夜の画家ヨンキント

 

 一番好きな画家を一人、あげるとすると、ヨハン・バルトルト・ヨンキント(Johan Barthold Jongkind)。良い絵を描く。酔っ払いだけど。

 ブーダンとともにモネに影響を与え、モネが師とさえ呼んだ画家なのに、日本ではさほど知名度が高くないらしい。ヨンキントの風景画の前に人だかりができるのを、まだ見たことがない。
 う~、なんで? ヨンキントの絵の前はいつも、私と相棒の貸切状態。

 ヨンキントの絵には独特の魅力がある。やっぱりオランダ生まれの画家だからかな、オランダ風景画の伝統を感じる。
 地平線を低く取る。水辺の風景を好む。オランダの冬の風物詩であるらしい、凍った運河でスイーッと滑るスケーターの姿も描く。オランダ写実画と同じく、薄塗りを重ねて画面を作っているらしい。水彩のような効果はここから来るという。

 だが色彩は、伝統的なオランダ風景画よりも格段に明るい。このあたり、印象派を先取りする色使い。加えて、バッサ、バッサと大胆、奔放な筆捌き。
 ただ、明るい色彩は使うのだけれど、暗褐色や黒色の重々しい色も平気で使う。これが何とも言えない陰影の効果を作り出す。
 月光に濡れた夜の風景は、もう白眉と言うしかない。それなのでヨンキントは、「夜の画家」なんて怪しげな異名を持つ。なんだか「夜のお菓子」うなぎパイみたい。

 ああ、ヨンキント。誰がなんと言おうと、彼の絵は絶対に良い。飲酒癖のおかげで死んでしまったほど、酔っ払いだったけど。
 
 画像は、ヨンキント「オランダの運河」。
  ヨハン・バルトルト・ヨンキント(Johan Barthold Jongkind, 1819-1891, Dutch)
 他、左から、
  「オンフルール、鉄道線路の埠頭」
  「オンフルール出航」
  「日没の風車のそばの船頭」
  「ロッテルダム港口」
  「月光の運河」

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日本のエトルタ(続)

 
 ニッポンのエトルタ奇岩と私たちが勝手に名づけた「沖の石門」は、その名のとおり沖にある。それが見えるよう、崖上が園地になっている。藤村にちなんで、椰子の木が生えていたりする。
 そこに、先客のお仲間が約1名。年配の男性で、クロッキー帳とスケッチブックをかかえて、慣れた筆運びで水彩スケッチしている。相棒、坊、続いて私も、さり気なく後ろにまわって覗いてみると、わー、上手い。
 妻君らしい年配の女性が、離れたところで、手持ち無沙汰に坐っている。邪魔するな、って言われてるのかな。奥さん、自分も描いてみたらいいのになー。
 
 夫婦の去ったところで、私たち3人、めいめいスケッチブックを取り出して、ごそごそと準備。私は地べたにベタリと坐って、眼下の石門をしゃかしゃかとスケッチ。
 相棒も坊も、それぞれ勝手にスケッチ。凄い風だったので、私は一枚描いただけで断念。
 
 再び砂浜へと降りて、そぞろ歩き。岩がちの海辺に、も一つ、今度は「岸の石門」。これもまた真ん中に穴が貫通している。で、相棒と坊は登ったり触ったりしている。

 そこから先は、浜名湖まで続く砂また砂の直線の海岸線。その名も片浜十三里。さすがに歩きとおすのは無理なので、ここらをぶらぶらしてからターンして出発点まで帰ってきた。

 ターミナルで、お土産にメロンケーキ買って、せっかくだからと、大あさりの直火焼きを食べた。でも今日、お昼ご飯食べてないから、これだけじゃ、お腹がぐーきゅるぴー。

 日の入りの時間を見計らって、も一度、遊歩道を歩いて灯台へ。もう暗いなか、石彫り職人はまだ万葉歌を彫っていた。
 さっきはクールベ色だった海が、オレンジとピンクの空の下、群青色に落ちていた。あー、この海と空、ヨンキントの色彩。

 満足な旅、満足な一日。グルメもショッピングもないけれど、あー、満足、満足。

 画像は、伊良湖、日出の石門。

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日本のエトルタ

 
 伊良湖へ行ってきた。

 時間と、坊の学校と、世界情勢との関係で、しばらく世界旅行には行けそうもないので、せめて海に行こう、海に行こうと相棒に駄々をこねていたら、突然、相棒が言った。
「伊良湖に行こうか」
「伊良湖? それって湖じゃない」
 でも伊良湖は海だった。渥美半島の先端、正真正銘の海!
「これって海じゃない!」
「そう言ったでしょ」
 
 自動車を持ってないので、私たちの交通手段はもっぱら鉄道と自転車と徒歩、場合によってバス。慣れたら、特に不便には感じない。
 ターミナルに着いてからは、湾曲する海岸線をただひたすら、とことこと歩いた。もちろん、ロケハンを兼ねて。さすがにもう風が冷たかったけど、寄せては返す単調な波のサウンドを音声多重で聞きながら、あー、いい感じ。
 
 石に万葉歌(かな?)をコン、コンと彫っている職人がいる遊歩道。そこから覗くと、流木だらけの石浜。灯台をぐるりとまわって恋路ヶ浜。ここは島崎藤村が「椰子の実」の詩で謡っているところ。
 海の色も岩の色も、今日はクールベ色。海には、坊が学校の地理の授業で習って知っているのに、私は知らない、なんとかという名前の島。

 そしてひときわ波の荒く、岩のゴツゴツした海に現われたのは、真ん中が洞穴となっている「沖の石門」! これはニッポンのエトルタ奇岩だっ!
 
 To be continued...

 画像は、伊良湖岬灯台。

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ブーダンの海

 

 時間があるときには、「アートサイクロペディア(Artcyclopedia)」というサイトを利用して少しずつ絵を観ている。画家のバイオグラフィにもアクセスできるので、ついでにそれも読む。

 ウジェーヌ・ブーダン(Eugene Boudin)は、モネに戸外で制作するよう勧めた画家として有名。ブーダン自身、とても明るい絵を描く。
 印象派のなかで、途中、画風の冒険もせずに、一貫して印象派らしい絵を描いた画家は、シスレーだと言われる。が、私はブーダンの画風もそれに当てはまると思う。ただブーダンは、風景のテーマが著しく海に偏っているし、絵画史の上では印象派の先駆に位置づけられるし、で、そう言われるわけにはいかないのだ、と勝手に思っている。
 
 ブーダンは主に海景を描いた。浜辺で紳士、淑女がうじゃうじゃと群がっている賑やかな絵が有名だけれど、本当は、そんなに人を多く描かずに、海そのものを描いた穏やかな絵が多い。ついでに、海辺近くの、緑濃い陸地の村を描いたりもしている。
 海の色は一枚一枚、少しずつ違っている。青い海、紺の海、緑の海、水色の海、藤色の海、紫の海、ピンクの海、オレンジの海、クリーム色の海、白い海、灰色の海、黒い海……
 だからもちろん、海が映す空と雲の色も様々ある。

 海は海岸だったり浜辺だったり、港、埠頭、内湾、外洋だったりする。そこに船が一艘あったり、たくさんあったり。漁師がいたり、漁師の妻たちがいたり。
 そして海は凪だったり、波打っていたり、嵐だったり。

 トゥルーヴィルやドーヴィル、オンフルールなど、ノルマンディーの海が多い。あの象の鼻みたいなエトルタの奇岩も描いている。フランスらしい海の絵、そんな感じがする。
 ノルマンディー、是非行ってみなければ。
 
 ブーダンの絵を観ていると、海を描きたくなってくる。夏になると私は、人酔いさえしなければ海に行きたくなる。
 でも相棒は大の暑がりで、「夏にそんな、海抜ゼロの地点になんて行けっこないよ」と、私をなだめすかしてしまう。夏の相棒は、標高か緯度か、どちらかが高くなければ、そこに行こうとしないのだ。
 
 画像は、ブーダン「ドーヴィル内港」。
  ウジェーヌ・ブーダン(Eugene Boudin, 1824-1898, French)
 他、左から、
  「フェカンの港」
  「トゥルーヴィル、満潮」
  「日没のル・アーヴル港」
  「トゥークの川辺の洗濯女」
  「浜辺にて」

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スポイルのベクトル(続)

 
 ある日、保育園から坊を連れて帰ろうとすると、ユースケくんは、自分も一緒に連れて帰って欲しい、と頼んだ。
「それで、お母ちゃんが迎えに来るまで、一緒におうちで待ってるんだ」

 私は、お母さんに了解をもらってごらん、もし、お母さんがいいって言ったら、ユースケくん、今度から私がお迎えするから、うちで待っててもいいよ、と答えた。
 ユースケくんの家は、私の坊と同じ母子家庭だった。私は当時学生だったが、同じシングル・マザーとして、もしかしたら彼のお母さんと境遇を理解し合えるかも知れない、と付け加えた。

 数日後、ユースケくんはいつものように坊と一緒に私のところに駆けてきて、決まり悪そうに言った。
「ダメだって言われた」
「そうか、じゃ、仕方ないね」
「お母ちゃん、大学に行ける人は、頭が良いからキライなんだって。お母ちゃんが今、こんなに苦労してるのは、大学に行かなかったからだって、怒り出すんだモン」

 それでもユースケくんは、自分の母親よりも私を慕っているように見えた。私はできるだけ、いろんなアドバイスをした。
 いつも自分の頭で考えるんだよ。お母さんに怒られたときは、どうして怒られたのかをいちいち自分で思い返すんだよ。自分がされてイヤなことは他人にしてはダメだよ。テレビばっかり見ないで本をいっぱい読むんだよ。……

 数年後、ユースケくんは卒園した。保育園の最後の日、彼は私のところにやって来た。
「お別れだね」
 私は、お別れじゃないよ、また会えるよ、と言った。だが彼は、かたくなに繰り返した。
「ううん、もうお別れなんだ」

 小学校に入って、ユースケくんは急速に変わってしまった。いつも退屈そうに時間を持て余し、何に対しても好奇心を見せなくなった。自分よりも弱い、小さな子供たちをいじめるようになった。注意する大人たちに乱暴な罵声を浴びせるようになった。そして私に会うと、さっと眼をそらし、こそこそと逃げるようになった。
 彼の言ったとおり、あのときが本当に「お別れ」だった。

 画像は、ルドン「子供」。
  オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916, French)

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