プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★トルコ紀行余談(2/2):言葉

2010-11-07 09:54:34 | 日記・エッセイ・コラム

 海外旅行の楽しみ方は、人それぞれに違うが、言葉の問題をクリアできれば、誰でも面白味が倍増する。逆に、全く話せないと、行動範囲が狭くなってしまう。

 私は、訪問する国の言葉を、「こんにちわ」とか「おはよう」、「ありがとう」等の挨拶程度を必ず憶えるように心がけている。ほんの一言だが、現地で使ってみると、先方の反応は好意的で心嬉しくなる。

 トルコ語はなじみが薄く、暗記するのに苦労した。例えば、「有難う」は「テシェッキュルエデリム」で、「はい」「いいえ」は、「エヴェット」「ヨック」と言うが、何度繰り返してもすぐ忘れてしまう。そこで、毎日必ず必要になる言葉として、「こんにちわ=メルハバ」と「水=ス」、「トイレ=トヴァレット」だけを記憶した。

 旅行中、現地ガイドのおかげで、それまで憶えられなかった「おはよう」(=ギュナイドゥン)をマスターした。「日本の”牛内丼”とおぼえなさい。」と言われ、スーッと頭に納まった。が、「”牛丼無いと違うよ」とのジョークが妙に記憶に残り、「ギュナイドゥン」と「ギュゥドンナイ」か頭に同居してしまった。外国語は難しいが面白い。


★トルコ紀行余談(1/2):円は強し

2010-11-06 09:43:01 | 日記・エッセイ・コラム

079 トルコの通貨はリラだが、都市部ではユーロや米ドルも使える。イスタンブールでは、日本円が通用する店もあるので便利だ。また、両替所も空港・ホテル以外で、市中にも多くレートも良い。銀行での両替が一番面倒で不利と心得ておいた方がよい。

 賢明なのは、帰国の際、再両替しなくて済むように必要の都度、両替する方法だ。今回、日本円のほかに米ドルとユーロを持って行ったが、為替レートの変動の激しさを実感した。

146 カッパドギアのホテルで、米ドルからリラへ両替したら40ドルに制限された。翌日、コンヤのホテルで両替しようとしたら、「米ドルはノー」と断られ、ユーロを出したが、「ユーロもだめ」で、「just yen」と言われた。日本円ならどれだけでも両替するというので、呆気にとられた。

 日本人には何の問題も無いが、他の国の人だと困ったに違いない。或いは、日本人と分かって円を欲しがったのかも知れないが、フロント横の換算レート表示を見ると、ドル・ユーロにくらべ、「円が強い」と気付き、納得した。(写真上はグランド・バザール、下はトルコ絨毯制作所)


★トルコ紀行(5/5):エフェソス遺跡

2010-11-05 08:22:26 | 旅行記

254 250  パムッカレから約210㎞離れた所にあるエフェソス遺跡は、私の期待をはるかに凌ぐ大規模なものだった。エフェソスは、ギリシア時代の紀元前11世紀頃、小アジア最大の都市国家として君臨したというが、遺跡群が当時の繁栄ぶりを顕著に物語っている。

 239 247 かつてのメインストリートを歩きながら、富裕層の住宅や浴場、公衆トイレ、或いは、図書館、アゴラ(広場)、野外劇場等々、往時の都市形態や人々の暮らしぶりに思いを馳せていると時の経つのを忘れた。

238 243  ペルシャ帝国、ヘレニズム・ローマ時代からビザンチン帝国・オスマントルコ時代へ変遷した歴史を思い出そうとしたが徒労だった。 歴史を年号と固有名詞で暗記した学生時代の不勉強を悔やむだけだが、それでもなお、鮮烈な感動が身を包んだ。255_2 262 当時の原型をとどめる建造物は、 歴史の襞にひそむ人間模様まで浮き上がらせるようで、テーマパークでは味わえない本物にしかない迫力と説得力を持つ。 いつまでも、その場を立ち去りがたかった。


★トルコ紀行(4/5):コンヤ・パムッカレ

2010-11-04 09:30:14 | 旅行記

183 11世紀~13世紀にかけて、セルジューク・トルコの首都だったコンヤは、全盛期には政治・経済・文化の中心として栄えた人口約100万人の都市。イスラム神秘主義教団「メブラーナ教」の発祥の地としても有名で、始祖メブラーナの霊廟は、現在、博物館として公開されている。

メブラーナ教は、くるくる旋回しながら踊ることで神と一体化すると説く宗教で、建物に施した青緑のタイルの塔が目を引いた。庭の植え木がくるくる螺旋状になっているのが教義とだぶり、印象に残った。

189 192 コンヤからパムッカレまでは、約440㎞におよび、見渡す限り荒涼たる高原が続くが、なだらかな丘を越えると、突如、白い綿の塊のような台地が見えてきた。 200 パムッカレとは、「綿の城」の意味で、かつて綿の産地だったことに由来する。 トルコ有数の温泉地で、石灰棚で足湯に浸かったり、古代都市ヒエラポリスの遺跡群内の温泉プールで泳ぐことも出来る。

212_2 214_2 日本の棚田に似た魅惑的な美しさの石灰棚を望む丘の上に、紀元前190年頃、ベルガモン王エウメネス二世によって築かれた古代都市ヒエラポリスがある。209_3 231 最盛期には人口10万人を超えたそうで、アポロ神殿や博物館、15,000人収容の円形劇場等が残っている。  ホテルにはフィットネス設備があったので、夕食後、水着に着替えて20分ほど泳いだ。プールと言うよりも大きなローマ風呂だったが、泳いだ後、ラウンジで飲んだトルコ名物の”ざくろジュース”は格別の味だった。


★トルコ紀行(3/5):カッパドギア

2010-11-03 09:37:21 | 旅行記

 10月18日、イスタンブール午前9時発の飛行機でアンカラへ移動した。わずか1時間のフライトで、サンドイッチとサラダにヨーグルト・ケーキまで出されたが、朝食を済ませており手をつけなかった。

164_2 165 アンカラからカッパドギアへ向かう途中、カイセリ近くにあるスルタンハヌの隊商宿(キャラヴァン・サライ)に立ち寄った。堅牢な石造りで、大小多くの部屋のほか、中庭にモスクも設けられた大きなものだった。が、整然とし過ぎていて、私が想像していたシルクロード時代のイメージとかけ離れていた。

 134 156_2 さて、カッパドギアというと、キノコ頭をした奇岩を思い浮かべるが、首都アンカラを中心とした中央アナトリアの一地方名称だ。太古に火山噴火によって堆積した溶岩や火山灰が、長い年月をかけて浸食されて出来た奇岩群が、南北50㎞におよび点在している。そしてまた、密かにキリスト教文化が育まれた地でもある。

154 155 ギョレメ野外博物館にある30近くの洞窟教会には、多くのフレスコ画が残されており、密かに息を潜めていたキリスト教徒の信仰の深さを偲ばせる。また、 カイマクルの地下都市は、イスラム教徒の迫害から逃れて15,000人のキリスト教徒が暮らしたとされる地下8階建ての大規模なものだ。110 内部は、生活空間だけでなく、ワイン貯蔵所の定温保持可能な換気設備も万全で、その技術力の高さに驚いた。

中東問題は、宗教と植民地支配の歴史的背景抜きに軽々に論じる愚を避けるべきだと改めて思った。