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歩くことが唯一の趣味ですから。

ネパール

2020-01-03 | Weblog
もうすぐヒマラヤに日が昇る。半年に一度ぐらい明細がまとめて届いたときに思い出すだけなので忘れてた。
20年前から毎月5000円ネパールの子供に寄付してる。せめてもの罪滅ぼしで、基金に寄付を申し込むときに
子供は選べないが国は選べる。一生行くことがなさそうな国にしようと思い、ネパールとペルーで迷った末
ネパールにした。ペルーには結局2016年に出かけたし、ネパールにも今回うっかり来てしまった。



寄付を受け取った子供に会いに来たわけじゃない。会うことは禁じられている。基金を通じて文通することは
可能だけど、住所も知らないし恩に着せるつもりがないので会いたくない。子供が自活できる年齢になったら
基金がネパールの別の子供を選んで寄付を生活に役立てる。井戸を掘ったり、学費にしたり、そんなことだ。
20年も続けていると子供も3人、4人と変わる。最初の子はランクマー・ウラオンくん。2人目から名前さえ
覚えてない。要するに無関心なのだが、どんな国か見てみようと思って瞬間移動してきた。



成田から香港まで5時間、香港で乗り換え待ち5時間、香港からカトマンズまで5時間。あわせて15時間の
瞬間移動の記憶はない。読書してるか寝てるか飲んでるか。関空からの直行便は8時間だそうだ。成田から
もうじき直行便が開通するというので、つぎに機会あればそっちのほうが楽だろう。1980年代には直行便が
あったらしい。なんでなくなったんだろう。



朝日がヒマラヤ山脈に映える。7000m、8000mを超える山々が冠雪して美しい。その手前の黒っぽいとこに
5000m、6000mを超える山々が連なり、ヨーロッパのアルプス山脈より高いのだが7~8年ほど前から冠雪
しなくなった。地球温暖化のせいでヒマラヤの雪が消えつつある。初めて見るから美しいと思うが、以前に
見たことがある人はショックで言葉を失うらしい。知らないというのは幸せなことだ。



カトマンズ盆地の東の端のほう、ナガルコットという土地でヒマラヤを見てる。2000mを超える高地だから、
日本だったら冬場は寒くて仕方ないはず。防寒の装備を整えてきたのに、ネパールは亜熱帯だから寒くない。
ダウンに似た機能素材で、水に強くて暖かい光電子プリマロフトという素材のジャケットを町に置き忘れたが
フリースかなんか1枚羽織れば大丈夫だ。帰国後、仕事で庄内に行く用事があるが、そっちのほうがよっぽど
寒いんじゃないだろうか。おしんのしんは辛抱のしん。南国ネパールはそういう気候じゃない。



バナナにリンゴ、ミカン、パイナップル、マンゴー、スイカ、ココナツ、メロン……フルーツ国ネパールだ。
ヒマラヤを超えた北のチベットが極寒の地で、ハダカムギをヤクのバターで炒めたものと、ヤクの肉の生食が
伝統的な食べ物だったのと比べるとネパールは食が豊かだ。貧困のイメージと違う。



カレーの具は野菜か豆だが、ダルバートやターリーには鶏、豚、山羊、魚などが添えられる。インド料理店と
して日本の津々浦々で営業してる店の多くはネパール人がやってるそうだから、中国料理に席捲されて特徴が
わかりにくいチベットの食に比べて、ネパールの食は特徴が立ってる。ブロッコリー、カリフラワー、トマト、
キュウリ、ゴーヤ、オクラ、ピーマン、高菜など野菜がいっぱいでやさしい。



豆腐もある。釈迦はネパールのルンビニに生まれて、厳しい仏教(たぶん上座部仏教のこと)は東南アジアへ。
やさしい仏教(たぶん大乗仏教や密教)はチベットや中国や日本へ伝わったとネパールの人たちは思っていて、
自分たちの国がルーツだと考えている。多くの寺院は仏教とヒンズー教が混淆しているが、その様子は日本の
寺や神社と似ている。日本の寺社には仏教と共にヒンズー教が入ってる。外国の侵略を受けてないのも自慢で、
そんなことが誇りなのも日本そっくり。小さな国だがバリエーションが豊富で古い伝統を守る。



全然ちがうようで、どこか似てる。何かというと両手を合わせて挨拶するのも、はにかみがちで控えめなのも。
ところで左手は不浄だから食事はもっぱら右手で行うというのが本当かどうか、ものを食べる人の様子を注目
すると左手をガンガン使って食べてる。どういうことなんだろう?



ネパールでいちばん古いヒンズー教の寺院は3000年前の創建だという話だけど、本当かなあ。釈迦が2500年前
なら、その前に寺院ぐらいあってもおかしくない。しかし、いまあるような寺院じゃないだろう。神社の彫刻
が立派で細かい。つい神社と書いてしまうくらい、ヒンズー教の寺院は日本の神社っぽい。



どこにでも必ずある、リンガと称する男性器と女性器の象徴。これなんかも日本の神社を回るとあちこちに
転がってる。天満宮によくある牛の背中をなでる像なんか、そのまんまヒンズー教の神像だし、日本の古寺
には動物に乗った仏像がよくあってヒンズー教にしか見えない。千手観音も仏教よりヒンズー教だ。



カトマンズの市内にはクマリと呼ばれる生き神の館があって、いまも少女が生活してる。生き神は館の外に
出ないので、ときどき家族や友達が会いに来る。たまに窓から顔を出す。イヤそうな顔をして金色の窓から
こっちを見下ろすクマリを、たまたま見た。運がよかったのかどうか。



写真撮影厳禁なので、他の寺院に飾られていたクマリの写真を。こんな感じのメイクをした少女が館の中で
お世話係にかしずかれて生活している。生き神は現役だけど、王様はいなくなってしまった。カトマンズの
盆地には3つの旧王宮があり、それらは同じ王家の3兄弟の家系だった。18世紀にゴルカ王朝のプリティビ・
ナラヤン・シャハ王が盆地を統一した。



これがその王様。すごいヒゲ。それから王政が続いたが、2001年に王家の虐殺事件が起きた。寄付を始めた
ばかりだから覚えてる。当時の皇太子が銃を乱射して、国王夫妻と長女、次男、末弟など9人を殺害。その
直後に皇太子が頭部に銃弾を受けて重体になっているのが見つかり、重体のまま即位。2日後に逝去して、
事件のとき偶然ポカラという場所にいたギャネンドラ王子が国王になった。怪しい。



鎌倉幕府の3代将軍、実朝を殺害した公暁が殺されて「死人に口なし」となった件に似てる。傀儡にしたい
誰かさんがギャネンドラ王子をポカラに避難させて王家を始末したのではないか。恒例行事ということで、
その場にいたギャネンドラの息子だけ無傷だったのも怪しいとネパール国民の多くが首をかしげた。写真は
濡れ衣を着せられたのではないかと同情を集めている、事件後に重体で即位してすぐ逝去した国王。



旧王宮の回廊には初代から、銃乱射後即位して逝去したこの王までのパネルが飾られていた。難を逃れた
ギャネンドラは王になったのに飾られてなかった。2001年の悲劇のあと、2008年に王政が廃止され旧王宮
は博物館になったが、2015年の地震で倒壊しそうになり博物館は閉鎖。いろいろあったんだな……。



カトマンズ盆地の3つの旧王宮の遺跡や寺院をめぐると、たしかに地震で倒壊して現在修復中のものが多い。
ネパールはおよそ70年か80年おきに大地震に襲われるという。日本と一緒じゃないか。どこまで似てるんだ。
政治的に他国の傀儡というところまで、もしかしたら同じなんじゃないか?



遊覧飛行の飛行機に乗ってヒマラヤを空から見ることにした。寺ばかり見るのに飽きてきた。三浦雄一郎氏は
80代でエベレスト登頂にチャレンジしたが、自分は生涯そんなチャレンジしないだろう。エベレストのことを
現地語でチョモランマというから、なるべくチョモランマと呼べって聞かされたものだが、チョモランマは
中国側(チベット)の呼び方だからネパールでは使わない。ネパールではサガルマタという。



これにしたって黒いところが本来なら冠雪してるはず。グローバル・ウォーミング(地球温暖化)の影響やら
グローバリズム(悪い意味で)の影響が、ネパールにも日本にも押し寄せていることだ。2019年の10月を境に
日本人観光客がめっきり減った。乾季で観光シーズンなのになぜだろう、とネパールの人が首をかしげている
けれど、それは消費税増税のせいだと思ったことだ。地球は丸いなぁ。夕日が沈む。



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