散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

米沢

2010-10-09 | Weblog
米沢では、狐が嫁入りしていた。

駅前からヨネザアド号という巡回バス(右回りが青、左回りは黄色)が出るところだったので、
ともかく乗り込んだ。料金は200円均一。


一日乗車券は500円だよ。

御廟所西口でバスを降りる。そこに、上杉謙信から12代まで歴代の当主が眠る「上杉家御廟所」がある。
謙信、景勝、定勝、綱勝、綱憲、吉憲、宗憲、宗房、重定、治憲、治廣、斉定、以上の12代だけど、
なんだか4代目ぐらいから徳川家の将軍の名前を一字もらってるような感じ?


整然と左右対称に並んだ廟に眠る。

初代の上杉謙信を中心に、歴代当主が左右対称に並んで眠っている。謙信以前の人がいないのは、
もともと謙信(長尾景虎)の主君の国だった越後が、下克上で謙信のものになったところから、
この上杉家が始まっているから。


中央に眠る上杉謙信。

上杉謙信は越後で生まれて越後で死んだ。後を継いだ景勝は、豊臣秀吉の天下では五大老の一人に
なったけど、越後から会津若松に転封になった。さらに関が原の合戦で、徳川家康の天下になると
米沢に転封されてきた。会津では120万石、米沢は当時30万石だった。


奥が謙信、手前左が景勝。右は定勝。

石のベンチに腰かけて休んでいたら、隣に座ったおじいさんが誰かに説明しているのが聞こえた。
5代目の当主のとき、米沢藩は30万石から15万石に減封された。だから、その後は廟の造りが
簡素になっているし、廟と廟の間隔も半分になっていると。


謙信を祀る上杉神社。

下克上によって一代で名家となった上杉家が、泰平の世にゆっくり日没していくような、12代の物語。
第10代の治憲は、「成せばなる成さねばならぬ何事もならぬは人の成さぬなりけり」でおなじみの
上杉鷹山だけど、倹約したところで藩の財政を根本的に立て直すことは結局できなかった。


上杉鷹山の銅像。

経費を減らせば何とかなる・・・成せばなる成さねばならぬ何事もならぬは人の成さぬなりけり・・・
という考え方は、江戸時代すでに時代遅れだった。


「米沢牛の恩人」チャールズの碑。

文明開化の世の中になると、まもなくチャールズ・ヘンリー・ダラスが米沢牛を紹介してくれた。
とくに畜産の指導をしてくれたわけでもなく、「米沢ビーフ食ったら激ウマで超ヤバイよ!」
って、横浜でウワサを広めてくれたらしい。コックに米沢牛を仕入れさせて食べたことは
「米沢牛の恩人」と呼ぶに値するみたいなことが碑文になっていた。


せっかくだから食べたよ。
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