな怨霊だったわけです。


ためしに調べてみればわかること

井上皇后、他戸皇太子、早良親王、藤原大夫人、藤原廣嗣、伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿、
みんな讒言にあって世を呪いつつ死んだはず。チョーこわ~い! ふらふら歩きを続けると?


十輪院という、鎌倉時代の建物が残るお寺

いろんなのがあるね。むかし遣唐使が、唐で女の人に子を産ませたものの、日本に帰るときが
きてしまい、「必ず次の遣唐使に伝言を託すからね。そして子供を迎えに来るから」と言い残して
帰国したまま、すっかり忘れてしまった。女の人は忘れずに「遣唐使だれそれの子です」という
木の札をわが子の首につけて海に放り込むと、魚がその子を養って日本まで運んできた!


なかなか、いい感じのお寺ですな……

それを遣唐使がひろって、自分の子だと認知して、魚に養われてきたから「魚養」となづけた。
魚養はめちゃくちゃ字がうまく、弘法大使はこの魚養の弟子にあたるとか。


その魚養の塚がこちら

ほんとかな~? ほんとなわけがないよね~! ほんとだったらビックリしちゃう~(笑)
それにしてもこの十輪院、石の仏が多い。




だんだん古いのになると溶けそうになってくる……

十輪院を出てふらふら歩きだすと、すぐまた公園に石碑のようなものがある。近くに寄って
字を読むと、「狂言大蔵流 宗家屋敷跡」って刻まれてる。


ごく普通の公園だけど

狂言大蔵流十二世が、豊臣秀吉からこの地を拝領して屋敷を建て、二十二世まで住んだと
説明してある。なんのことやらピンとこないけど、なんかすごいね。
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