特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

毎度ありー!

2024-07-05 05:25:50 | その他
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」「またヨロシクお願いします」etc、何気ないこのセリフは、色々な店や仕事で当り前に使われている言葉。
しかし、私の仕事にこのセリフはない。
「ご愁傷様です」に始まり「お疲れ様でした」で終わる。

何かを得ようと、何年か前、知人に頼んで飲食店で働かせてもらったことがある。
夜の時間だけ、無償で。
誰にも遠慮しないで済む笑顔と、「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」「またヨロシクお願いします!」と堂々と言える仕事が新鮮だった。新しい自分を発見できて爽快感みたいなものを覚えた。
かったるそうに働いているバイト学生に反して、私は楽しさすら覚えた。
そのバイト学生に私の本職を話したら、「ウェーッ!その手で食い物を触って大丈夫ですか?」とストレートに嫌悪された。
私とは随分と年下の若者だったが、あまりにインパクトのある仕事に礼儀も忘れて本音がでてしまったのだろう。


「これから世の中をうまく渡っていくためには、力のある者の言いなりになること、とにかく頭を下げること、本音とたて前をうまく使い分けること・・・そして社交辞令を覚えることが必要だぞ!」と思いながら、「遠慮のないヤツだなぁ」と苦笑いするしかなかった。そして、悲観するでもなく卑屈になる訳でもなく、「やっぱ、これが現実なんだよな」とあらためて思ったものだ。
人間が「死」を忌み嫌う本質を持っていること、人間が生存本能を持っていることを考えると彼(社会)の表す態度は極めて当然かつ自然なことで、仕方のないことだと思っている。

それが耐えられないなら、死体業なんかやらなきゃいいだけ。
それに耐えられる人だけがやる仕事。
それに耐えなきゃ生きていけない人がやる仕事。

「他人からみると悲惨に見えることが、当人にとってはそれ程でもない」と言う類のことは、私だけのことではなく世間一般によくあることだと思う。
自分では難なくやっているこの仕事。
でも、正直言うと、親類縁者・友人知人にはやらせたくない。

「職業に上下はない」と言うのはきれい事、職業に上下はある!
明らかに社会的地位の低い死体業、その中でも特掃業務は更に下を行く最低の仕事だ。
しかし、その中にもわずかな「最高」がある。
例えて言うと、ウジ・ハエがたかるウ○コの中に、砂粒ほどのダイヤモンドが一粒入っているようなもの。
そんな小さなダイヤなんかには、誰も価値や魅力を感じない。
しかも、それがウ○コの中にあるとなれば、価値がないどころか皆が嫌悪感を覚える。
でも、どんなに小さくても、どんなに汚くてもダイヤはダイヤ。
その輝きに偽りはない。
誰も知る事ができないその価値を、自分だけが気づいていると思うとちょっと鼻が高い(低次元の自己満足?)。

私は声を小にして言いたい。
「死体業は最低の仕事だ!しかし最高の仕事でもある!」

依頼された仕事を完了させ遺族に挨拶するときは、だいたい「今後、再びお目にかかることがないように・・・」という言葉を掛ける。
自分で言っててちょっと寂しいけど、そんな言葉を掛けられた遺族も返す言葉に詰まる。
遺族も、私の仕事の苛酷さを気遣ってくれようとするのだが、適切な言葉が瞬時には見つからない様子。
私は、いつもの社交辞令が使えないやっかいな相手、変な気を使わせてしまう相手なのだろう。
また、自分の子供とダブらせて私のことを不憫に思うのか、初老の女性には泣かれることが多い。
それが一時的な同情心であっても、赤の他人である私のことを思って泣いてくれる人がいるだけで感謝なことだ。

あまりいないけど、「どのくらいこの仕事をやっているのか?」「何故、この仕事をやっているのか?」を訊いてくる人もいる。
そんな人は、「この男には余程の事情があるのだろう」という表情をしながら、その疑問に対する好奇心が抑えられなくて訊いてくるみたい。
現場にはお喋りに行く訳ではないので詳しい話はしないけど、要点を絞って正直に話している。
あと、雰囲気が神妙になると困るので、我慢して凝った自論は避ける。
「余程の事情」は、皆それぞれが持って生きているもの。
「余程の事情」があるから人生はドラマになる。

居酒屋でビールジョッキを傾けながら聞こえる店員の威勢のいい声が心地いい。
私もたまには、「毎度ありー!」と元気に言える仕事をしてみたいものだ。
洗い物は得意だしね(笑)


トラックバック 2006/08/01 09:25:46投稿分より
コメント
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