特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

残された時間 ~続編~

2022-03-02 07:00:52 | その他
2022年も3月に入った。
まだまだ朝晩は冷え込むものの、暦の上では、もう春。
晴天に恵まれた昼間には春暖が感じられるようになり、じきに桜の蕾もふくらんでくるはず。
そして、今日は2日。
昨年3月2日に亡くなった“K子さん”の命日。
(※2021年1月26日 1月30日 2月3日「残された時間」参照)
一昨年12月3日に「余命二か月」と宣告された自分の死期について、
「医師も用心して余命は“最短”で言うでしょうから、“桜が見れるかどうか・・・”ってところでしょうかね・・・」
と言っていたK子さんだったが、結局、その命は、桜が咲くまでもたなかった。

当初、この「続編」は、もっと早く書くつもりでいた。
・・・正確にいうと「書けるつもりでいた」。
想いが強すぎるせいか、書きたくても、言葉(文章)として、うまく文字を並べることができず。
薄情な私のことだから、「悲しみに暮れている」とか「心の悼みが癒えていない」とか、そういうことではないのだが、出会ってからのこと、亡くなる前後のことを想い出すと、色々なことが溢れてきて、まったく頭の整理がつかず。
結局、いつまでたっても書くことができず、一年が経過してしまった次第。

出会いは、一昨年、2020年12月9日の電話。
「余命二か月」を宣告された上での生前相談だった。
しかし、抱えている問題に反して、K子さんが、あまりに平然と、また淡々と話すものだから、はじめ、私は「冗談?」「いたずら?」と疑った。
ただ、話は事実であり現実であり・・・その後の関りはブログ三篇に記した通り。
この世での付き合いは、二か月程度の極めて短いものとなったが、同時に、二度と得られないような濃い時間となった。

もちろん、K子さんのことをブログに書くことは、本人も了承済みだった。
2021年1月26日に「前編」をあげると、早速、読んでくれたらしく、翌日には、
「うお!? 
なんかもしかして、ブログに登場してきましたかワタシ!?
なんかすごい嬉しいです。
でも私へのお気遣いは全く無用ですので、お好きなように書いちゃってくださいね!!
お返事はいりませんよ~」(原文のまま)
と、メッセージを入れてくれた。
喜ぶような場面ではないのに、とても喜んでくれたK子さんに、私は、何やら、自分に存在価値のようなものを感じ、場違いも省みず、少し誇らしく思ってしまった。

また、後日には
「私はブログを拝見しながら ずっと“この人とお友達になりたいなぁ”と思っていたことを思い出しました。」
「私が死ぬことで、友人達に何かの芽が発芽してくれたら、こんなに嬉しいことはないなぁと思いました。」(※「一粒の麦」の話から)
とのメッセージを送ってくれた。

最期に会ったのは、宣告された二か月が経過した2021年2月6日の午後。
癌は確実に進行しており、その前に会ったときに比べて体調は明らかに悪化。
それは、K子さんの動作や口調から、ハッキリ見てとれた。
とりわけ、頭(脳)に支障をきたし始めていたようで、著しい物忘れに苦悩。
TVのリモコン操作や冷蔵庫から飲み物を出してコップに注ぐといった、極めて簡単な日常的動作も、ゆっくり考えながらでないとできないくらいに。
それは本人も自覚しており・・・次第にダメになっていく自分を、培ってきた精神力でやっと支えているといった感じだった。

そこでも、色々な話をした。
K子さんについて書いたブログの話もした。
私が、独りよがりであることを承知のうえで、
「とにかく、K子さんに読んでもらいたい一心で書きました!」
「一文字一文字を渾身の想いで打ちました!」
と伝えると、
「ありがとうございます・・・何度も読み返しますね」
と、穏やかな表情で私に礼を言ってくれた。
一方、泣きたいのはK子さんの方だったのかもしれなかったのに、何故か、私の目には、薄っすらと涙が・・・
悲哀?同情?感傷?達成感?独善?、それは、得体の知れない涙だった。

K子さんは、“死”というものについて、私が、どういう概念を持っているのか尋ねてきた。
私は、
「この肉体は、この世の服みたいなもので、“死”というものは、それを脱いで天の故郷に帰ることみたいに思っています」
と応えた。
すると、同意するでもなく反論するでもなく、ただ、
「そうなんですか・・・なるほどね・・・」
と、不思議そうな表情を浮かべ、その後、感慨深げにうなずいた。

「“人生は楽しまないと損”と思いますか?」
と問うと、
「そうは思いません・・・後悔はありますけど、“楽しまなきゃ損”と言う考え方は、何だか薄っぺらく思えますね」
と応えてくれた。
幸せな話の少なかったK子さんだったが、それでも、ここまで生き抜いてきたことに ささやかな誇りを感じ、また、ここまで生かされてきたことに ささやかな幸せを感じているようでもあった。

それまでのやりとりの中で、私が、無神経なくせに神経質な人間であることは充分に伝わっていたはずだったので、
「私に友達がいない理由が少しはわかるでしょ?」
と言うと、
「私は、勝手に友達だと思っていますよ」
と愛嬌タップリに応えてくれた。
私は、素直に嬉しかった。

「死ぬのはいいけど、苦痛だけは困る」
K子さんは、何度もそう言っていた。
“死”への恐怖ではなく、身体的苦痛への恐怖感は強かったよう。
頼みの綱だった麻薬系の薬も効きにくくなり、痛みに襲われたときは、かなり辛かったみたい。
あまりに辛いときは、耐えきれず、規定量を超えて薬を服用。
その効果で、一時的に痛みは軽減するものの、同時に、それは頭(脳)へ大きなダメージを与えた。

「あと、二度でも三度でも会いたいなぁ・・・」
K子さんは、私にそう言ってくれた。
誰かに必要とされることが少ない人生を生きてきた私には、ありがたい言葉だった。
ましてや、K子さんが最期を迎えるにつき、私が役に立つことがあったとすれば、「ここまで生きてきた甲斐があった」いうもの。
ただ、K子さんは、その言葉の後に、
「でも・・・それで死ぬのがイヤになったら困るな・・・」
と、寂しげにつぶやいた。

ときに、時間は残酷なもの・・・
差し迫っている現実は、夢の話ではなく抗いようのない事実なわけで・・・
その言葉に、私は、今までに覚えたことがないくらいの切なさを覚え、返す言葉を見つけられず、その場に流れる静かな時間の中をさ迷うばかりだった。

そんな中で、私は、K子さんに三つのお願いごとをした。
一つ目は、
「亡くなったときは私にも連絡が入るようにしておいてほしい」ということ。
これについては、
「友達に頼むしかないけど、何か方法を考えておきます」
とのことだった。

二つ目は、
「死んだ後、何らかの合図を送ってほしい」というもの。
何という無茶なお願いだろう・・・
フツーなら、かなり無神経、かなり不躾、また、酷な言葉のはずだが、K子さんと“死”を語るのはタブーではなく、“死”は、我々の関係性の中心にあるものだった。
「死んでから、できることなら、何か合図みたいなものを送ってくださいよ」
「ラップ音とか?」
「そうそう!」
「え~!? なんか、恐くないですかぁ?」
「普通だったら恐いでしょうけど、不可解な現象があったらK子さんだと思いますから」
「そうですかぁ・・・」
「(心霊写真のように)スマホの画像に写り込んでもいいですよ!」
「いやぁ~!・・・さすがに、そんな図々しいマネできませんよぉ~!」
と、二人で、真剣な話を冗談のように話して笑った。

三つ目は、
「最期を迎えるにあたって、思いついたこと何でもいいから、率直な想いを言葉にして残してほしい」というもの。
それまでにも、色々な考えや想いを伝えてもらっていたが、まだまだ聞きたいこと知りたいことが尽きなかった私は、以降も、その心持ち吐露してほしくて、そんなお願いをした。
それが、K子さんがいなくなってからも続くであろう自分の人生において貴重な糧になると考えたのだ。
しかし、その後、K子さんの体調は急激に悪化し、メールを打つこともままならない状態になってしまった。

最後に文章らしい文章が届いたのは、2021年2月8日23:12のこと。
「なかなかお返事できなくてすみません。メールが打てなくなったら、次は入力がほとんどできなくなりました。
日々退化しているようです
メール打つのもすごく時間がかかります
このままではめーるすら打てなくなるかもと焦っています
キーボードも日々打てなくなっていて、今現在は退化しているかもです」(原文のまま)

そして、生前最後の言葉は、その少し後、2月9日0:29に受信。
最後に、私に伝えたいことがあったのか・・・
意識が朦朧とする中で、必死の想いでスマホを打ったのだろう・・・
受信したのは「もっといっぱさん」の八文字。それだけ。
一見、意味不明な言葉だが、私には、その意味がすぐにわかった。
「もっと、いっぱい話したかった」
私は、そう受け止めた・・・間違いなくそのはずだった。
元来の薄情者のくせに、その人間性を無視するかのように、私の目には涙が滲んだ。
「“もっと、いっぱい話したい”ですよね? 言葉にならなくても、その想いは伝わってますよ!」
と、私は、すぐにメッセージを返した。
事実、私も、もっとたくさんのことを訊きたかったし、聞きたかったし、話したかった。
が、しかし、もう“K子さん”からメッセージが送られてくることはなかった。

そのまま音信は途絶え、安否がわからぬまま一か月が過ぎ・・・
3月9日の午後、会社に一本の電話が入った。
私宛で、要件は「“K子さん”の件」とのこと。
私は、某腐乱死体ゴミ部屋での作業を終えて、次の現場へ移動するため車を走らせていた。会社から知らせを受けた私には、話の内容が何であるか、すぐに察しがついた。
車をとめ、伝えられた番号に電話をすると、相手は「K子さんの友人」を名乗る女性だった。

K子さんが自宅から病院に移ったのは2月18日。
つまり、「できるだけ自宅に居たい」と言っていた通り、私に最後のメッセージを送ってから、10日も自宅で頑張っていたわけ。
容赦なく襲ってくる苦痛・・・
急速に失われていく自我・・・
日々、医療スタッフが訪れてサポートしていたはずだけど、さぞツラかったことだろう。
癌は脳にまで転移。
モルヒネを打つほかに苦痛を和らげる手はなく、あとは死を待つばかり・・・
その頃は、もう意識も混濁し、自分のこともわからなくなっていたそう。
最期は昏睡状態。
そうして、3月2日、K子さんは、その生涯に幕を降ろしたのだった。

K子さんの死を知った私は、一人、運転席で涙。
音信不通になってから、「もう亡くなったのかもな・・・」と覚悟はしていたのだが、実際に、その知らせを受けてみると、おとなしくしていた感情が噴出。
「悲しい」とか「寂しい」とか、そういうのではなく、「わびしい」「切ない」みたいな感情がドッと沸いてきた。
そして、その、今まで味わったことがない何ともいえない心持ちは、しばらく私の心を支配し、私を感情的にしたり落ち込ませたり、逆に、落ち着かせたり奮い立たせたりした。
また、K子さんと関わるきっかけとなったのは、遺品整理の生前相談だったのだが、遠戚の親族も相続を放棄し、結局、その遺品整理を当社が契約するには至らなかった。

ただ、話は、これで終わりではなく・・・
K子さんの死を知ってから三日後の3月12日8:42、私のスマホがSMSを受信。
なんと、送信元はK子さんのスマホ。
会社にいた私は、「え!?」と、周りの者が振り向くくらい、驚きの声を上げた。
まさか、亡くなったはずのK子さんからメッセージが届くなんて・・・
すかさず画面を開くと、そこには、「書き方かか」の文字が。
おそらく、「もっといっぱさん」と送った後に、「書き方が」と・・・「書き方がわからなくなってきた」と打とうとしたのだろう・・・
しかし、それも最後まで打つことができず、送信ボタンさえ押せず・・・
そんな極限状態になってまで、私に言葉を送ってくれようとしていたなんて・・・
多分、スマホの契約が解除される際に、未送信メッセージが処理されて私に届いただけのことなのだろうけど、私には、それがK子さんに話した“二つ目のお願い事”のように感じられ、あり余る想いに胸がいっぱいに・・・
そうして、それをもって、今生におけるK子さんとの関りは、すべて終わったのだった。


誰の命にも終わりがある。
誰の人生にも終わりがくる。
いずれは、誰しも死んで逝く。
言われなくてもわかっている。
しかし、人間は、どこまでも愚かで、どこまでも無力。
「生きている」という、その奇跡的な希少性を蔑にし、目の前の雑事に心を奪われ、小さなことにつまずき、克己を忘れ、大切な時間を空費してしまう。

K子さんとは、本当に短い付き合いだった。
しかし、とてつもなく濃い時間だった。
そして、本当に稀有な出逢いだった。
多分、この先、こんな出逢いは、二度とないだろう。
仮に、あったとしても、K子さんくらい明るく死と向き合う人はいないと思う。
幼少期から過酷な経験をし、苦労の連続で、辛酸を舐めたことも多々あり・・・
「“よく死なずに生き続けてこれたな・・・”と自分でも思います」と、話していた。
そこには、病魔に襲われ、家も家族(愛猫)も仕事も奪われ、余命二か月を宣告され、それでも、「前向き」という言葉が陳腐に感じられるくらい明るく生きる姿があった。
世間の片隅で、自分の人生を生き抜いた一人の女性の、泣き笑い、幸せと不幸があった。
そこから“一粒の麦”をもらった私は、これからの人生で、それを咲かせ 実らせるべきなのだろう。

私は、「生涯 忘れません」と約束した。
だからでもないが、K子さんのことは、今でもよく思い出す。
目には見えず、耳にも聞こえず、肌にも感じられないけど、どこかで強い味方になってくれているような気がしている。
そして、その度に、透明な空気の中から「かんばって!」と応援してくれる声がきこえてくるような気がするのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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