特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

女心

2024-06-13 05:35:35 | 遺体処置
女性は、「常にきれいでありたい」と思う生き物だろうと思う(男の偏見?)。

私は、遺体がどんなに年少でも高齢でも、原則として、女性遺体の服を着せ替えたりはしない。
私にとっては、ただの「死体」でも、遺族にとっては、それは愛する母・姉妹・娘だったりするのだ。
死体とはいえ、どこの馬の骨とも知れない男が女性の服を着せ替えることは、遺族にとってもあまり心地いいこととは思えないからである。
しかし、遺族も私もそんなことを言っていられない切迫した現場もある。

「敗血症」という病気がある。
調べたものを簡単に転記すると「連鎖球菌などの病原菌が体内の病巣から絶えず血中に送り出され全身的な感染を起した状態の重症感染症」とある。
私は医者でも科学者でもないので敗血症について直接的な理屈は吐けないのだが、専門家から学んだりして少しは知識も備えている(安全に仕事をするために必要)。

ある20代の女性が病死した。
私が現場に出向いたのは亡くなった翌日。
遺体はバンバンに膨れ上がり、体表には無数の水疱。
元の身体の2倍どころではなく3~4倍くらいに膨れ上がり、それぞれの水疱には黄色や橙色の体液が溜まり、皮が破れて体液が布団の外にまで染み出していた。
そして、その体液が悪臭を放っていた。

遺体の傍には母親一人が付き添っていた。
遺体の変容ぶりに母親は明らかに戸惑い困惑していた。
「昨日の夜は生きていたときと同じ姿で、まるで眠っているようだったのに・・・」と、やり場のない悲しみと憤りを誰にぶつけていいのか分からないまま何度も繰り返していた。
その気持ちはよく分かった。
普通だと数日かかるような変容(腐敗)がたった一夜で起こった訳だから、母親の気が動転しているのもうなずけた。

とにかく、その場は遺体処置を優先せざるを得ず、遺体を女性として尊重する余裕はなくなった。
もちろん、浴衣を脱がせる事などは母親にも了承してもらった上で作業。
このような遺体の数は少ないながらも、極めて珍しいと言う程でもないので、作業自体は大変ながらも経験域内の段取りで済んだ。
作業中も、母親は誰に話し掛ける訳でもなく、独り言のように同じセリフを繰り返していた。
そして、「見て下さい。こんなに可愛いらしい娘だったんですよ。」と故人が生前に元気だった頃の写真を持ってきて私に見せた。
確かに、母親の言う通り、そこには美人というか可愛らしい娘さんが写っていた。
しかし、現実に私達の目の前にある遺体は生前の面影も全くなくなり、見るに耐えない姿に変わってしまっていた。それも、たった一晩で。

母親には余命が分かっていた上での看病生活だったらしい。
したがって、娘の死を受け入れる準備は少しずつ整えていた。
看病しながらも、断腸の思いで娘の死を受け入れるだけの心構えはつくってきた。
だから、娘が逝ってからも比較的冷静にいることができた。
そして、想像していたのは娘の安らかな死顔と悲しくも平安な別れ。

母親にとって遺体の変容は全く予期していなかった現実。
そんな現実に対抗できるほどの心構えは微塵にもつくっていなかった。
遺体の変容は、母親に大きなショックを与えていた。
心構えが皆無だった分、そのショックは死よりも大きいものだったかもしれない。
娘との別れに二重に遭遇した感じで。

うまく表現できないけど、娘の死は母親に悲しみと同時に安らぎも与えたように思った。
しかし、その安らぎもつかの間、追い討ちをかけるように遺体が変容し、最期の最期まで母親を苦しめ悲しませる・・・。
残念ながら、誰にも遺体の姿を元通りにすることはできないのも現実。

普通は、遺体は柩に納まっても顔だけは見えるようにする。
しかし、この現場では顔も何も見えないように柩に納めた。
故人の気持ちを察するに、「醜くなった姿(故人や遺族には失礼な表現だが)を人前に曝されたくはないのではないか・・・」と考え、その提案に母親も同意した次第。
「女心」というものはそう言うものではないかと勝手に思った男(私)であった。


そして、何の助けにもならなかったかもしれないけど、私なりに思ったことを最後に母親に伝えて現場を引き揚げた。
「身体はあのようになっても、娘さんの魂は生前と同じように綺麗なままだと思いますよ」と。


トラックバック 2006/07/13 07:44:39投稿分より
真心こめた湯灌サービス専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ま、間違えたーッ!

2024-06-12 05:49:44 | 遺体搬送
遺体搬送業務の話。
もう随分と前のこと、遺体を自宅から葬儀式場へ搬送する依頼が入った。
病院へのお迎えは「今すぐ」という依頼がほとんどだが、自宅へのお迎えは事前に時間を決められているケースがほとんど。
時間厳守も礼儀のひとつ。到着時間に余裕を持って連絡された住所へ車を走らせた。
当時はまだカーナビはほとんど普及しておらず、いつも縮尺一万分の一地図を使用して目的地に行っていた。それで、大きな支障はなかった。

指定された地番に依頼者名の入った表札を見つけるのは容易だった。
インターフォンを鳴らすと、家の中から初老の女性が出てきた。少し疲れた様子だった。
「故人を迎えにきた」旨を伝えると、少々怪訝そうな表情で私を家の中に通してくれた。
話がスムーズに通らないので、ちょっと変に思いながらも私は家の中に入った。

そして、仏間に通された。
てっきり、布団に寝かされた遺体があるものと思っていたのに、部屋には何もない。
よく見ると、扉の開いた仏壇の前に、お骨・遺影があった。
「?」と思った私は、「あのぉ、故人様は?」と尋ねてみた。
女性は、お骨に目をやって、「こんなに小さくなってしまって・・・」と泣きそうになった。
私の「?」は更に大きくなった。
次に何を言っていいのか分からなくて黙っていると、女性は「○日前に火葬して・・・」と、葬式の話をし始めた。
「住所は間違いないし、名字も合ってる」「なのに、故人は骨になっている」「どういうことだ?」あれこれ考えているうちに心臓がドキドキし始めた。
そして、やっと気づいた。

「ま、間違えたーッ!」
そう、私は行くべき家を間違っていたのである。

一瞬、頭が真っ白になったが、呆然としているヒマはない!
あとは、この場をどう取り繕って退散するか。
とにかく、ゆっくり仏壇の前に正座し、うやうやしく焼香をした。
冷汗をかきながら、その間にうまく脱出する策を考えた。
・・・葬儀を無事に終えた疲労をねぎらい、落ち着かれた頃に伺って焼香だけでもさせてもらいたかった旨を伝え、お骨になると喪失感も倍増するのであまり気落ちされないように励ました。
そして、「それでは、私はこれで失礼します」と深々と頭をさげて、玄関を出た。
女性の方も「わざわざ、ご丁寧に恐縮です」と言った感じで私に頭を下げた。

「故人を迎えに来た」と言って家に入っておきながら「焼香に来た」と用件をすりかえ、しかも名前も名乗らないまま退散。我ながら怪し過ぎる!

私は逃げるようにその家から離れて一息ついた。
家を間違ったことは分かったけど、今度は本当の目的地に行かなくてはならなかった。
心臓はバクバクと鼓動したまま、約束の時間を少し過ぎていることが合わさって焦りに焦った。

目的の家は、間違った家の近所で、番地も名字も全く同じだった。
確かに、同じ番地の家が数件あるような地域は珍しくない。
ただ、よりによって同番地・同姓で、葬儀を終えたばかりの家があったなんて・・・。

今度は、故人をフルネームで慎重に確認した。
時間も大幅に遅れることなく到着できて、ホッと一息。
しかし、すぐに一息なんかついている場合じゃないことに気がついた。
間違って訪問した家はこの家のすぐ目と鼻の先。
万が一あの女性が私の居る間にこの家の前を通りかかりでもしたらアウト!だ。
とにかく、回りの人影にビクビクと怯えながら急いで遺体を車に積み、ここも逃げるように車を出した。
幸い、どちらの家にもミスを気づかれずに済んだが、私は胃に穴が開きそうな思いをした。自業自得だけど。

結局、間違って行った家の女性が憔悴していたことが幸いして切り抜けられた訳だが、後から女性の方も「???」と思ったことだろう(ゴメンナサイ)。


次は遺体処置業務の話。
これも、もう随分と前のこと、遺体処置の依頼が入った。
この家にも地図をみながら出向いたのだが、その家はすぐに見つけることができた。
家族も私の到着を待っており、話はスムーズに通り、私は家に上げてもらった。

玄関から近い薄暗い和室に布団が敷いてあり、掛布団が盛り上がっていた。
「この部屋か」と、その部屋に入り、布団の前に正座した。
遺体は頭までスッポリと布団をかぶっていた。
うやうやしくお辞儀をしてから掛布団を取ろうとした時、死んでいるはずの遺体が寝返りをうった。「うッ!?」と、思わず体が反った。
と同時に遺族の女性(嫁)が後から部屋に入ってきて「そっちじゃない!そっちじゃない!」、「こっち!こっち!」と、笑いながら片手で口を押さえ、片手で手招き。

「ま、間違ったーッ!」
そう、私はお昼寝中のお爺さんを遺体と間違えたのである。

家の奥からは、「爺さんはまだ生きてるよぉー。殺しちゃダメだめだよぉー(笑)。」と、中年男性(故人夫婦の息子)の笑い声も聞こえてきた。
目当ての故人はお婆さんで、私が死人と間違ったお爺さんの奥さんだった。

遺体処置の場には、家族に集まってもらう訳だが、先程の失敗が尾を引いてかなり気まずかった。
しかし、すごく大らかと言うか寛容な遺族で、男性(息子)は、昼寝から起きてきたお爺さんに、「さっきコノ人、爺さんが死んでると思って間違ったんだぞ」と茶化しながら報告。
そして、お爺さんの方は「ああ、そうかい・・」と言って意に介していない様子。
女性(嫁)も声を殺して爆笑しているのが分かった(肩がスゴク揺れていた)。
・・・分かり易く言うと「ちびまる子ちゃん一家」に似た雰囲気の家族で、とにかく、私はそれで救われた!
一方の私はどんな顔をしていいのか分からず、ただただ苦笑いをしながらペコペコするしかなかった。
本来は、主役であるべき故人(お婆さん)の存在が薄らいでしまったが、「生前も粋な家族に囲まれて幸せだっただろうな」と冷汗をかきながら思った。

お爺さんは、冷たくなった妻(お婆さん)の額を弱々しく撫でながら、「あっと言う間だった・・・なぁ、婆さん・・・」と一言つぶやいた。
共に80歳を過ぎた老夫婦。
何度も何度も妻の額を撫でていたその姿と、その言葉が心に残った。


  1. トラックバック 2006/07/12 14:36:54投稿分より

日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

液体人間

2024-06-11 05:32:19 | 腐乱死体
  • 今回の表題を見て、これ以降にどんな文章が続いていくのかは容易に想像できると思う。
食事中の方、そしてこれから食事をしようと思っている方は、一旦このページを閉じて食事を済ませ、一息ついてからあらためて読んだ方がいいかもしれない・・・イヤ、読まない方がいかもしれない(うまい誘い方でしょ?)
読者に避難するチャンスを与えるために、少し行間を空けておこう↓



期待通り?今回は腐敗液のお話。
人間が腐乱していく過程で液状のなることはご存知の通り(残念ながら、知ってしまったね)(6月30日掲載「お菓子な奴」その他参照)。

この腐敗液が放つ悪臭にはモノ凄いパワーがある(6月15日掲載「臭いなぁ」その他参照)。そのパンチは鼻にくるのは当然、それ以上に腹をえぐってくる。
一般の人には「臭い」ということは分かっても、「腐乱死体の臭い」ということは分からないらしい。ま、当然と言えば当然か(笑)。
私は、かすかな臭いでも、ただの悪臭と腐乱死体臭とを区別することができる(自慢にもならないけど)。
たま~に、街を歩いていると、それと似た臭いが漂ってきて「ん!?」と思うこともあるが(結構怖いでしょ)、仮に自分で腐乱死体でも発見しようものならやっかいなことに巻き込まれる可能性が高いので、それ以上の深追いはしないことにしている。
冷たいかもしれないけど、発見したとしても既に手遅れなのは確実だしね。

腐敗液の原料は大きく分けると脂と血肉の二つに分かれる。
脂は黄色がかったもので、濁ったオリーブオイルみたいな感じ。
時間経過とともに、色が濃くなり粘度が増してくる。
血肉は赤茶色で、チョコレートに少し赤味を加えてみたいな感じ。
時間経過とともに、黒ずんで固くなってくる。
フローリング床等で薄く広がって乾燥した場合は、薄く伸ばした飴のようにパリパリになって剥がれる。
また、それが厚い場合は、コーヒーの出し殻に脂を染み込ませ粘性を足したような感じになって残っている。
余談だが、どうも私は、食べ物に例えるのが好きみたいだ(最近、自覚)。
食は生に直結したものであり、死と対極にあるものだからかもしれない。

故人の死んだ場所で、この腐敗液痕の態様も異なる。

畳やカーペット等、浸透するもの上だと当然染み込む。
深刻なケースだと、畳を通り抜け、床板から梁まで汚染されている。
ここまでいくとリフォームも大掛かりになり、アパート・マンション等の集合住宅の場合は大変なことになる。
大掛かりでも梁で済めばまだ何とかなるが、基礎コンクリート部分まで汚染されていると、もうお手上げ。
さすがに、建築基準法に違反した改装はできないので。

フローリングやビニールクロス等、浸透しないものの上だと当然溜まる。
「オエッ!」ときやすいのはこっちの方。
何故なら、液体になった人間を拭き取らなければならないから。
しかし、拭き取りで済めばまだマシな方。
汲み出し、吸い取りレベルまでいくと、経験を積んでいてもかなりツライものがある。
こういう現場では、脳の思考を停止させ、「この液体は元々人間だった」という現実を完全に消去しないと作業ができない。
強引に自分の感覚をコントロールし、液体を単なるモノとして捉える。
しかし!ちょっとでも油断すると「液体=人体」という事実が頭をよぎる!
すると、たちどころに「オエーッ!!」とくるわけである。

ちなみに、どっちがいいかと言われると難しい(普通はどっちもイヤーッ!)
浸透性のものだと清掃作業は楽な分、ゴミ処分が大変。
不浸透性のものだと清掃作業が大変な分、ゴミ処分は楽。
どっちもどっちだし、「どっちがいい?」なんてバカな質問をし合うのは仲間内だけ。

特に、気温の高い夏は人間が液体になりやすい。
チョコレートやアイスクリームと同じように・・・おっと、また食べ物に例えてしまった。
この季節は、ただでさえ食欲が減退しやすいのに、このブログでもっと食欲を落としてしまったら申し訳ない。


我々の肉体は放っておくと液になり、そして消えていく。
髪と骨と爪と、思い出だけを残して。
そしてまた、思い出も時間とともに消える。
人生は夢幻なり(しんみり)。



トラックバック 2006/07/11 08:19:03投稿分より

日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最期の晩餐

2024-06-10 05:38:36 | 自殺 腐乱
ある男性が自殺した。
中年というにはまだ若い年齢。例によって、腐敗した状態で発見。
高級とまではいかないが、新築の賃貸マンションの一室だった。
今は亡きこの部屋の主人は、まだそこへ入居して2~3ヶ月しか経ってないらしく、部屋の荷物は全体的に少なく、最低限の生活必需品があるだけ。
しかも家具や家電製品はほとんど新品状態で、捨てるのはもったいないくらいだった。

裕福そうな暮らしぶりが想像でき、

「なんで自殺なんかしたんだろう」

と、いつも通り溜息まじりに思った。内心では、その疑問を故人に投げかけながら。
どうしてか、自殺現場に入ると、知らず知らずのうちに溜息がでる。
その溜息には色々な意味が混ざっている・・・悪臭、おぞましい光景、それを片付ける作業、そして自殺という事実。


離婚した元妻との間には子供もおらず、血縁者といえば遠い親戚くらいしかいなかった。
若い時から意味もなく職を転々する癖があったらしく、昔から経済的に裕福な暮らしはしていなかったと言う。その親戚も、少なからずお金を貸したこともあったそう。
しかし、「ここ最近は、頻繁に旅行に行ったりして、結構羽振りがよさそうで、少し不思議に思っていた」とのこと。

私は探偵ではないので、興味本位で話ばかり聞き込んでも仕方がない(悪い癖だ)。
とにかく、清掃作業に入った。
作業をやっているうちに、あることが見えてきた(所詮、想像の域は越えないのだが)。

故人は、自分の人生は自殺で閉じようと、しばらく前から計画していたのではないか。
ポストや部屋には、消費者金融からの請求書・催促状が大量にあった。
その枚数もさることながら、

「よくもここまで借りれたもんだな」

と感心する程の数の金融会社があった。
手当たり次第に金融会社を見つけては、借りられるだけ借りまくったようだ。
そして、金と命が尽きる時期を合わせて、自殺する計画を立てていたのではないかと思われた。
負けてばかりの人生、その最終回で劇的な逆転満塁ホームランを放つつもりだったのかも。
あの世でヒーローインタビューを受けるつもりで、自分で残りの人生を定め、そのお金を使って楽しめるだけ楽しんだのか。
もちろん、何ヶ月か後に死ぬつもりの人間は物を買うなんてことはせず、主に、飲食や旅行(女遊びも?)等に浪費していったのだろう。
本人は、本当に満塁ホームランを打つことができたのだろうか。
また、それでも楽しかったのだろうか・・・自分勝手な想像なのに、考えると暗くなった。


私も若い頃は、「人生は楽しんでなんぼのもん!」「楽しまなきゃ損!」という価値観を持って生きていた。「お金があれば何だってできる」と思っていた。
だから、現実がその逆になると、自分でも6月23日掲載「死体と向き合う」で書いたようなことになるのである。


もちろん、今も色々な楽しみを優先したいし大事にしたい気持ちは強い。
ただ、若い頃と比べると明らかにその質は違う。
第三者には、「負け犬の遠吠え」みたいに聞こえても仕方がないけど、相田みつを氏の言葉を借りて「自分の幸せは自分の心が決める」とでも言っておこうか。


今、私が大切にしたいのは笑顔。
決してプラスティックスマイルなんかじゃない、自然にでてくる自分の笑顔、人の笑顔。
笑顔で生きるって平凡なことかもしれないけど、案外、難しい。
しのごの考えるのは止めて、まずは笑顔・笑顔!
私のくだらないジョークにもグロイ話にも、しかめっ面しないで、笑顔・笑顔!(笑)


-1989年設立―
特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

How much?

2024-06-08 05:23:17 | その他
「死体業っていくらくらい稼げるんだろうか」と興味を持っている人は多いと思う。
ブログ開設当初、読者からの質問にもこの類の質問は少なくなかった。
ほとんどの人が、「結構な額を稼げるんだろう」と思っているのではないだろうか。
その様に勝手に勘違いして、闇雲にこの仕事に応募してくる人が後を絶たない。

応募の第一歩として、まずは履歴書・職務経歴書を郵送してもらうのだが、「高額を稼げる」と早合点しているような人に限って、志望動機欄にきれいなことを書いてくる。
もちろん、何を書こうが応募者の勝手。だけど、歓迎はできない。
必要な資格と言えば、車の運転免許だけ。学歴も職歴も問わない(年齢は問う)。
ただし、独断も偏見も関係なく採否の決定権はこちら側にある。
もちろん、私一人に決定権があるわけではないが、私の採否判断の一員に加わる。
私が判断材料にする第一は顔写真。
前記の通り、学歴でも職歴でも資格でもなく「顔」だ。意外でしょ?

一般的には職を転々としていると企業側の印象はよくないし、学歴の低いより高いに越したことはない。何の資格だって、持ってないよりは持っていた方が有利だ。
しかし、そんなことと人格とは直結しない。
無関係とまでは言えないけど、それらのことは人間の本質に大きく影響するものではないと思っている。
向上心を持って職を転々とし、職を変えるごとにステップアップし人格を磨いているような人もいるはずだし、夢や目的があってあえて大学に行かない人だっているはず。
人生色々、千差万別、十人十色で、一人一人にそれぞれの道があり秘められた個性と力がある。それをキチンと見極めることが大事・・・だから「面構え」なのである(もろ自論だけど)。

履歴書に貼られている写真は小さく、顔を中心に胸元から上くらいしか写ってないのが普通。「一体それだけで何が分かるんだ?」と不信に思われる人もいるはずだが、そこは前記の「独断と偏見も関係なく・・・」という次第。
どこかで撮ったスナップ写真を切り抜いて貼ってくるような人は全くもって論外(即、不採用!)。
スーツにネクタイ姿である必要もないが、襟のない服、つまりTシャツやトレーナー姿もダメ!茶髪・長髪もダメ!ヒゲ面もダメ!口が開いててもダメ!視線を外しててもダメ!
写真映りの良し悪しも運のうちかもしれない。
とにかく、私は写真に写る顔をジーッと見る。とにかく見る!穴が開きそうになるくらいまで見続ける!2~3日かけても見る!
では、どんな面構えがいいかというと非常に説明しにくい。
「笑顔」でもなく「真剣そうな表情」でもなく「二枚目」でもなく・・・とにかく「面構えである程度の人柄が伝わってくる」としか言い様がない。
抽象的な説明で申し訳ない。

私は「人柄は顔にでる」(顔だけじゃないけど)と思っている。
よく「人を外見だけで判断するな!」と言っている人がいるが、「人は充分に外見で判断できる」と言っても過言ではないのではないだろうか。
もちろん、外見だけで100%その人を知ることは不可能だが、外見がその人柄を映す大きな材料になることも事実である。
更に言うと「外見だけで判断するな!」とイキがっている人ほど、所詮は中身もしれていることが多い。
この差別的?見解を批判的に思われる方は多いかもしれないが、私はそう確信している。

結局のところ、書類選考から面接に進める人は10%にも満たないのが現実。
そして、面接から体験入社(業務見学)に進む人も更に面接者の10%に満たない。
その難関?をパスして仕事に就いても試用期間をクリアできずに脱落する人も少なくない。
結果的に、電話での問い合わせから数えると、実際の正スタッフになるのは1%以下、つまり100人のうちたった一人もいないのではないかと思う(きちんと数えている訳ではないけど)。


「採用・募集の話なんかどうでもいいから、さっさと給料を教えろよ?」
給料については、ご想像にお任せします。ありきたりの答でスイマセン。


なんて言おうもんなら、「ふざけんなよ!」「納得できるかよ!」という不満の声が現場にまで聞こえてきそうだ。
・・・冗談、冗談。
できるだけ正直に本音を吐露していくところも私のブログの長所だと自負しているので、キチンとお応えしよう。

私の給料は、月々の仕事量によって異なり、だいたい40万~50万円。
手取額で言うと約32万~約43万円くらいである。
ちなみに、私の昨年の年収は約560万円だった(残念ながら、今年はもう少し減りそう)。
もっと欲しければ、見積額を底上げするか、仕事量を増やすかしかない。
見積額は自力で何とかなるにしても、仕事量は他人(死人?)任せにしかできないので、難しい。
私の年齢と経歴を考えても、どう?仕事の割には想像してたより少ないでしょ。
ホント、自慢したくなるくらい少ない。正真正銘、嘘じゃない。

私だって、お金は大好き!一円だってたくさん欲しい!
でも、何故か給料額に不満はない。決して贅沢できる金額ではないけれど、食べて行けない額でもないしね。欲は無限、金は有限。
与えられた仕事とお金に感謝しながら、ささやかな幸せと楽しみの中で生きていけばいいさ(負け犬の遠吠え?)。

ついでに、特殊清掃事業部の処遇(労働条件)も教えてしまおう。
ボーナスはなし。社会保険は一式完備。
定時の勤務時間は9:00~17:00。ただし、定時なんてあってないようなもの。
早出、残業は当たり前。夜中の電話や出動もある(夜中の出動は特にキツイよ!)。
年間休日は、所定で97日(これも少ないでしょ?)。
仕事の特性で察してもらえると思うが、休日の予定は立てられない。
人が私の都合に合わせて死んでくれるはずもなく、たまたま仕事が空いた時に休むしかない。

ちなみに、現在は、特殊清掃事業部は新規スタッフの募集していない。
こんな労働条件を知ってしまったら、求人募集しても応募はないかもね(笑)。
でも、労働条件が低い割には、スタッフの出入りは極めて少ない。


どう?やっぱ、なかなかいい仕事でしょ(笑)。
刺激タップリで死生観を磨けるよ!



トラックバック 2006/07/09 07:59:35投稿分より

日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこのけ、そこのけ、死体が通る

2024-06-07 06:13:54 | その他
死体業には色んな仕事がある。

私は、一応、特掃隊の一員として死体と格闘する日々だが、時にはそれ以外の仕事にも出る。遺品回収・遺体処置・遺体搬送などなど。

その遺体搬送業務のことを「死体とドライブ」と表現したことがあった。
それを聞いて(見て)、もしも、死体を自家用車の助手席にでも乗せて、気ままにドライブしていると想像された方がいるとしたら、かなり可笑しい。
そんなことしたら、さすがにヤバイでしょ(笑)。


でも、業界外の人が想像できないにも当然と言えば当然か。
遺体搬送には遺体搬送用の専用車両がちゃんとある(霊柩車とは違う)。
車体は1Boxタイプがほとんどだが、まれにステーションワゴンタイプもある。
車内後部が荷台になっており、ストレッチャーという折りたたみ式の車輪付担架を搭載している。

分かり易く言うと、救急車をものすごくシンプルにしたような車だと思ってもらえればいい。
病院から自宅、自宅から葬式場など、遺体を積む場所と降ろす場所は人によって様々である。もちろん、夜中の出動もある。


病院は、亡くなった患者を長くベッドに寝かせておくことを好まない。
他の患者への配慮もあるのだろうが、空ベッドをつくると経営効率も落ちる。
一日でも早く新しいお客さん・・・いや、患者さんに入院してもらえるようにしたいのである。

病院にとっては、なるべく空ベッドをつくらないようにして、入退院の回転率を上げることが重要なのだ。
したがって、昼間でも夜中でも関係なく、患者が亡くなると直ちに遺体の搬出要請が入る。それが、夜中になった場合は、まさに夜中に「死体とドライブ」となる訳である。


ちなみに、看護婦にも感じのよい人とそうでない人がいる。
良心的な看護婦は快く遺体の移動を一緒にやってくれるのだが、そうでない看護婦は遺体への嫌悪感丸出しで、ものすごく感じが悪い
こんなのは、ごく一部の看護婦さんだと思うが(願いも込めて)。
そういう人に遺体をベッドから担架に移動させる作業を一緒にやらせようものなら、私への文句も一言では済まない。

それでも、しかめっ面の看護婦にペコペコしなくてはならないのにはストレスがかかる。
そんな時は「白衣の天使」も「悪意のテン師」に見える。


外の暗闇や死体と二人きりになっていることよりも、睡魔の方が怖い。
眠いときは本当に眠くなる!夜中に死体と一緒に事故死でもしたら洒落にもならないし、死体にとっては二回死ぬようなもので、あの世に行ってから殴られるかも(笑)。


遺体搬送業務だけとっても色々な思い出と経験を積んできた。
例えば、病院から自宅へ搬送する場合、そこが古いマンションや団地の場合は旧式エレベーターが多く、ストレッチャーが入らないところが多い。

その場合は、担架などは使えず、遺体を抱えるしかない。
浴衣を着て冷たく硬直した遺体を強引に立たせた状態でハグしてエレベーターに乗るのである。

浴衣姿で蒼白い顔、不自然にグッタリしている人を抱えてエレベーターに乗っている男を想像してみてほしい。なんとも不気味だろう。
ここで笑っちゃいけないよ。やってる私は「落としでもしたら大変!」と冷汗もので真剣に抱えているのだから。

しかし、他の住民はそんなのが乗っていると知らずにエレベーターを止める。
ドアが開いた時にみせる住民達の反応はとても面白い。
驚く人、悲鳴をあげる人、目が点になって呆然と見ている人など反応は様々。
一番可笑しいのは、死体だと気づかないで一緒に乗ってきて、死体だと気づいた途端に逃げようとする人(動いているエレベーターで逃げられる訳もないのに)。
そんな人は、当初の目的階なんか放っておいて、必死で次の階のボタンを連打する。
そして、ドアをこじ開けるようにして、そそくさと小走りに去って行く。
その様がなんとも可笑しいのである。


だいたい遺族は先に自宅階に上がって待っているので、私が遭遇した途中階での出来事は知らない。
遺体を抱いたたまま明るい笑顔でエレベーターから出てくる私をみて、だいたいの遺族が

「コイツ、普通じゃないな」

という表情を浮かべる(笑)。
同時に、何とも滑稽な私の姿を見て、思わず吹き出してしまう遺族や笑顔(内心では爆笑しているのかも)になる遺族もいたりして、結構、和やかな雰囲気になることも少なくない。
ちなみに、私の笑顔に「不謹慎だ!」等とクレームがついたことはない。


本件以外にも、死体を背負ったこと、抱かかえたことは数知れず。
変かもしれないが、小さく軽くなった老人を背負う時などは、何とも言えないない温かい気持ちにもなる。

「おじいちゃん(おばあちゃん)、お疲れ様でしたね・・・」

と心の中で呟く。
やはり、「死体が気持ち悪い」という感情よりも、「落とさないように」という緊張感の方が強くて、不気味とか怖いなんて気持ちは全然ない。


ちょっと脱線。
「死体をハグする」で思い出したが、6月21日掲載「ハグ」に登場した不動産屋の担当者は勤務する会社は退職したものの、今でも不動産会社で頑張っている。
さすがに、あの時からしばらくは暗い日々を送ったようだが、今は、飲み会や合コンなどでそのネタを出すと、すぐさまその場の主役になれて、まんざらでもないらしい。

しかも、あちこち同じネタで何度も話しているものだから、話し方や状況の描写もうまくなり、話を聞く皆に抜群にウケるらしい。まるで、落語家のよう。
すごい災難に遭遇してしまった彼だったが、それによって少しはいいことがあるみたいで、まぁよかった。


遺体を運ぶのに老若男女や身体状態を選ぶことはできないけど、どうせ運ぶなら安らかな顔の老人がいい。
そして、笑顔で仕事をしても遺族の心象を害さないくらいの器を持った人間になりたいものである。


トラックバック 2006/07/08 08:12:39投稿分より

-1989年設立―
特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビジネスマンと主婦

2024-06-06 04:47:07 | 遺体処置
中年ビジネスマンが急死した。
勤務先の会社で突然倒れ、救急車で運ばれたものの、そのまま逝ってしまった。
私が出向いたときは、故人は既に自宅の一室の布団に横たわっていた。
検死をしたせいだろう、身体にはサイズの合わない浴衣が適当に着せられていた。
妻はあまりに突然のことで、6月27日掲載「明日があるさ」で書いた母親に似たような状態だった。
余程の猛烈ビジネスマンだったのか、故人にビジネススーツを着せてやってほしいと頼まれた。

捻くれた見方をすると、一人のビジネスマンは、会社を支える歯車の一つ、単なる機械の部品・消耗品と言えるかもしれない。
それでも、その中で一人一人のビジネスマンがそれぞれの夢と目標を持ち、仕事にやりがいを見出している。家族を守り家族の笑顔を支えに頑張っている人も少なくないのではないだろうか。
肌の合わない上司や同僚を前に自分を押し殺し、使えない部下の機嫌をとり、嫌な取引先にもペコペコと頭を下げる。
朝夕の満員電車も、少ない小遣いも黙って我慢。
金曜の夜に安酒をあおれば、ついつい愚痴っぽいことばかりが口をついて出てくる。
それでも、自分のため、家族のために働き続ける。

遺体にスーツを着せるのは容易ではない。死後硬直や浮腫みが作業の障害になる。
それでも何とかスーツを着せ、ネクタイをビシッと締めた。

「お父さんらしくなった・・・」

と妻は少し嬉しそうだった。
ヒゲが気になったので、故人が生前愛用していた電気剃刀でヒゲを剃った。

「昨日の朝は、いつも通り自分でヒゲを剃って、いつも通り会社に行ったんですよ」

と言う妻の言葉が印象的だった。
何の変わりばえもない日常、いつも通りに会社に行った夫が遺体となって帰宅したわけで・・・数日後には、妻に大きな喪失感が襲ったことだろう。
(参考までに・・・法医学によると、人が死ねばヒゲも伸びなくなるとのこと。死後も伸びたようみ見えるのは、肌が乾燥収縮するのに対してヒゲだけが残るだけだかららしい。)


中年主婦がトイレで急死した。
夫を会社に、子供達を学校に送り出した後、トイレで倒れて人知れず息を引き取ったらしい。
夕刻に帰宅した家族が発見したときは、既に手遅れ。
トイレ掃除でもしようとしていたのかどうかは分からないが、便器を抱き抱えるような格好で亡くなり、そのまま冷たく硬直していた。
夫から、

「身体を横に伸ばして休ませてやりたい」

と頼まれた。


私の勝手な想像だが・・・
この主婦も、変わらない日常を過ごしていたものと思う。
夫が外で働く間、家事や育児を懸命にこなしていたことだろう。
専業主婦にも外で働くビジネスマンと同等の大変さがある。

近所付き合いや子供のPTAの人間関係に神経を使い、時には家事労働に疲れを覚えながらも、外で働く夫を陰で支え、夫の健康と子供の健やかな成長を自分の幸せと重ねて生きてきた。
家族愛、家族の笑顔を何よりも大切にしてきたかもしれない。


故人の身体は、時間をかけて少しづつ硬直を解きながら伸ばした。そして、布団へ安置。

「布団に寝かせてやれてよかった・・・」

と夫は少し安堵したようだった。

「昨日の朝は、いつもと変わらず玄関で見送ってくれたのに、それが最期の姿だったのか・・・」

と言う夫の言葉が印象的だった。
夫も、明らかに妻の死を受け入れられていないように見えた。
いつも通り会社から帰宅したら、妻は亡くなっていた訳で・・・やはり、この夫にも、数日後には大きな喪失感が襲ったに違いない。


哲学者パスカルの有名な言葉に「メメントモリ(死を思え)(死を忘れるな)」という言葉がある。
私も、自分の死を考えることは有意義なことだと思う。
誰にも一度くらいは考えてみて欲しいと思う。

しかし、時間(人生)の有限性を理解し意識して生きることは、多くの人にはプラスに働いたとしても、それが全ての人に当てはまるとは限らない。
ある人によっては虚無感が増したり、またある人によっては短絡的思考を増長させる等、マイナスに働いてしまう側面もある。


それは、私自身にも言えること。
常に死を意識せざるを得ない仕事をしていると、毎日のように自分の死を考える。
その上で、「今を大切に生きる」ことがプレッシャーになることが多い。
知らない方がいいことを知ってしまい、考えない方がいいことを考えてしまう。
難しいことを考えていくと脱出不能の迷路にハマってしまうので、ある時点で余計な事を考えるのをやめることも「今を大切に生きる」ことに必要な大切なテクニックかもしれない。


ビジネスマンと主婦。
上記は、もちろん一組の夫婦の話ではないが、ごくごくありふれた組み合わせだと思う。そして、今回の記事が、夫をお持ちの方、妻をお持ちの方それぞれにプラスに働くと幸いである。


今日は、七夕かぁ。
短冊に願いことを書くとしたら、何と書こう・・・商売繁盛を願うとバチが当たりそうだしなぁ・・・。
例年通り東京の夜は曇雨みたいだから、今夜は三途の川は見えないんだろうな。

・・・もとい、「三途の川」じゃなくて「天の川」だった(わざとらしいオチで申し訳ない)。



トラックバック 2006/07/07 09:23:09投稿分より

プロの遺体処置専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敵は強者

2024-06-05 07:38:26 | 遺体処置
特殊清掃の仕事を遂行する上で立ちはだかる壁としての代表格は、悪臭・腐敗液、そしてウジ・ハエ。常連の読者に今更言うまでもないことだろう。
悪臭は忍耐力と薬剤を駆使して、なんとか押さえ込む。
腐敗液は、脳の思考を停止させて、なんとかきれいにする。
生きたハエは外へ追い出し、死んだハエは塵として処分する(死んだウジも同様)。


問題は生きたウジ!
彼等は一体どこからどうやって発生してくるのか不思議で仕方がない。
一見、密室に見えるような部屋でも、遺体にはウジが湧く。特に、腐乱死体にはほぼ100%の確立でウジがついている。
彼等はどこからやって来て、どうやって死体に湧いてくるのか・・・。
そして、その生命力と繁殖力には凄まじいものがある。

「敵ながら、アッパレ!」だ。


ウジに関する思い出は尽きないくらいあるが、その中でも強烈だった一事例を紹介する。
まだ、「腐乱」とまではいかず、腐敗が始まった程度の遺体。
腹部は黒緑色に変色してきており、明らかに腐敗の進行が見てとれた。
もちろん、異臭もあり。

死後処置では、口・鼻・耳などに綿を詰めて体液漏れを防ぐ処置を施すのだが、口の中に大量のウジを発見。腐敗初期の遺体なので、ウジの大きさもかなり小さい。
口の中に無数のウジが這い回っているだけでも、結構な気持ち悪さがある。
「口の中に大量のウジがいる」ということは、「鼻にもいる」ということ。
鼻の穴を覗いてみると、案の定、彼等はいた!しかも、無数。
念の為、耳も見てみると、残念ながらそこにも居た。
ここまではよくあるケース。

更によく見ると、目蓋の隙間にも小さなウジが見え隠れしている。
「ひょっとして、眼球にも?」と驚きながら、目蓋を開けてみた。
そこには、眼球を覆い尽くす程のウジが集っており、さすがに背筋の悪寒が走った。
さすがに、「ギョエ~ッ!!」って感じ。
遺体の目の次は、こっちの視覚もやられてしまった!
可能な方は想像してみてほしい。目の玉がウジで覆われている状況を(寒)。
それらを一匹づつピンセットで摘みだしていく作業は手が震えるくらいに精度の高いテクニックが必要。なにせ、遺体腐敗がその段階のウジはとにかく一匹一匹が小さいもので、摘みにくい上に気が遠くなるほどの数がいる。
しかも、遺体の眼球を傷つける訳にはいかないし。
しかし、あまりモタモタやっていると、身の危険を察知したウジ達は肉を通して眼球の裏側へ逃げて行く。
全く、恐るべし!


そんな嫌われ者のウジだって、世の中にとって何かしらの存在意義があるのだろうと思う。
私と同じように(苦笑)。
かつては、

「世の中にウジが居なくなったら、どうなるのだろう」

と真剣に考えたこともあった。ホント、どうなるんだろう。
社会的評価は低いけど、彼等は彼等なりに社会貢献している部分もあるはず。これも私と同じように(苦笑)

普段は敵対関係にありながらも、似たような境遇にあるウジと私。
しかも、頻繁にお目にかかるので、敵ながらも妙な親近感が湧いてくる。
喧嘩友達とでも言えるだろうか。
新たな現場に行って、

「アレ?ここはあまりいないなぁ」

と肩透かしを食らいながら、汚染された床のカーペットを捲り上げると、期待通りに?ウジ達がビッシリ所狭しとウヨウヨしている。
それを見た私は「よ~し、いるいる!」(興奮)ってな感じで、

「今日も正々堂々と闘ってやるぞ!」

と一気に戦闘モードへシフトチェンジ!・・・やっぱ、感覚がおかしくなってんな、私は(笑)。


以前にも書いたが、市販の殺虫剤(ウジ殺し)はあまり効かない。
腐敗液に汚染された床を覆い這いまわるウジに大量のウジ殺しをかけても、彼等は気持ちよさそうに?その中を泳ぐ(実際は苦しくてもがいているのかもしれないけど)。

その様はまさに・・・
まず、フライパンに炊いたご飯を入れ、そこにご飯がヒタヒタになるくらいの牛乳を入れる。隠し味に醤油を適量加えて、想像力を膨らませながら見ると・・・恒例の?食べ物シリーズ第二弾で、美味しいドリアのレシピを教示しようと思ったけど、記事の流れから私が何を考えているか先読みされたと思うので、この先はやめておこう。


私も男だ。抵抗できないことをいいことに生きたウジを踏み殺すような卑怯な手は使わない(実際は、気持ち悪くて踏めないだけ?)。
直接触って片付けるのが正攻法。気合を入れて摘んで集めて、ポイッと始末。


対ウジ戦は苦戦することもあれば、楽勝の時もある。
今のところは連戦連勝。
しかし、残念ながら最終的にこの戦いを制するのはウジの方と決まっている。
何故なら、この私にもいつかはハエが集りウジが湧く日が必ずやってくるからである。
当然、読んでる貴方も他人事では済まされないよ。


誰にも、いつかは必ずウジが湧く日が来るのだから。



トラックバック 2006/07/06 09:32:11投稿分より

プロの遺体処置専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Go to heaven

2024-06-04 05:51:50 | エンゼルメイク
誰も死も、どのような死も、ある人にとっては辛く悲しいもので、ある人にとってはそうとは限らないものでもある。
大方の人はそうであろうと思うが、私にとって若者や子供の死は特に重い!

ちょっと注意。
「老人や中高齢者は、若者や子供と比べると命が軽い」とか「価値がない」と思っている訳ではないので、その辺はくれぐれも誤解のないように。

さすがに、経験豊富?な私でも、子供の腐乱死体にはお目にかかったことはない。
当然、お目にかかりたくもない!!

ただ、そうではない遺体には何度も遭ってきた。
当然のことながら、子供用の布団は大人のものに比べて小さい。
身体が直接見えなくても、小さな布団を見ただけで、気持ちにズシリ!とくるものがある。
そして、掛布団をめくると、小さな子供が眠るように目を閉じている。
死因は、病死・事故死・突然死など色々。
顔色が蒼白の子もいれば、唇が紫色になっているような子もいる。
科学的根拠はないのだろうが、老人の遺体に比べると、子供の遺体は顔色が悪いことが多いような気がする。

そして、その親の嘆き悲しみ様は、とても言葉(文字)では表しきれない。
私にとって、初めての子供遺体は小学校中学年の男児だった。
もらい泣きはしなかったものの、とても複雑な心境になったのを今でもよく覚えている。


片手で持ち上がるくらいの小さな子もいた。

痩せ細って苦悶の表情を浮かべている子もいた。

痛々しいくらいの注射痕・点滴痕がある子もいた。

手術の傷が治りきっていない子もいた。

事故に遭い、身体の損傷が激しい子もいた。

将来の夢を書いている子もいた。

親が我が子の額と自分の額をくっつけて、いつまでも、いつまでも別れを惜しんでいる姿もあった。

幼い弟妹から、「○○ちゃん(兄姉の名前)はどこへ行ったの?」と問われ、返す言葉に詰まったこともあった。

親と一緒に泣いてしまい、仕事にならなかったこともあった。



「人生は細く長い方が良い」とか「人生は太く短い方が良い」とか言うことがある。
この類は、誰しも一度くらいは考えたことがあるのではないだろうか。
人間には生存本能がある。私は思う。人生は太く長い方がいい。

しかし、現実には、長くない人生を送って逝った子供達がたくさんいる。
そしてまた、今日もどこかで人生を終える子供がいる。

私にとって、子供の死に直面するひと時は、生きているのことの夢幻性を強く感じる瞬間でもある。
そして、人間一人一人が生き、生かされていることに、何か意味があるように感じる時でもある。

人生と格闘しているのは、我々大人だけではない。
子供達も、日々、目に見えない色々な敵と闘っている。
そして、死ぬことは敗北ではない。

偽善的かもしれない・・・
でも祈る・・・
天国に行ってくれ・・・。



トラックバック 2006/07/05 08:20:59投稿分より

遺体処置専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金魚すくい

2024-06-03 05:53:42 | 腐乱死体
腐乱現場でやる仕事は色々ある。
除菌消臭から家一軒丸ごとの解体処分まで、依頼される内容な多様である。
その中でも最も多いのが、家財道具・生活用品の全て一式を撤去し除菌消臭する作業。
ついでに内装工事まで依頼されることも多い。撤去する中身の主役は、もちろん腐乱死体に汚染されたモノである。


今回も、その様な依頼だった。
独り暮らしの故人は普段から病気がちで、一人で家にこもっていることが多かったという。

フローロングのリビングで倒れ、そのまま腐ってしまっていた。
汚染家財をはじめ、部屋にあるものは全て回収撤去した。作業中は作業に集中して、黙々とやることが多い。ほとんどの物を撤収してから、ふと気がついた。
リビングには水槽が3つあり、中には色違いの金魚が数匹づつ泳いでいる。

何日も前から(故人が死んでから)、餌も与えられてなかっただろうし、電気が止められたため酸素を送る機械も停止していたはず。
なのに、一匹も死なずに、全員(全匹?)生きていたのである。ちょっと驚いた。


勝手に想像すると、独り暮らしで病弱な故人にとっては、犬猫を飼うのは負担が多き過ぎる。金魚だったら、肉体的負担もないし、水槽はインテリア的にもお洒落だし、水の中を泳ぐ魚を見ると気分が癒されたのではないかと思う。


しかし、この金魚達。
自分達を可愛がってくれていた人が目前で倒れ死に、腐っていく様子が水槽の中から見えていただろうか(位置関係で言うと見えていたはず)。
仮に、金魚にも感情・思考力があると仮想してみようか。
彼らは飼主が死んで腐っていく様を見ていた訳である。しかも、腐乱していく様子が目の前で見えてしまっていては辛い!
自分達を愛してくれた人を失って、悲しくて寂しかったことだろう。

しかし、彼らは、飼主の死を悲嘆しているばかりもいられない。
何故なら、餌を与えてくれる人もいなくなり、おまけに酸素供給機もストップ!「死」は他人事ではなく、自分達もその直前の状況に置かれてしまったからである。

「この状態で、自分達はいつまで生きられるのだろうか・・・」

と不安はつのるばかり。しかし、一向に誰かが来る様子もない。
どこから現れたのか、倒れたままの飼主にはウジがたかり始め、こともあろうに飼主の身体を食べ始めてしまった。
飼主にたかったウジ達は丸々と肥えてハエになっていく。愛する飼主が餌にされて(悲)。

その間、飼主の身体はバンバンに膨らんだかと思うと、今度は液体を流しながら溶けだした。
ハエがまたウジを産み、ウジがまたハエになり、みるみるうちに増殖していく。
一方の自分達は、だんだんと息苦しくなり、空腹感も襲ってきはじめた。
極限状態に置かれた金魚は、何のなす術もなく、ただただ助けが来るのを待つしかなかった。助けが来るのが先か、自分達が死ぬのが先か・・・ノイローゼ寸前。


何日もして、やっと誰かが来た。
ずかずかと入り込んで、なにやら騒いでいる。そのうち、飼主の身体は運び去られていき、腐敗痕だけが残された。

「やっと助けが来た!これで助かる!」

と喜んだのもつかの間、誰も、自分達に気づいてくれないまま、いや、気づいても気づかないフリをしたまま居なくなってしまったのである。

その後、何度かは騒々しく人の出入りがあったが、結局、誰も自分達のことを気に掛けてくれる人はいなく、人間という生き物は冷酷だということが初めて分かった金魚達であった。
飼主があまりに優しく愛情深かったため、金魚達は、全ての人間は愛情深く優しいものだと大きな誤解をしていたのである。
人間が冷たい生き物であることを知ってしまった金魚達は、もう生きる望みを失った。
あとは、酸欠死か餓死かの違いがあるだけで、黙って死を待つしかない金魚達。


そこに現れたのが、彼等の救世主?特掃隊長!(自分で書いてて恥ずかしい)

私は、最後に残った水槽を覗いてみて、金魚が生きていること驚きながら困惑した。
ゴミとして捨てる訳にもいかないし、そのまま置いていくと依頼者との約束を破ることになる。

三つの水槽はそれなりの大きさで、それなりの器具がついている。
とても、そのまま運んで行けるようなものでもなく、思案した。
当然、結論は「救う」しかない。それよりも、「どうやって救うか」が要だった。
とりあえず、金魚達を多少の水と一緒にビニール袋に入れて、それを運転席に乗せて車を走らせた。ここまできて、酸欠とかで死なせたらもともこいうもない。とにかく、急いで走った。

目的地は、とある公園の池。人目を避けるように、金魚達を池に放してやった。
この私の行為は、自己満足に値するものだったが、公共の池に勝手に魚を放すことは犯罪行為になるんだろうか?どちらにしろ、その時は調べているヒマはなかったけど。


縁日の露店によくある「金魚すくい」。
私は、子供の頃からド下手なもんで、いつの頃からかチャレンジさえもしなくなった。
でも、今回の金魚救いは上手にできた。



善い行いをすると気持ちがいいもんだ。
晩酌もいつもより美味く、ツマミの刺身もうまかった!


トラックバック 2006/07/04 08:19:53投稿分より


日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024-06-02 05:24:20 | 腐乱死体
人は必ず誰かの子であり、親がいる。

また、とある腐乱現場。亡くなったのは独居の中年男性。死後、かなりの時間が経過しているようだった。例によって、遺体は警察が持って言った後で、腐乱痕と異臭が残されていた。
もちろん、私とは旧来の喧嘩友達であるハエ君とウジちゃん達もたくさん集まっていてくれた(笑)。


遺族は、故人の両親と故人の姉妹らしき二人の4名。見積時も作業時も4人とも現場に来た。両親はもうかなりの年配で

「おじいさん、おばあさん」

という感じ。
姉妹達(中年女性)は見積時も作業時も玄関から中に入ることはなく、ハンカチでずっと鼻口を押さえ、嫌悪感丸出しの表情で、私の作業を遠めに眺めていた。

それは、どう見ても、

「最初から来たくなかった!」

という感じ。
明らかに、現場に居たくないという雰囲気をひしひしと感じ、気のせいか、やり場のない不満を私に向けているような威圧感を感じた。
そんな雰囲気じゃ、こっちこそいい気分がしないので、

「そんなに居たくないなら、立ち会ってもらう必要はないんだけどなぁ」

と思いながら、その一家の会話を聞いていると、両親(特に父親)が強制的に姉妹達も現場に来させたみたいな様子が見受けられた。
父親(おじいさん)からは、

「兄弟の死の実態を、身内としてシッカリ見て置け!現実から逃げるな!後始末は我家の責任なんだ!」

と言わんばかりのガンコ親父的な雰囲気を感じた。



当人の父親と母親は、私の作業の邪魔にならないように、部屋の中に入って私の作業をずっと見ていた。臭いし、ホコリっぽいし、何より不衛生なので、

「外で待っていてもいいですよ」

と声を掛けたが、

「大丈夫ですから」

と言って外に出ようとしない。
何事においても浅はかな考えが第一にくる私は、

「貴重品がでてくるかもしれないから、チェックのために居るのかなぁ」

と疑心暗鬼になりながら黙々と作業を進めた。


すると、いつも間にか父親は、目を閉じ合掌してなにやら経文のようなものを唱え始めた。
てっきり

「亡くなった息子の冥福を祈ってるんだろう」

と思った。
しかし、違った。
父親は、明らかに私に向かって拝んでいたのである。作業であちこちと動いているうちに、父親が常に私の居る方へ向きを変えながら合掌・読経し続けていることに途中で気が付いたのである。
一体、何故?
ひとしきりの読経が終わると、父親は

「この作業にこんな若い人が来るとは思っていなかった。貴方が何故この仕事をしているかは分からないが、社会から嫌な思い受けることも少なくないでしょう。」

と私に言い、傍の妻には、私のことを指して

「死んで極楽に行けるのは、この人のような人間なんだよ。」

と言った。


妻は

「・・・そんなこと言ったら失礼よ!」

と返した後、私に

「縁起でもないことを言ってスイマセン・・・。」

と謝罪。


それでも父親は、その類の話をやめず、私への労い・感謝の気持ちと、親としての無責任さを恥じるような話を続けた。
ストレートな言葉から、その謙虚で誠実な人柄と責任感の強さがちゃんと私に伝わった。


この両親は、自分の子供がこんなこと(腐乱死体)になって色々な人に迷惑を掛けてしまっていることを重く受け止め、親として、なすべき責任を少しでもまっとうしようとしているのだった。だからこそ、悪臭漂うおぞましい現場に一緒に入っていたのである。
これには、逆に私の方が敬服。

息子を亡くした悲しみを抑えて、親として責任をとることを第一に考えるとは・・・こんな責任感の強い人にはなかなか出会えないものである。
片や、姉妹達は相変わらず嫌悪感丸出しで、玄関外で仏頂面(そのギャップに笑)。

惨めな気持ちになりやすいこの仕事に、強力なカンフル剤を打たれたようで、ありがたかった!嬉しかった!

ただし、人から拝まれるなんてめっそうもない!さすがに、それには恐縮しまくった!
ただの仕事として割り切るところは割り切って、時にはふざけた邪心を持ちながらやっている愚か者の私をそこまで高評してくれるなんて。

しつこく書いているように、一般には嫌悪されるこの仕事・・・父親の言葉に涙が零れ落ちて上を向けない私だった。
床の腐敗液を拭きながらうつむいたままの私に、

「どうしました?大丈夫ですか?」

と母親が声を掛けてくれた。
父親の言葉が心に沁みて泣けていたんだけど、

「ちょっと薬剤が目に染みちゃいまして・・・」

とごまかす私だった。



「親」と言えば・・・
6月6日掲載の「金がない」で保留になっていたその後の結末を追記しておこう。
代金は、故人の父親が約束通り支払ってくれた。そして、後日、丁寧な礼状と贈答品が送られてきた。

自分のケツを他人に拭かせるような親が目に付く昨今、まだまだちゃんとした親も多く居ることを気づかされ、少しホッとした。
同時に、

「結果オーライ」

と言ってしまえばそれまでだが、この仕事は代金未収のリスクを背負ってでも施行した判断は正しかった(良かった)と思った。



いくつになっても親は親、子は子。
親のある人、子を持つ人。親には孝行し、子には愛情をタップリと注ごう。



トラックバック 2006/07/03 10:00:30投稿分より

日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別れの時

2024-06-01 05:23:31 | 遺体処置
私は、もともと

「熱しにくく冷めやすい」

性格の持ち主だった。



乾いたクールさを格好いいと思っていた(勘違いしていた?)年頃でもあったのだろうか。
それが歳を重ねるごとに変化している。
妙に、

「情に脆くなった」

というか、

「涙もろくなってきた」

というか・・・。


そんな私であったから、若い頃は極めてクールにこの仕事をこなしてきた。割り切る所は割り切って(仕事でやっている以上は、今でもそういう時はあるが)。
そういう具合だから、20代の頃は、現場で涙を流すようなこともほとんどなかった。
しかし、そんな私でも、感極まった覚えが何度かある。



そのうちの一件。それは遺体処置の仕事だった。
亡くなったのは、当時の私と同年代の男性。業務上の事故死だった。

「事故死」

と言っても、特に目立った外傷はなく、まるで眠っているかのように健康的に見える故人だった。


彼は、まだ新婚ホヤホヤだった。
つい、何日か前に結婚式を挙げたばかりだったとのこと。
幸せな人生の節目を迎えたばかりの二人に、突然、悲しい別れが襲ったのである。



結婚式を挙げた数日後に葬式を出す事になった両家。
新妻はもちろん、それぞれの両親が集い、親達は遺体を取り囲んで号泣している。

「号泣」

とは、まさにこういう状態のことを指すのだろう。
ただ一人、新妻だけが放心状態、涙も枯れてしまったという感じで呆然としていた。


そんな過酷な雰囲気の中にいても、私は何とか職責をまっとうすべく冷静さを保っていた。
もちろん

「気の毒だなぁ」

とは思っていたけど、余計な感情移入や同情心は、逆に故人や遺族に失礼だという考えを持っていたのである(それは今でも変わらない)。



ちょっと脱線。
遺族に合わせて、わざとらしいくらいの悲しそうな表情をつくる偽善的演技には大きな抵抗がある。私は、どんな遺族に対しても柔和な自然体が一番いいと思っている。

もちろん、礼儀は重々わきまえなければならないし、誠実な気持ちで臨まなければならない仕事であることは充分に承知済み!

しかしながら、冷酷に思われるかもしれないが、仕事で接する遺体は、所詮、私にとっては赤の他人。気の毒に思ったり、一人一人の死を厳粛に受け止めたりすることはあっても、悲しさを覚えることはほとんどないのが正直なところ。

分かり易く例えると、知らないオジさんが死ぬとの、自分の父親が死ぬのとでは、感情・気持ちがまったく違うのと同じ。
それと同じ様なことが、死体業にも当てはまるのである。



話を戻す。
泣き叫び続ける遺族の動きに注意し、タイミングを見計らって死後処置を施した。
そして、柩に納棺。遺族がそんな状態だったものだから、いつもより余計に時間がかかり、神経も使った。
最後に柩の蓋を閉めようとした時、新妻が申し訳なさそうに私を静止した。
そして、

「結婚式場に着て行ったスーツだよ。天国に着て行ってね。」

と小さな声で呟きながら、遺体にスーツをかけ、その頬に最期の口づけをしたのである。

その時、私の目から涙がこぼれた。クールさを保っていたはずなのに・・・理由は自分でも分からない。とにかく、スーッと涙が流れ出てしまったのである。

・・・一体、何故、この新妻がこんなめに遭わなくてはならないのか。何故、この男性は死ななくてはならなかったのか・・・。
人生とは、皮肉な一面も持っている。そんな時は、善悪の感覚さえも麻痺してくる。
同情を超えた悲壮感と、憤り近い矛盾への不満感が私の中に湧き上がってきたのである。

私は泣いたのではない。とにかく、勝手に?涙が流れたのである。
今でも、ハッキリとしたその理由は分からない。その時涙が流れた本当の理由を知りたければ、まだまだ鍛錬を積むしかないのかも。


あと、これは私がやった仕事ではなく、ずっと以前に同僚(女性)がやった仕事なのだが、これも究極的な話なので追記しておく。
ある妊婦が、出産を終えて直ぐに亡くなった。生まれたばかりの赤ちゃんも一緒に。

母親は赤ちゃんを胸に抱き、赤ちゃんは母親の腕に抱かれるようにした状態で二人を柩に納めたとのこと。
二人の死の原因は、知ることはできなかった(知る必要もない)が、その話を聞いて気分が暗闇に落ちた。

「なんで?なんでだ?なんでなんだ?・・・」

と、前記の新婚カップルの時と同じような気分になった。
夫の気持ちを考えると・・・言葉に詰まる。
ただ唯一、二人を別々ではなく一つの柩に納めることができたことが、わずかな救いだった。



今回は、悲しくも現実である二つの別れを紹介した。
これを読んで、思う事や感じる事、受け取り方は人それぞれ異なると思う。それでいい。
だた、私は、それぞれ残された妻と夫が、先に逝った愛すべき人を想いながら、今は元気に立ち直って明るく生きていることを願うばかりである。



そして、私は、今日も誰かの別れの時に携わるのである。


トラックバック 2006/07/01 09:50:39投稿分より

-1989年設立―
特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社

お急ぎの方は
0120-74-4949
(365日24時間受付)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする