特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

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2022-02-22 07:00:50 | コロナ死亡現場
一昨日、北京冬季オリンピックがやっと終わった。
TVは、連日、オリンピックの話題に終始。
各局、同じことの繰り返しで、飽き飽きするような放送ばかり。
一部(大勢?)の人の間では、かなり盛り上がっていたようだが、私は、げんなり・うんざり。
昨夏の東京大会同様、「大のオリンピック嫌い」と言っても過言ではない私にとっては、ある意味、薄暗いトンネルの中にいるような状態だった。

一方で、コロナ関連のニュースは、同じことの繰り返しでも、飽きずに観てしまう。
自分の生活や身に直結することだから、やはり、関心がある。
で、知っての通り、今、減少傾向にあるとはいえ、それでも、第六波の感染者数は凄まじいことになっている。
「ピークアウトしている」といった見方が大勢のようだが、こんな状況ではピークアウトもへったくれもないように思う。
現に、重症者や死亡者は増加傾向にあるし、感染者が増えている県もある。
また、医療従事者をはじめ、大変な思いをしている人もたくさんいるわけだし。

人の不幸を横目に「幸い」と言ってはいけないのだが、幸い、まだ、私自身は感染しておらず、直接の知り合いにも感染者は発生していない。
が、東京では“ステルス”も確認されたようだし、こうなってくると、自分が、いつ感染してもおかしくない。
まずは、はやいところ三回目のワクチンを打ちたい。
とりわけ、高齢の両親には、はやいところワクチンが回ってきてほしい。
いずれは、死に別れなければならない時がくるとわかってはいても、できるかぎりの策を講じて、やっと覚えた親孝行したい気持ちを少しでも具現化したいから。

どちらにしろ、現実的には、自分が感染してしまうことや、身近なところで感染者が発生してしまうことも想定しておかなければならない。
そうなると、生活は一変するだろう。
自分が濃厚接触者になったらどうすればいいのか、
検査が迅速に受けられるのかどうか、
感染したら、ただちに病院にかかれるのかどうか、症状はどの程度か、
不安は尽きない。

私は、ワクチンを二回打っているから、少しは、それが安心材料になっている。
ワクチンを打っている人とそうでない人の重症化リスクには差があるらしいから、可能性の問題とはいえ望みはある。
ただ、打てない事情はなく、自らの意思でワクチンを打たなかった人は、今、どういう心境だろう。
私の周りにも何人かいるが、私の目に、そういう人達は、ワクチンについてネガティブな情報ばかりをかき集めているように見える。
しかも、真偽が定かではないようなネット情報ばかりを。
“オミクロン”や“ステルス”が出現するなんて想定してなかったはずで、中には、「打っとけばよかった・・・」と後悔している人もいるのではないだろうか。
とにもかくにも、その想いは、未接種者に対する“優しさ”や“思いやり”からきているのではない。
何かに勝ったときの感覚みたいな、妙な優越感からきているもの。
そんな感情を抱いてしまうところに、私の弱点があるわけで、そういう性質が治らないかぎり、私はダメな人間のままなのだろうと残念に思う。



訪れた現場は、賃貸アパートの一室。
「老朽」というほど傷んでもなかったが、やや古め。
間取りは、狭い1R。
地域の相場に比べれば、割安の物件。
そこで、住人であった中年男性が死去。
わりと早く発見されたため、特段の汚染や異臭はなかった。

ただ、部屋は、男の一人暮らしにありがちな状態。
ロクに掃除もされておらず、そこら中、ホコリまみれカビまみれ。
生活用品やゴミも散らかり放題。
お世辞にも「きれい」と言える部分は、片隅もなし。
ただ、自分で暮らせはしないけど、このくらいの不衛生さは、私にとっては軽症。
ここよりはるかにハードな現場も数多く処理してきたわけだから、いちいち驚くほどのこともなかった。

気になることは他にあった。
それは故人の死因。
不動産管理会社から伝えられた死因は「新型コロナウイルス」。
つまり、今、流行っているヤツの原型。
どういう経緯で死因がコロナだと判明したのかまでは知らされなかったが、故人がコロナに感染していたことは事実のよう。
今と同様、皆がコロナに警戒しているときで、管理会社も「あとはヨロシク!」といった具合に作業を丸投げしてきた。

「気がすすまないなぁ・・・」
死因が新型コロナウイルスであることを知った私は、そんな風に思った。
今よりも更に未知の部分が多かったあの時期だったら、大抵の人がそう思うだろう。
が、こういう現場に先陣を切るのは“特掃隊長”の役目だったりもするわけで・・・
どちらにしろ、他に進んで行ってくれる者はおらず、立場的に他の誰かを行かせることもできず・・・
どこをどう考えても、私が、この現場を避けることは無理な状況・・・
キッパリ諦めて、自分を差し出すほかなかった。

調べたところ、住処(人体)を失ったウイルスは、いつまでも生きているわけではないらしい。
うまく生き延びられたとしても、2~3日のもの。
仮に、部屋にウイルスが残留していたとしても、故人が亡くなってから数日も間を空ければ、ウイルスはすべて死滅するはず。
ということは、それだけの期間を空ければ安全ということ。
更に、いつもやっている消毒を施せば、万全になる。
しかし、しかしだ、それは、あくまで、よそでの研究結果。
今回のコロナウイルスには未解明な部分が多く残っており、おまけに、一度もワクチンを打っていなかった私は、不安がなくはなかった。

アパートの他の住人も、故人がコロナで亡くなったことを承知。
同時に、コロナウイルスに嫌悪感や恐怖心を抱いていた。
だから、周辺で居合わせた誰も、故人の部屋には近づかず。
その部屋に出入りする私をも警戒し、バイキンから逃げるように、そそくさと姿を消した。
中には、「ドアや窓を開けっぱなしにしないで!」と、遠くから言ってくる人もいた。

しかし、そんな状況でも、隣室の初老男性だけは態度が違った。
故人と親しく付き合っていたようで、マスク着用で一定の距離を保ちながらも、
「(死因を)聞いてるよね?」「大丈夫?」「気をつけてね!」
と、優しい言葉をかけてくれた。
これには、随分と気持ちが癒された。

部屋に残留しているかもしれないコロナウイルスが死滅するのと待つため、私は、作業に着手するまでは、充分な期間を設けた。
その上で、念入りに消毒を実施。
更に、本件に携わるスタッフも最少人数に限定。
そして、室内での作業は、ほとんど私一人で行った。

部屋の始末が終わると、もう、この部屋からコロナに感染する心配はまったくなくなった。
隣室の男性も、安心したようで、
「大変だったでしょ・・・ご苦労様でした」
と、私を労ってくれた。
そして、
「あれじゃ、コロナにかかっても仕方がないよ・・・」
と、故人との想い出を話し始めた。


故人が、このアパートに越してきたのは、数年前。
男性と、ほぼ同時期。
故人が、引っ越しの挨拶に来たのが最初の会話だったそう。
話してみると、歳も同じくらいで、境遇も似たようなもの。
独り身の寂しさも手伝ってか、親しみを覚えた。
そして、あるとき、偶然、近所と居酒屋で居合わせ、一緒に酒を飲んだことがあった。
それを機に、男性と故人の距離は一気に縮まり、親しく付き合うようになった。

二人とも酒が好きで、コロナ前は、外で一緒に酒を飲むことも多々あった。
ただ、お互い、仕事の話はほとんどせず。
お互い、紆余曲折があって、このアパートに転がり住んだ身の上。
下り坂にさしかかった人生、再起を期して、新しい生活をスタートさせたのかも・・・
過去に仕事がうまくいっていたら、こんな境遇には陥らなかったかもしれず・・・
そんなところで、仕事の話をしたって、楽しい会話になるはずもなく・・・
だったら、そんなネタを捨て置いた方がいいわけで、仕事のことは詳しく訊かず、話さず・・・それが暗黙のルールになりマナーになった。

楽しい酒の席で仕事の話をするのがナンセンスであることは、何となく私にもわかる。
昔、仕事の自慢話や愚痴を聞かされながら酒を飲んだことが何度かあるが、そのつまらないことといったら、もう、腹が立つくらい。
せっかくの美味い酒が台なしになる。
また、私に至っては、仕事の話をした日には、酒がマズくなるどころか吐いてしまうかもしれないし。
で、男性も、故人の仕事の詳しい事情は知らず。
ただ、故人の様子をみていると、コロナの煽りを喰って、うまくいかなくなっていたことは何となく察することができた。

コロナが流行りだしてから、男性は、不要不急の外出は自粛。
世間の風潮に合わせてマスク生活を送るように。
しかし、一方の故人は、そんなこと一向にお構いなし。
マスクをつけることはなく、
男性が、「マスクくらい着けた方がいい!」「飲みに行くのはやめた方がいい!」といくら忠告しても、まったくきかず。
マスクを着けることはなく、パチンコに行ったり、飲みに出かけたりと、生活スタイルを変えることはなかった。

コロナ前、故人は、羽振りがよさそうにしていた時期もあった。
しかし、コロナが流行りだしてからは、キチンと仕事をしている風ではなかったよう。
故人は、自分の努力や忍耐ではどうにもできないコロナ不況に陥っていたのかも。
その姿は、どこか、「ヤケクソ気味」というか、「投げやりになっている」というか、自暴自棄になっているように映った。
故人の死因は、あくまでコロナウイルスによるものだったし、男性が「自殺」という言葉を使ったわけではなかったけど、男性の語り口には、それを匂わせるものがあった。
そして、それは、私に、ありがちな同情心と、えも言われぬ緊張感を覚えさせたのだった。


コロナが世界で流行りはじめた頃、確か、ハーバード大学の研究チームだったと思うが、
「このコロナ禍は、波と凪を繰り返しながら三~四年続く」
という予想を発表したことがあった。
それを聞いた私は、
「まさか・・・」
と、耳を疑った。
「頭のいい人達の考えだから、まったくの見当違いってこともないんだろうけど・・・」
と思いつつも、
「さすがに、それはないだろぉ・・・」
と、ほとんど信用しなかった。

しかし、現実はどうだ・・・
コロナ禍は、三年目に入る。
そして、オミクロンの後にステルスオミクロンまで出てきて、第七波の襲来も想像だけでは済まなそう。
ということは、コロナ禍が年内でおさまることは考えにくく、前記の研究チームのシュミレーション通りになるのは、ほぼ確実。

多くの庶民は、切り崩せる貯えに限界をもつ。
減っていく一方の仕事と貯金を前にすると不安感は大きくなるばかり。
誰かのせいにしたくても誰のせいにもできない現実。
誰かに助けてもらいたくても誰も助けてくれない現実。
心が折れない方がおかしいくらい。
先の見えない暗闇にあって、「この先、どうやって生きていけばいいのか・・・」と頭を抱えている人も多いはず。

コロナウイルスで亡くなる人、コロナ苦で亡くなる人、また、コロナ禍で死にそうになっている人は、世界にたくさんいる。
絶望の淵をさまよいながら、冷たい雨に打たれながら、暗闇に怯えながら、
「自殺はご免、だけど、生きているのもツラい・・・」
と、一日一日を、必死の思いでやり過ごしている人も少なくないのではないだろうか。
「何のために、そうまでして生きなければならないのか・・・」
と、自問している人も少なくないのではないだろうか。

しかし、このトンネルにも出口はある。
今は、まだ見えていないだけ。
ただ、ここまで打ちのめされると、「明けない夜はない」「やまない雨はない」等といった安売りされた精神論は役に立たない。
残念ながら、それを自分に信じ込ませるだけでは、出口まで元気に歩き切る力を得ることはできない。

そう考えると、人に死があること、人生に終わりがあることは、救いなのかもしれない。
信じようが信じまいが、“死”という“出口”は誰にもあるのだから。
そして、出口までの距離は、自分が恐れているほど遠くない。
振り返ってみればアッという間だったりする。
だったら、たまには、闊歩してみようか。
下を向いてトボトボ歩こうが、上を向いてサクサク歩こうが、暗いトンネルを歩かなきゃならないことに変わりはないのだから。

・・・と、こうして、長々と文字を連ねながら、いつまでも明るい出口が見えない自分を励ましているダメ親父なのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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