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時悠人chosan流処世術

★「あじさいの花」の思い出

2007-07-08 10:50:59 | 日記・エッセイ・コラム

 雨に映える”あじさい”を見ると、条件反射的に思い出すことがある。私は、1971年(昭46)、東京勤務時代に結婚したが、当時の給料では東京に住めず、鎌倉市大船で6畳一間のアパートを借りた。当時は、社宅に入居するにも1年間待たされたし、自社商品の電話でさえも、架設2年待ちだったので不動産屋から購入した。

 通勤時間は1時間半。朝6時半に家を出て、会社に着くのが8時。新参者3人で、課全員(30人程)の机の雑巾掛けとお茶入れから始まった。帰宅は、早くても午後10時過ぎで、終電に間に合わず、会社で泊まることも珍しくなかった。アパートの空き地で頭から水をかぶってすませたのも、若かったから出来たのだと感慨深い。

 そんな生活の中で、日曜日の午後、近くの銭湯に出かけるのが唯一の楽しみだった。アパートの裏から銭湯までの細い道に沿って、咲いている色とりどりの”あじさいの花”。小高い丘の上からは富士山が望めた。風呂帰りに、松竹撮影所に隣接したボーリング場や付近の食堂で、渥美清や倍賞千恵子等の俳優をよく見かけた。「よっ!おっちゃん、元気?」と言って、ラーメン屋に入って来る寅さんの飾らぬ人柄が印象に残る。

 学生時代、色紙に「愛・信・望」と書いていたのが、ある時期から「地の塩となる」と好んで書くようになった。雑草のようでいて、雨に似合う”あじさいの花”は、思い出とともに好きな花のひとつだ。