水曜日のカンファ。
86歳の定期的な輸血が必要な高齢者を、83歳の高次脳機能障害の母のもとへ返すというと、これだけ抵抗されるのか、というものものしい雰囲気。
病院側からリハ、ナース、ソーシャルワーカーなど4名。母のケアマネ、看多機側から、ナース、リハ、ケアマネ、ヘルパーなど4名、僕と総勢10名。
病院側からは、再び在宅は難しいとの意見が出され、主治医も同意見とのことで、今後の救急対応は血液内科が担当する病気の悪化以外は、対応しかねるとの一筆も。
なんて温かい病院なんだろう。
もはやむちゃくちゃする長男の扱いだ。
僕も父の首をしめていたのかとまたぐらつきが生じた。
もちろん父はベッドでカンファに参加もしないが、その後のリハへ行く途中に、「これからはおかゆでなく、柔らかいごはんへと変更してくれ」とか「俺はその辺のじじいとは違うんだ」とか、僕はやはり、退院への希望が見えて本人なりに頑張ろうとしているのだな、と思った。
一晩母のもとへ泊って、翌朝母を地元の診療所へ連れて行って僕は帰宅してしまったのだけれど、
が、しかし、翌夕病棟から電話。
あのあと夜中まで独り言を言い続け、同室の患者さんから苦情が出るほどだった。夜中の2時にサンダルをはいて、けがもなくベッドの下で寝ているのが発見された。(どのタイミングで処方されたのかわからないが)、鎮静剤が処方され、起き上がるとナースコールに自動的につながる離床センサーが付けられたとか。
一時のせん妄らしいが、本人の携帯はどこかボタンを押してしまったらしくドライブモードになっているようで、こちらからはつながらない。
かろうじて母の元へは電話をしているらしいが。あ、そうなんだ。はぁ
まったく僕らの生活は無茶苦茶である。
来週いよいよ退院で、その後2日ほど看多機へ泊り、その後マンションへ帰宅。
退院させて父を見送ったのちは、介護ベッドなどの業者やケアマネがマンションへ下見に来て、翌朝運び込み、設置などがあるので、また泊まらなくてはならない。
こいけも休みを取ってポータブルトイレやマットなども見たいとのことで、退院日は泊まるが、翌日はまたこいけを送り届け(田んぼや畑も心配)、僕はまた翌日再び二時間走ってマンションへ行き父の帰宅を待たなくてはならない。
いったい僕が明日入院などしたらどうなるのでしょう?苦笑
いろいろなことに腹立ちを覚える。
酒も睡眠薬も量が増えているわ。
らっきょうは甘酢漬けに。
梅なりすぎ。
10日間干した小麦脱穀。乾燥。
敷地の中でも一番怖い斜面。この下はコンクリートの水路。一歩踏み外すと多分けがします。9か月ぶりくらいの草刈り。寝不足でやりたくないけれど、もう遅れに遅れている。そういう僕の生活を両親は知らない。
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