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時悠人chosan流処世術

★ブレアVS小泉の美学の違い

2006-05-10 09:05:15 | 日記・エッセイ・コラム

 イギリスのブレア首相の引退時期が注目されている。誘因は、今月の統一地方選挙で、与党が歴史的な大敗を喫した責任問題。

 当の首相は、任期前の辞任もあり得るとしながらも、「必要な改革ができなくなるおそれがある」として、引退時期を示していない。イギリスの政局について詳しい背景を知らないが、やるべきことをし遂げて去るのが政治家の責任だ。アメリカにものが言える数少ない同盟国の首相だけに、続投を期待している。

 一方、昨年9月にサプライズ解散を断行し、選挙で圧勝した直後に、自民党総裁任期が来たら辞めると引退宣言した日本の首相。退路を断って、残りの期間に改革の仕上げをするとの決意表明だと思ったら、その後の言動からはやる気が伝わってこない。1年後に辞めると決まった政治家が求心力をたもてる程、政界は甘くないし、本人の気力だって時の経過とともに萎えてくるのは当たり前だ。問題を先送りして、後継者選びに目がむくのは自明の理。

 ポスト小泉競争をあおるだけで、改革の実効は上がらないばかりか、負の遺産だけが顕著になってきているのが現実だ。私は、去年の9月13日付け小ブログ「逃げの美学」で、小泉首相の引退時期について、「自分の責任において、向こう4年間、諸課題を解決したい。その為には、総裁任期を延長するよう自民党内で検討して貰いたいと言うのが男の美学であり、責任の取り方ではないのか」と書いた。

 選挙で敗けても続投して任務をまっとうしたいと決意を語る英国首相と、圧勝して改革抵抗勢力を蹴散らしたのに辞めると弱気になる日本の首相。どちらが責任ある政治家の姿勢なのだろうか。