カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

生きるのも死ぬのも大変だよ

2017-05-03 21:54:26 | つれづれなる想い

あまり放置しておくと誰か死んだとか思われそうなので。苦笑

 

親父、ごちゃごちゃ言いながらも個室のベッドの上で生きている。だって病名は原因不明の腰痛。



ただ近隣の3次救急の病院なので、無理無理先週の金曜日の輸血の際にお願いして入院しているので(本当は5/1までと言われた)いつまでもいることはできない。命にかかわる急病の方が待ったなしで救急搬送されてくるのだから。自宅に戻すことは無理そうなので、金曜日と一昨日も有料ホームを探して一泊して帰宅してくるといったことになり、疲れ切っている。



しかしGWということもあり、短期間で決めることもできず、どうしようとか思いつつ不眠気味。わさわさ音を立てて生えてくる草、苗、一泊放っただけで植えたばかりのきゅうりの苗などは風と乾燥でしなしなと死んでしまう。



先月行ったときはテーブルにも座って食べてトイレもつたい歩きで出来ていた。その時新たな腰の痛みが少し始まっていて、それからは痛みで座ることができなくて食べなくなり(寝ながらでもなんか高カロリーのゼリーとか食べる、食べさせればよかったのだけど、そういうことがなぜかできない)いつもぎりぎりで(ケアマネとか医者にとかでなく)僕にSOSの電話をしてきて、自室とトイレとの移動だけの生活になっていると。


ついに母からも夜中に(今までそういうことはなかったのだが。)「もう大変なのよ」とSOSが。


で、ケアマネさんにお願いして、輸血までの3日間初めてのショートステイ。


結局医療行為や食事介助もしないので車いすでテーブルに連れていかれて痛みとイライラで食わず、水分不足で救急搬送するかもとの連絡を受けつつも、無事に(?)輸血へ。

 

 

ベッドの上では看護師さんに軽口をたたいたり、自殺したいと言ってみたり、母は母で好き勝手なことを言い(余計なこと言うんじゃないのよみたいな)、主治医も困った様子で、骨の異常もないし、炎症反応もない、痛み止めもさまざま代えてやってきた、痛みをとってあげたいけど僕にもよくわからないと。をいをい。


本人からはホスピスとかモルヒネとか目茶苦茶な申し出が、適応じゃないものね。



 

年齢相応の認知症がもう入っているはずだが、その方面のアプローチはためらいがあるようだ。




いずれにしても、腰痛でいつまでも入院させてはくれないだろう。



かし、高次脳機能障害の母はマンションで毎週生協で頼み、(僕が泊まった金曜日は3箱玄関にあった)冷凍庫に入らないと。冷蔵室には卵が6~7パックあった。





一昨日こいけと泊まった際に、冷凍庫を整理してもらったが、4年前の(今の冷蔵庫に買い替える前だ、あの時も僕らに触らせなかった)ものが入っていたそうな。ほとんどは捨てたが、賞味期限の切れた和牛の薄切り肉をうちに持ち帰って、先ほどすき焼き煮風にしてみたら、冷凍庫臭くて食べられなかった。


何もしない、冷蔵庫もみない、決断できない親父は、そういうものも母に言えばいいのに、黙って残したのだろう。ほんとにおかしな夫婦。


経済的には現役並み所得者の二人、今まで僕らやケアマネの助言をほとんど聞き入れず、高飛車に拒否して決断できないのに、こうなってから、医療者やケアマネでなく、離れた貧乏自給生活の僕らにSOSだけをして、あとはお任せみたいな両親に憐憫の情どころか怒りを覚える。


土曜日に一件(ここは以前退院と同時に連れて行って逆切れされたところ)有料ホームを見て、一昨日に初めての1施設をこいけと見学してきた。


両親のマンションからも近く、職員がたくさんいて、皆気持ちよく挨拶して下さって、急にお願いしたのに専門の方が3時間も話して案内して下さって。

ちょうど食事時で、車いすでたくさんの入所者が自分で食べていて、今時珍しく布のおしり拭きを入所者が何人かたたんでいて(勿論業者が洗濯したもの)、一方ではテーブルに車いすで座らされてうなだれて眠っている人たちも。寝たきりにさせないためには、起こしておくことはとても大切。こいけの務めている大きなホームのような金属のドアでなく、中で倒れたりしたら、すぐに聞こえる程度のドア、常に僕らのような外部の見学者の目にさらされて自信を持ってやっている感じ。しかも24時間看護師常駐で、金額も安い。


70人ほどの全室個室だが、自前の厨房で作っていて、そこも見せてくれた。



ここならと思ったが、現在満床で二か月ほどは待っていただくかもという状態で、その間有料ショートステイという形で系列のホームで待機していただくのはいかがと勧められた。


ただ、そこは県庁の近く、すぐには一緒に入るはずのない要支援の母親が、タクシーで行くにも有料道路を多分往復で通らなくてはならず、かなりの高額になるだろうし、二週に一度輸血に通わねばならない父親にとっても、僕らにとっても苦痛そうで、悩んでいるところだ。



老健などに入れればいいのだが、輸血が必須の父はまず無理、選択肢がそほとんどない。



がっちり組んだ紙相撲の二人を、僕が今は決断していったんは離さないといけないのだろう。


勝手にしてくれよという感じ。親父の腰痛は恐らくかなりのわがまま痛が入っていると僕はにらんでいる。元々定年後の南房総での田舎暮らしが希望だった親父だが、12年前の母の突然の脳梗塞発症で予定が狂った。


その時母は初期の肺がんで専門のセンターで切除で確実に治ると言われたそうだが、翌朝ベッドの上で脳梗塞となり、術後ということもあり、血栓を溶かす薬も使えず、あっという間に脳梗塞。


ガン治療に特化した病院だったが、総合病院ではないのでリハビリの専門医もおらず、自分でリハビリ病院を探して下さいと言われて、何も決断できなかった親父が、僕に電話してきたのだった。


肺がんで入院することも手術することも息子たちに知らせず、電話を受け取った僕は驚いて涙した。


それから一週間後には、僕らでレンタカーで鴨川の総合病院へ運び、約5ヶ月毎日通って、歩かせてリハビリを手伝い、自力で排泄ができるようにして退院させた。

 

ひきこもり中で(隠れみので補習塾は自営していた)当時ずっと一緒に暮らしていた愛犬チェリーはは、急に苦手なお留守番の日々となり、母が転院して10日後、母に命を譲るかのように16歳目前で突然の急死。

こいけは、しばらく火葬後家で動けなくなったが、僕は泣きながら母の元へ通ったものだ。ひきこもって両親の期待にそえなかったことへの贖罪の気持ちもあっただろう。もうあんなに泣くことはないね僕はきっと。



退院時要介護3だった母も、今や要支援1。しかしやはり高次脳機能障害は残っていて、失語、失認などがあり、母に痛みを共感してもらえない親父が人と話すこともなく、痛みといらいらを悪循環させてた部分もあるのじゃないかと。だからこそ、こういうたくさんの人たちに囲まれながら生活したらまだ痛みが軽くなるのではと思っている。




その母が手術したのが12年前のGW。5/3





僕はGWなんて大嫌いだ。!笑



苗床の除草。

 

 

 

 

 





きぬさやも採れ始め、いやぁもううち空けられないって。マジに。苦笑

 







 

 

 

インター近くの鯉のぼり。10年ぶりに見た。

 

 

 

 

 

乱文だが、もうこれで投稿する。













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