子供の虐待(続)

 
 私は夕方、もう一度ショウくんに尋ねてみた。
「お母さんが、眼をぐりぐりしたの?」
 ショウくんは無邪気ににこにこしながら、違う、と元気に首を振った。
「ペン! されたんだ」
 そして小さな拳骨を思い切り振り下ろして見せた。
「お母ちゃんのペン! は、恐ろしいモンがあるから、気をつけなきゃアカン」

 私は思わずショウくんを抱き締めた。負けちゃダメだよ、頑張るんだよ、そう囁いて。
 ショウくんは眼をパチクリさせ、私から離れてからも、しばらくキョトンとしていた。それから、「抱っこされた、抱っこされた!」と、他の子供たちに自慢げに言ってまわった。

 おそらく、ショウくんの言うとおりだったのだろう。だが、ショウくんの声をいくら私が伝えても、保育園も、そして行政も、ショウくんの母親の説明を、敢えてその言葉どおりに受け取るだけで、なんの注意も与えないだろう。
 世間では、こんなことは虐待のうちに入らない、と言うかも知れない。だがそれは、親の虐待によって死に到る子供が増え続けるなかで、ショウくんの怪我がまだ軽い部類に属するからにすぎない。虐待は虐待だ。ショウくんはあれからも、きっと親に叩かれ続けているに違いない。そしていずれ、ショウくん自身が叩く側にまわるのだ。
 
 抑圧は抑圧を再生産する。そして抑圧される者が、その抑圧を許し、自らも抑圧者になった途端に、人間は敗者となるのだろう。
 抑圧は断ち切らなければならない。それはそう難しいことではないと思う。

 画像は、レピシエ「子に食べさせる母」。
  ミシェル・ニコラ=ベルナール・レピシエ
   (Michael Nicolas-Bernard Lepicie, 1735-1784, French)


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