散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

尾張宗春墓所

2011-08-04 | Weblog
「米将軍」と皮肉られている徳川吉宗の倹約・増税のばかばかしさに異をとなえた尾張藩主、
徳川宗春の墓をたずねて、名古屋市千種区の平和公園にやってきた。

地下鉄東山線の星ヶ丘駅でおりて、市営バスを待ち、平和公園(バス停がいくも園内にある)
で適当におりる。


広すぎて、わけがわからない

敗戦後、名古屋市内のお寺から墓という墓を移して、平和公園に10年もかけて集めた結果が
この巨大な霊園だ。徳川御三家・尾張藩主の菩提寺、建中寺の墓も移されている。


地図の写真を撮る人

こうでもしないと絶対、迷う。よく見ると、墓は移される前の寺ごとにまとめて並んでいる。
建中寺の墓は……っと。なんか高い塔をまわりこんだ一角にあるらしい。


ねじりん棒みたいな塔

このまわりをグルグル、グルグル歩いてみたら……あった。「建中寺墓苑」と刻まれた石碑。
ここを探せば、きっと尾張宗春の墓が見つかるはず。


「建中寺墓苑」

もともと土葬だったけど、ここに移されるとき火葬しなおして、副葬品の類は建中寺で保管
しているとか。宗春は吉宗に睨まれて生前は蟄居させられ、死後は墓に金網をかけられた
というからひどい。 (さすがにもう金網は外されているだろう)


…………どれ?

いっそのこと金網かけてあれば一目瞭然なんだけど、いまは金網がないからわかりにくい。
尾張名古屋を繁栄にみちびいた名君なので墓石がいちばん大きいのを探せば、きっとそれが
徳川宗春だと思うけどね。

 
これかな?

なんて書いてあるか全然わからないけど、いちばん大きい。だからこれに決めた。なあに、
違ったところでかまうもんか。敗戦前に焼夷弾の直撃を受けて、墓石の一部が損壊した
そうだけど、そのあとで修復したのさ。 (たぶんね)


名古屋市のHPの写真

かたちが合っているから、やっぱり尾張宗春の墓でよかったみたい。焼夷弾で壊れたところ、
うまく直してある。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする