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時悠人chosan流処世術

★経済が政治を動かす時代

2006-05-27 09:12:42 | 日記・エッセイ・コラム

日本経団連の新会長に就任した御手洗氏が口にした「イノベート日本」。前奥田会長の路線を継承する構えだが、談話の端々に政治的要素を意識した視点を感じて不安になった。

 25日の日経新聞の社説では、「歴代会長と比べて政界とのパイプが細いことなどを不安視する声もある」のに対し、「理念主導で引っ張って欲しい」と書いている。また、同氏が理想とする「敗れた人が何度でも再挑戦できる社会」の実現に向け、23年間米国に駐在した経験も生かしてほしいと結んでいる。

 一見、妥当な指摘だが私はむしろ不安を感じる。駐米23年のキャリアを生かすということは、アメリカ合理主義・格差拡大社会に通じる。奥田会長時代、株式交換や会社分割などのアメリカ型の法制度導入を提言し、小泉内閣が実現した結果として、M&Aラッシュとなり、ライブドア事件や村上ファンドのような「顧客・社員不在で株主優先」主義が跋扈したのは記憶に新しい。

 社会保障制度や税制改革、自由貿易等のテーマにしても、企業に有利な提言になるのは当然。利益相反する従業員(=国民)は、競争に敗れた会社の犠牲者で切り捨てられ、人件費の安いフリーターが台頭するのが企業論理の行き着くところだ。「敗れた者が再挑戦出来る」仕組み作りは、”敗れた企業”と冠記すべきであって、決して個人を対象にしていない。

 政治と経済が表裏一体の関係にある以上、距離を置いて提言するのは難しいが、今の大手企業には、「会員企業が切磋琢磨し、日本が世界に誇る技術力に磨きをかけて、日本経済のより一層の発展に寄与したい」旨の”脚下照顧”の謙虚さが求められるのではないのだろうか。