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歩くことが唯一の趣味ですから。

大坂城

2012-07-28 | Weblog
大坂城って行ったことあったっけ? あるような気がするけど、ほとんど何も覚えてないということは、行ったこと
ないのとおなじ。ディテールはともかく、江戸城をはじめ、この何年かで訪ねた他の城と規模をくらべてみたくて
くそ暑いさなか大坂城へ。

といっても、この城は何度も焼けたり、破壊されたりしているから、もとのカタチはとどめていない。浄土真宗の
石山本願寺を織田信長が11年かけて攻め、手に入れたのはいいが本能寺の変で命を落としたから、豊臣秀吉
が遺志を継ぐように大坂城を築いた。そのとき天守閣の外壁は黒地だった。岡山城みたいな感じ。


黒い! 黒いでござる~

「大坂夏の陣図屏風」に描かれた大坂城の天守は、黒地に金の飾りが引き立つ。しかし、豊臣家がこの城と共に
滅ぶと、徳川家康がすっかり焼きつくして土の下に埋めてしまった。天下を取った家康は、秀忠に位を譲ったあと
天下普請で諸国の大名に命じ、豊臣時代を上回る規模の大坂城を築かせた。現在の掘割はそのときのもの。


これが外堀で、江戸城の内堀ぐらいの感じ

大名に工事させて財力を殺ぐのが目的だから、天下普請の城は規模が大きい。けれども、江戸城の外堀が、ほぼ
いまの外堀通りに重なることを思うと、江戸城の巨大さは大坂城の比じゃない。家康って、えげつない。


大手門も、江戸時代の遺構らしい

幕末に官軍が接収すると天守が焼けて、また大坂城は灰になった。昭和の初め、徳川の土台に豊臣の天守を再建
するようなカタチで現在の大坂城ができたが、豊臣の天守は黒かったから、いまの大坂城はオリジナル。


昭和の大阪市民の大阪城や!

空襲でもかろうじて焼け残り、ジェーン台風に襲われても何とか持ちこたえて、いまも「どんなもんじゃいシャーオラ!」
とばかりにそびえたっている。


大阪万博のときに埋めたタイムカプセル


5000年後の人類に何か伝えるつもりらしい

なんという雄大な発想! 1970年の日本人は、まだ未来に夢を見ていたことが推測できる。あれから42年、もはや
だれも5000年後に希望なんて抱けなくなってしまった。


内堀の外は公園で、その向こうはビル群

ちなみに5000年前は縄文時代だったから、タイムスパンでいうと考古学的な発掘を期待してカプセルを埋めてる。
縄文人が縄文式土器にメッセージを託して土に埋めるのと、だいたいおなじ……? ロマンチックだ。


もうひとつ発想が雄大で、ロマンチックなものが大坂城に!

石垣に面した男子トイレが半ばオープンになっていて、まるで石垣に向かって立ち〇ョンしているみたいな感じ
になる設計。こういうのって大阪ならでは、じゃないかと思う。
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