印象派の巨匠

 

 ちょっと前になるが、「クロード・モネの世界展」に行った。日本では印象派が一番人気だし、クロード・モネ(Claude Monet)はその印象派の巨匠だからして、モネの絵を観る機会はダントツに多い。

「鳥が歌うように、絵を描きたい」
 こう言ったのは、確かモネだったと思う。

 絵画とは多分に右脳的、と言うか視覚的なものだが、印象派の絵は特にそう。今この瞬間に眼前にあるものを描く、というコンセプトにも関わらず、描かれた絵は、いわゆるリアリズムとは随分、趣が異なる。
 何が描かれているのか、と思ってよく観ると、何が描かれているか分からないこともある。が、そんなことを思わないで観ると、すっと分かる。
 モネは眼の前に見える木を、水を、家を、人を、どんな色でどんな形のもの、という自分だけの印象として捉えるよう、教えたという。……これは実に絵画的で、絵を絵のように描けるやり方らしい。

 そして長寿の生涯を描き続けたモネだから、いつからか、きっと、鳥が歌うように絵を描けるようになった、と思う。

 有名な話だが、絵が得意だった少年モネは、地元ル・アーヴルで風刺画を描いて小遣いを稼いでいた。これがル・アーヴルの海景画家、ウジェーヌ・ブーダンの眼にとまる。
 ブーダン先生、戯画で才能を終わらせるのを惜しんだか、あるときモネ少年を連れて、いつものとおり戸外で風景画を描いてみせた。
 突然、眼から鱗の落ちたモネ少年。以来、風景画にハマり、やがて絵の勉強のためパリへと旅立つ。

 一時ル・アーヴルへと戻ったモネは、今度はそこで、オランダ出身の夜の風景画家、ヨハン・バルトルト・ヨンキント先生に出会う。
 く~、モネってば運好すぎ。さすが、優美なる港町、ル・アーヴル!

 再びパリに出た彼は、同じ画塾のルノワールやシスレー、バジールらと親交を結び、後にグループ展を開催。このときモネが出品した「印象、日の出」から、「印象派」という名称が生まれた。
 愛妻カミーユと幼子ジャンとともに、セーヌ河畔のアルジャントゥイユで暮らした頃のモネの絵の、印象派に特有の明るい陽光は、現在の幸福と未来への希望とを照らすかのように輝いている。

 が、依然、絵はブレイクせず、極貧を甘んじる印象派の面々。モネも例外ではなく、しかも彼のどん底生活を支えてきた実業家オシュデが、いきなり破産。自殺し損なったあげくに、妻子を残してトンズラする。
 パトロンを失ったモネ一家と、破産したオシュデ一家は、やがて一緒にヴェトュイユへと移り住む。モネ一家4人、オシュデ一家8人の大家族。で、モネとオシュデ夫人アリスとは、この頃から恋愛関係にあったらしい。
 カミーユの夭死後、この大家族は転々とした後、終生の地ジヴェルニーに落ち着く。が、晩年、白内障に眼を冒され、アリスにも先立たれると、モネはジヴェルニーに籠もり、庭園の睡蓮の池を描くのに没頭するようになった。

 奇妙に感覚的な睡蓮の絵を観ると、光とは必ずしも明るいものではないと感じる。

 画像は、モネ「アルジャントゥイユのひなげし」。
  クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926, French)
 他、左から、
  「アルジャントゥイユの線路橋」
  「散歩、日傘を持った女」
  「サン=ラザール終着駅」
  「川岸のほとりの花」
  「ジヴェルニー近郊、霧のセーヌ川入り江」

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