プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★傍論は暴論

2010-11-17 10:44:01 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、裁判員裁判で初の死刑判決が下った。事件の残虐性からすれば、当然の判断だが、裁判長が「重大な結論なので控訴を勧めたい」と傍論を述べたのには驚いた。

 裁判員の心理的苦痛・負担をおもんばかった同情発言だと言う人もいるだろうが、裁判制度の根幹を揺るがしかねない暴論だ。「ここでは、一応、死刑にするが自信が無い。上級裁判所では別の判決が出るかも知れない」と言っているようなものだ。判決に不満なら控訴するルールを知らぬ者はいない。

 欧米でも国民参加型の裁判はあるが、死刑制度は、ごく一部の国に限定されている。宗教的な背景や歴史的背景抜きに軽々に判断出来ないが、終身刑制度の導入を検討すべきだ。社会の仕組みに国民自らがかかわり、変えて行く思想に基づくのであれば、裁判員制度を定着させるには段階を踏んだ長い時間が必要だ。

 人が人を裁く以上、裁判員と裁判官が自分の人格をかけて、熟慮の末に結論を出したはず。それを自ら否定するような発言は暴論と言うべきで、裁判員は救われるどころかストレスが倍加する。判決が出て、ストレスが溜まった。