沈丁花の匂いに。
淡い雨のなかで、湿度が高いためか、いろいろな春の花が香る。
今日も丁寧に過ごした。
体力が戻って来たので、また少しチェロを弾きはじめ、そうすると指につたわる絃の振動にいやされる。
感謝。
「プネウマ・シェル」「セデス・カデンツァ」、チェリー・トート・ロードの第12、13話を「さゆらもゆら…」にアップしました。
この物語の結末がイースターに重なるので、アップを急いでいます
ゆったりしたよい休日を皆さんお過ごしください。
「海の器」の装丁原案が届いた。こちらの希望を容れてくださって、とても好ましい。
少女と少女と少年また青年、湘南の海と風、渚にしぶく夏の潮、秋の梢、冬の淡雪、ひろびろと豊かな緑の森や草花、そんなものをモデルにこの人たちを書いたこと、そしてちょうどそのころ夢中になってデッサンに明け暮れていたことを思い出す。
表紙の絵はその頃描いたブーケ。
あのころ、わたしの絵を買ってくださった、いくたりかのなつかしいひとに差し上げようと思っている。
四月に上梓の予定。うれしい。
そして、なつかしい思い出よりも、いつも今が一番、と言える日々を過ごしたい。
感謝。
午後、仕事がキャンセルになったので、海に出かけた。
夫と一緒に出掛けて、七里ヶ浜で写真を撮ってもらった。
家に帰ってみてみたら、陽射しがまぶしい顔をしている。どうも疲れているかなあ、と我が老け顔を眺めてさびしくなった。
ふと思った。私のお母さんは、ある一定の年齢のまま心を固定して晩年の時を生きている。
これからも、ずっとそうだろう。
家に帰り、雛人形の前で、もう一度撮ってもらった。
化粧もしていないが、まひるの日向のわたしよりは多少見られる顔になったようだ。
女優と名乗るなら美しくなくてはいけない。絶対に美しくなければならない。これは私個人の思い入れに過ぎず、世間からは非難されるかもしれない。
だから、というわけではないが、おひとを見る時も、掛け値無しによしあしを見つめるように心がけている。
五十歳。いいえ、終生「美しい」顔でいよう。
醜さを見るのはきらいなので、自分の周囲の女性たちも美しくあってほしいと思っている。
わたしは不思議な女で、同性の美しさに対して嫉妬がない。
美しさよりも、相手の精神的な醜さを見ると、はっきりきらいになる。肉体的な欠点は修正しようがない。それは神様のたまものだ。
だが、精神は自力で修正できるはずだ。
自分については、24時間いっしょにいるので、他人よりさらに視線が厳しい。
だから、自分を嫌いにならないように丁寧二時間を過ごしている。
この画像をそのうち母に送ろうと思う。
何て言うかなあ。
遠慮のないひとだからなあ。
暖かい一日だった。
道を歩いていると、小鳥たちがうれしそうな声でさえずる。大気にまじる花の香もはっきりと濃い。
今日も丁寧に過ごした。まだ眠るまで時間が残っているけれど。
もう少し回復したら楽器を弾こうと思っている。夏にはまたひとり芝居をしたい。
何度でもお稽古しなおして、いい音色を探す。こころのありかを探るようだ。
日々、このおだやかな時間に感謝。
雛人形に。
今日は桃の節句。
なんにもそれらしいことはしていない。
夫も忙しいし、わたしも仕事で午後でかける。
ただ、このお雛様はお初でもあるし、旧暦の節句まで飾っておこう。
絵画と同じように、人形もまた作者の顔を映す。
うつくしく気品のある雛の微笑みを造形するまでの、作家の精進を想像しながら眺めている。
みなさん憧れと希望に満ちたよい日でありますように。
画像は、雛人形ではなく「少女の無垢な憧憬」に寄せて掲載させていただきました、横田美晴さんという方の。