カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

しぶとい~脱穀第一弾~

2016-10-26 21:42:22 | 自然農お米作り

前夜まで晩酌して、翌木曜朝突然の高熱でたまたま来たリハの人に気づかれ、搬送された親父。


40度近くで敗血症、3月に続いての尿路感染症と危なかったそうだけど、翌朝には抗生剤が効いて落ち着いたそうだ。


一昨日病院に電話、二度目の採血を朝したので昼頃には結果が出る、その結果がよければ退院でもよいとのこと。



まずは一本おだを建てながら結果を待った。

 





昼頃病棟より電話があり、僕が来るなら退院でもいいということだったので、昼飯をさっと済ませて親父の病院へ。



いててて攻撃がまた始まっている。



主治医と面談。


まぁ毎回だが施設入所が望ましいとのこと。客観的には当たり前だ。



だけど紙相撲。どうしようもない。




母ちゃんとこへ一泊して、昨日朝行って昼過ぎに退院させてきた。




退院前の看護師の説明もろくに聞かず、聞かなくていいようなことを得意げに聞き返したりして、いててて攻撃が始まっている。態度も横柄になってきた。


 

全部オムツから着替えさせてやり、車いすで会計へ。名前を呼ばれるまでも、車いすからずり落ちそうになったり、立って車いすに手をかけたり、激しいいててて攻撃。会計でも文句を言ったり、周りは苦笑と憐憫と非難の混じったような視線。




玄関前の車寄せのコンクリートの柱の横に車いすを止め、車いすのロックをして、いつでも座れるように指示してもたれ立っていてもらう。


急いで駐車場の車に戻り、清算して玄関前へ。なんとか立っていた。



後部座席へ乗せ、助手席を倒し足を投げ出せるようにして実家へ。



前回と同じ、走り出すと大人しくなり、母ちゃんの助けも借りてマンションへ帰すと、さっさと何もなかったかのように、サンドイッチを一つ食べ、ソファに寝そべって昼のB級映画などを軽口をたたきながら観ている。不機嫌な声を出されると嫌なので、今後の注意や主治医の見解などを前夜紙に書いておいてあとで読んでと渡した。




1時間くらいもいないでさっさと帰路へ。プンプンだよ。



 

だが、母ちゃんも疲弊してきているようだし、親父も新たな数値の異変で薬が追加されていた。



 

いつ次が来るかわからないけれども、二人でどこまでも閉じていたいならいればよい。できれば、その日まで晩酌を続けて穏やかな最期を迎えて欲しい。何かあったら連絡が来てしまうが、しばらくはまた知らんぷりする。積極的には頼まれなければ関らない。あなたってほんと嫌な人ね。苦笑


 

 

明けて今朝は、前夜の雨で湿った稲を間隔を開けて干し直し、ハーベスタの準備をして自分の歯医者へ。

 

 





ホームセンターなど寄って、2時頃帰宅。こいけと簡単な昼を済ませて先週刈った分の脱穀。

 






夕暮れ直前までかかってなんとか終了。

 

 





更に籾を天日干しして、やっと新米(籾)となる。




 

まだ半分残っているが、豊作の感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて上の写真は、8月に役員で蒔いた参道のコスモス。

 

 

ここは重機で造成した石ころ交じりの痩せた土地。区長が区画を半分に分けて、僕の直播き農法をテストしてみようということになったのは前述の通り




向こうの一区画は、耕運機で無理無理耕して、種を蒔き土をかけ、肥料も少しだけやって、水もポンプアップしてたっぷりかけたコスモス。



手前のちろちろ咲いているのは僕が蒔いた場所。袋から手でパラパラと直播きして、そのあと草刈り機で草を地際で刈って、じょうろで3杯ほど(風で飛ばないように)1~2往復しただけ。一人で15分くらい。




敢えてその後の水やりや肥料もかけないでもらった。

 

 

 

だめで元々と思って(苦笑)いたのだが、3か月経って生き残って草の中で咲くものが何株かあったのを昨日の帰り見かけた。




これを見て、やっぱり手間かけた向こうがいいんじゃん!と思うか、自然の選抜の強さを凄いと感じるか、そこだね。

 

まぁこのやり方は、正確には僕がイネ子でやっている自然農ではなく(不耕起無肥料無農薬だが、幼いうちは草を刈ったり手をかけてやる)、福岡正信氏(わら一本の革命)が世界で初めて不耕起直播き栽培をおやりになった自然農法だ。僕にはそこまでは怖くてとても試す勇気がまだないけれど、コスモスだからやってみた。あ、でも一昨年の小麦は直播きだったっけ。

 

来年、このこぼれ種はどうなるかな?

 

 

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