特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

別れの時

2024-06-01 05:23:31 | 遺体処置
私は、もともと

「熱しにくく冷めやすい」

性格の持ち主だった。



乾いたクールさを格好いいと思っていた(勘違いしていた?)年頃でもあったのだろうか。
それが歳を重ねるごとに変化している。
妙に、

「情に脆くなった」

というか、

「涙もろくなってきた」

というか・・・。


そんな私であったから、若い頃は極めてクールにこの仕事をこなしてきた。割り切る所は割り切って(仕事でやっている以上は、今でもそういう時はあるが)。
そういう具合だから、20代の頃は、現場で涙を流すようなこともほとんどなかった。
しかし、そんな私でも、感極まった覚えが何度かある。



そのうちの一件。それは遺体処置の仕事だった。
亡くなったのは、当時の私と同年代の男性。業務上の事故死だった。

「事故死」

と言っても、特に目立った外傷はなく、まるで眠っているかのように健康的に見える故人だった。


彼は、まだ新婚ホヤホヤだった。
つい、何日か前に結婚式を挙げたばかりだったとのこと。
幸せな人生の節目を迎えたばかりの二人に、突然、悲しい別れが襲ったのである。



結婚式を挙げた数日後に葬式を出す事になった両家。
新妻はもちろん、それぞれの両親が集い、親達は遺体を取り囲んで号泣している。

「号泣」

とは、まさにこういう状態のことを指すのだろう。
ただ一人、新妻だけが放心状態、涙も枯れてしまったという感じで呆然としていた。


そんな過酷な雰囲気の中にいても、私は何とか職責をまっとうすべく冷静さを保っていた。
もちろん

「気の毒だなぁ」

とは思っていたけど、余計な感情移入や同情心は、逆に故人や遺族に失礼だという考えを持っていたのである(それは今でも変わらない)。



ちょっと脱線。
遺族に合わせて、わざとらしいくらいの悲しそうな表情をつくる偽善的演技には大きな抵抗がある。私は、どんな遺族に対しても柔和な自然体が一番いいと思っている。

もちろん、礼儀は重々わきまえなければならないし、誠実な気持ちで臨まなければならない仕事であることは充分に承知済み!

しかしながら、冷酷に思われるかもしれないが、仕事で接する遺体は、所詮、私にとっては赤の他人。気の毒に思ったり、一人一人の死を厳粛に受け止めたりすることはあっても、悲しさを覚えることはほとんどないのが正直なところ。

分かり易く例えると、知らないオジさんが死ぬとの、自分の父親が死ぬのとでは、感情・気持ちがまったく違うのと同じ。
それと同じ様なことが、死体業にも当てはまるのである。



話を戻す。
泣き叫び続ける遺族の動きに注意し、タイミングを見計らって死後処置を施した。
そして、柩に納棺。遺族がそんな状態だったものだから、いつもより余計に時間がかかり、神経も使った。
最後に柩の蓋を閉めようとした時、新妻が申し訳なさそうに私を静止した。
そして、

「結婚式場に着て行ったスーツだよ。天国に着て行ってね。」

と小さな声で呟きながら、遺体にスーツをかけ、その頬に最期の口づけをしたのである。

その時、私の目から涙がこぼれた。クールさを保っていたはずなのに・・・理由は自分でも分からない。とにかく、スーッと涙が流れ出てしまったのである。

・・・一体、何故、この新妻がこんなめに遭わなくてはならないのか。何故、この男性は死ななくてはならなかったのか・・・。
人生とは、皮肉な一面も持っている。そんな時は、善悪の感覚さえも麻痺してくる。
同情を超えた悲壮感と、憤り近い矛盾への不満感が私の中に湧き上がってきたのである。

私は泣いたのではない。とにかく、勝手に?涙が流れたのである。
今でも、ハッキリとしたその理由は分からない。その時涙が流れた本当の理由を知りたければ、まだまだ鍛錬を積むしかないのかも。


あと、これは私がやった仕事ではなく、ずっと以前に同僚(女性)がやった仕事なのだが、これも究極的な話なので追記しておく。
ある妊婦が、出産を終えて直ぐに亡くなった。生まれたばかりの赤ちゃんも一緒に。

母親は赤ちゃんを胸に抱き、赤ちゃんは母親の腕に抱かれるようにした状態で二人を柩に納めたとのこと。
二人の死の原因は、知ることはできなかった(知る必要もない)が、その話を聞いて気分が暗闇に落ちた。

「なんで?なんでだ?なんでなんだ?・・・」

と、前記の新婚カップルの時と同じような気分になった。
夫の気持ちを考えると・・・言葉に詰まる。
ただ唯一、二人を別々ではなく一つの柩に納めることができたことが、わずかな救いだった。



今回は、悲しくも現実である二つの別れを紹介した。
これを読んで、思う事や感じる事、受け取り方は人それぞれ異なると思う。それでいい。
だた、私は、それぞれ残された妻と夫が、先に逝った愛すべき人を想いながら、今は元気に立ち直って明るく生きていることを願うばかりである。



そして、私は、今日も誰かの別れの時に携わるのである。


トラックバック 2006/07/01 09:50:39投稿分より

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コメント (1)
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