![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/6d/bb9ec891673bed09a8ded0fced78369f.jpg)
大森駅で電車を下りて、お昼だけやってるカレーの店に久しぶり行く前に、ちょっと神社で絵馬を見て
お腹を空かせようと思ったのが間違いの元です。道に迷ってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/57/5e76f4860011fef59baebd76e5af35bf.jpg)
馬込のあたりは坂だらけ
あとで知ったことですが、このあたりは昔から九十九谷と呼ばれたそうで、谷と丘が複雑に入り組んだ
ややこしい土地です。道も曲がりくねって、どこにつながるか感覚的につかみにくい。ずんずん進むと、
あらぬところへ出てしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/de/dbbf481ebd3f9f488195223332c31599.jpg)
ここは萩原朔太郎が住んでいたところらしい
“私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の「錯誤」に過ぎないといふことを。”……
といった語句がある朔太郎の散文詩を、坂だらけの馬込で迷うと思い出します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0c/0513f549c5971396817301d3095bf306.jpg)
まさか当時とおなじ建物ではないだろうけど
昭和のはじめの住居がそのまま残っているとは思えませんが、場所はここなのだそうです。パリとかだと、
おなじ場所におなじ建物があっても不思議じゃないどころか、むしろ当然といえるかもしれないですけど、
東京ではそんなこと望むべくもない。文化の違いですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/26/df6cbfae62775939e2b45cf768ace3df.jpg)
川端康成と石坂洋次郎はご近所さんだったのか
ごく普通の住宅地の路地に、ひょっこりプレートが出ているから、まさしく犬も歩けば棒にあたるように
馬込を歩くと文士の住居にあたる。“馬込文士村”っていう言葉もあるくらい。だけど、“村”と呼ぶには
まばらに点在していて、ひとかたまりになっていない。探せば迷う。迷えばあたる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c5/36073d0980672a674110086f9e73d79c.jpg)
あやしい人を見たらすぐに110番……
このマンションがあった場所に、どんな建物かわからないが、川端康成と石坂洋次郎が住んでいたらしい。
たぶん同棲していたわけじゃなくて、きっと別々に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/78/464e0547fad14e1b70d8dbf154682b75.jpg)
しかし、ほんとに坂だらけ
関東大震災のあと、とてもじゃないけど都心に住めなくなって、大根畑と雑木林に囲まれたこの九十九谷に
だんだん大勢の人が住みだした……そのなかに文士も多かった、ということかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/2d/6ff56db3133ef70b584ee0e91c2ad350.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/cd/03e02033ceaae809b347b4f60b02170a.jpg)
衣巻省三という人は知らないけど、裕福でダンスを文士に広めたらしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/af/0597f7b29c1842afdcbd926dffabd037.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/65/0ab0aa1986cfdb5eccc53bd6e39904e6.jpg)
ともだちの稲垣足穂も、ここに転がり込んでダンスを踊ったりしたそうな
バスが通ってる臼田坂という坂のまわりに、萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎、稲垣足穂、衣巻省三らが
ぽつりぽつりと住んでいた。その先に尾崎士郎と宇野千代の夫婦が住んでいて、馬込に画家や作家や詩人が
集まりだしたのは、尾崎士郎の声がけもあったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cf/8fab4c8f0f3a354d296ba63ff9eefbf0.jpg)
尾崎士郎と宇野千代がなかよく住んでいたところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/3d/f2a3545dfa2543f5395032d64278e760.jpg)
いまはこんなふうになっている
カレーを食べにきたはずが、なんで作家の住居跡めぐりに。馬込というのは、おそろしいところだ……。で、
たまたま小林古径という人と、室生犀星の家があったところも通りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/30/c624f684cc20953fb6809416481bc116.jpg)
小林古径の住居跡は公園と児童館になっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/12/67b9c46b7aca93a9c5a1080685250333.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a7/5d0e013858685f4d250127925ca6d5a0.jpg)
室生犀星の住居跡はアパートになっていて、看板のところに猫がいる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f2/9dbe9f3dce019437ce3f3c1dfd68c70c.jpg)
猫アップぎみに写しておきました。 おわり
お腹を空かせようと思ったのが間違いの元です。道に迷ってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/57/5e76f4860011fef59baebd76e5af35bf.jpg)
馬込のあたりは坂だらけ
あとで知ったことですが、このあたりは昔から九十九谷と呼ばれたそうで、谷と丘が複雑に入り組んだ
ややこしい土地です。道も曲がりくねって、どこにつながるか感覚的につかみにくい。ずんずん進むと、
あらぬところへ出てしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/de/dbbf481ebd3f9f488195223332c31599.jpg)
ここは萩原朔太郎が住んでいたところらしい
“私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の「錯誤」に過ぎないといふことを。”……
といった語句がある朔太郎の散文詩を、坂だらけの馬込で迷うと思い出します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0c/0513f549c5971396817301d3095bf306.jpg)
まさか当時とおなじ建物ではないだろうけど
昭和のはじめの住居がそのまま残っているとは思えませんが、場所はここなのだそうです。パリとかだと、
おなじ場所におなじ建物があっても不思議じゃないどころか、むしろ当然といえるかもしれないですけど、
東京ではそんなこと望むべくもない。文化の違いですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/26/df6cbfae62775939e2b45cf768ace3df.jpg)
川端康成と石坂洋次郎はご近所さんだったのか
ごく普通の住宅地の路地に、ひょっこりプレートが出ているから、まさしく犬も歩けば棒にあたるように
馬込を歩くと文士の住居にあたる。“馬込文士村”っていう言葉もあるくらい。だけど、“村”と呼ぶには
まばらに点在していて、ひとかたまりになっていない。探せば迷う。迷えばあたる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c5/36073d0980672a674110086f9e73d79c.jpg)
あやしい人を見たらすぐに110番……
このマンションがあった場所に、どんな建物かわからないが、川端康成と石坂洋次郎が住んでいたらしい。
たぶん同棲していたわけじゃなくて、きっと別々に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/78/464e0547fad14e1b70d8dbf154682b75.jpg)
しかし、ほんとに坂だらけ
関東大震災のあと、とてもじゃないけど都心に住めなくなって、大根畑と雑木林に囲まれたこの九十九谷に
だんだん大勢の人が住みだした……そのなかに文士も多かった、ということかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/2d/6ff56db3133ef70b584ee0e91c2ad350.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/cd/03e02033ceaae809b347b4f60b02170a.jpg)
衣巻省三という人は知らないけど、裕福でダンスを文士に広めたらしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/af/0597f7b29c1842afdcbd926dffabd037.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/65/0ab0aa1986cfdb5eccc53bd6e39904e6.jpg)
ともだちの稲垣足穂も、ここに転がり込んでダンスを踊ったりしたそうな
バスが通ってる臼田坂という坂のまわりに、萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎、稲垣足穂、衣巻省三らが
ぽつりぽつりと住んでいた。その先に尾崎士郎と宇野千代の夫婦が住んでいて、馬込に画家や作家や詩人が
集まりだしたのは、尾崎士郎の声がけもあったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/cf/8fab4c8f0f3a354d296ba63ff9eefbf0.jpg)
尾崎士郎と宇野千代がなかよく住んでいたところ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/3d/f2a3545dfa2543f5395032d64278e760.jpg)
いまはこんなふうになっている
カレーを食べにきたはずが、なんで作家の住居跡めぐりに。馬込というのは、おそろしいところだ……。で、
たまたま小林古径という人と、室生犀星の家があったところも通りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/30/c624f684cc20953fb6809416481bc116.jpg)
小林古径の住居跡は公園と児童館になっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/12/67b9c46b7aca93a9c5a1080685250333.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a7/5d0e013858685f4d250127925ca6d5a0.jpg)
室生犀星の住居跡はアパートになっていて、看板のところに猫がいる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f2/9dbe9f3dce019437ce3f3c1dfd68c70c.jpg)
猫アップぎみに写しておきました。 おわり
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