気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

雪に傘

2005-12-18 13:10:54 | つれづれ
雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ
(小池光 バルサの翼)

操觚者(さうこしや)を父にもちたる運命にもの書くむすめ書かざるむすめ
(小池光 時のめぐりに)

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けさ起きると、すっかり雪が積もっている。しかも粉雪。
それに気付いたとき、雪に傘の歌を思い出す。歌とともに生きることの幸を思う。

短歌で、経歴や境遇を書いてもナンセンスだという話を聞く。
歌から作者の生活を詮索することのバカバカしさが、このごろやっとわかってきた。私の場合、時間がかかった。
今年の新年歌会で、小池さんに「娘さんのお一人はものを書かれるんですね」と言ったら「あんたそれはね・・・」と言われた。その意味がしみじみわかる。

ブログの背景をクリスマスまで、赤にしようと思っていたが、なんとも居座りが悪い。妙な暖かさの演出に辛くなってきたので、またあっさりした別のものに換える。このあたりが「気まぐれ・・・」の所以。

あぢさゐ色

2005-12-18 00:29:39 | つれづれ
われがもつとも惡(にく)むものわれ、鹽壺の匙があぢさゐ色に腐れる
(塚本邦雄 日本人靈歌)

わたくしとそのわたくしの深井戸にあなたはさやと言の葉挿した
(角田純 海境)

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昨日、このブログで取り上げた角田純さんの歌と、塚本邦雄の歌を並べて読んでみた。時代が違うけれど、根っ子に通じるものを感じる。

所用で千里から梅田に行き、大切な人たちと会う。
人工的なものに囲まれての充実した一日だった。

言の葉

2005-12-17 00:22:06 | つれづれ
わたくしとそのわたくしの深井戸にあなたはさやと言の葉挿した
(角田純 海境)

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わたくしが二度も出てくる。初句と二句の12音をここに費やしている。
三句以下の「深井戸にあなたはさやと言の葉挿した」・・・これをちょっと触れば俳句なのに、短歌にするために初句二句を充てている。自意識を強く感じる。歌人は俳人より、真面目で自分にこだわることを示している。短歌を作ることは、自分の深井戸を掘ることだと、改めて思う。

ぬるま湯で化粧を落とす真夜中のわたしを縛るものはわたくし
(近藤かすみ)

つれづれ

2005-12-15 23:37:10 | つれづれ
居ても居なくてもいい人間は居なくてはならないのだと一喝したり
(奥村晃作 男の眼)

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ここしばらく、あれこれ短歌の行事に参加している。
角川短歌12月号を、少し読むがなかなか進まない。
これから先も短歌を続けていくとは思うが、少々弱気にもなる。
奥村さんに一喝されたら、すっとするかもしれない。

岩井聡さんのブログ「単読者の日記」が閉鎖されるとのこと。久保寛容さんの「耳取り峠」も閉鎖されたまま。それぞれ事情があるようだが、お元気で居てほしいと心から思う。
(画像は「そうだ京都へ行こう」様からお借りしました。)

泣くことを咎めるひとのいないこと確かめてから泣きはじめたり
(近藤かすみ)

サンタが町に

2005-12-14 21:24:52 | つれづれ
白昼堂々サンタが町にやって来てもうふたり来て拾うタクシー
(斉藤斎藤 三蔵2 第五号)

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角川短歌12月号の特集、今年出会った一番の歌(田中槐さんのページ)からの引用。
見せてはいけない舞台裏を見せちゃったことを歌にして面白い。あれあれと思うが、一首の中にお話があって映像も浮かんでうまく出来ている。

サンタが町にやって来・・・から思い出すことだが、もう十数年前、娘とピアノの連弾でこの曲を弾いた。なんとか出来たのだけど、その出番の前の緊張と言ったら、もう胃に穴が開くかと思うほど緊張した。その後の記憶に残る緊張は、息子の合格発表だった。どこへ行っても緊張してしまう私だが、この二大緊張を超えるものはまだない。

息子来て食べて帰つて娘からこれから帰ると電話がかかる
(近藤かすみ)

海境 角田純

2005-12-13 17:55:47 | つれづれ
草叢に墜ちたる鳥のごときかな霧にまぎれてあさの水際へ

魂きはる昭和は昏し、くらければ火の匂ひする言葉を我に

たましひもひかりもかぜもうつろひて海境(うなさか)に降る雪のぬくもり

しづかなる海の上(へ)にひかりあふれをりあかるきことは寂しかりけり

屋梁(はり)ふかく打ちこまれをる古釘は若草の野辺をおもひて啼きぬ

(海境 角田純 砂子屋書房)

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きょうはわりと時間があるので、日曜日に行った批評会の『海境』の復習。
松山市の海の近くで仕事をしておられるらしい作者だが、経歴はなぞのまま。読者はその重い詠いぶりに酔っていればよいのであって、決して詮索してはならない。
タイトルがすべてを語っている。

暮れいそぐ冬の一日どなたとも話さぬことが慣らひとなりぬ
(近藤かすみ)

昨日の朝日歌壇&more

2005-12-12 22:15:48 | 朝日歌壇
生者のみめくれるように出来ている日めくり暦すでに極月
(塩釜市 佐藤幸一)

携帯を仕舞うや娘首を垂れマリオネットのごとくし寝ねぬ
(東京都 丸木一麿)

真直ぐに前を見つめるサングラス高橋尚子来た来た過ぎた
(国立市 加藤正文)

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一首目。カレンダーも終わりに近づいて来たが、それをめくることが出来るのも生きている人間だけという視点が新鮮。だが「めくれる」という言い方はこれでいいのだろうか。「ら抜き」言葉なのじゃないか。「めくり得る」なら理屈っぽいかな。
二首目。人がどれだけ携帯電話に囚われているのかが、わかるような表現。いつでもどこでも誰かとつながっているのは、息苦しいことではないのだろうか。私はいまだに携帯電話を持たないが、出先で電話をかけようとすると、公衆電話が見つからなくて不便。それでも持たないのは相当に意固地なんだろう。このまま行けるところまで行くつもり。
三首目。高橋尚子の快走は素晴らしかった。結句の「来た来た過ぎた」が生き生きしている。

朝日歌壇で一首ずつ出る歌と、歌集や連作の中の一首とは、なんとなく違う。読む層が違うからだろうか。短歌は、だれに読まれることを想定して作るものなのだろう。

わが夫を帰さぬ会社のカレンダー最後の一枚冬枯れの空
(近藤かすみ)

芍薬

2005-12-10 23:38:36 | つれづれ
ついと出(で)し切符をつまみ抜きしのみに自動改札すでにとほりぬ

ひとたばの芍薬が網だなにあり 下なる人をふかくねむらす

(小池光 静物)

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わけあって『静物』を読み始める。思えば最初に買った歌集がこれだった。書店に注文してかなり時間がかかった。3000円はそのとき目が飛び出るほど高かった。
自動改札からつっと出た切符をとって通りましたよ・・・それだけで歌になる。そのころから、ずぶずぶと短歌の世界に入って行った。遅れてきたわたし。
(画像は季節の花300さまからお借りしています)

旅先で切符失くさぬ方策のひとつ まるめて耳殻の上に
(近藤かすみ)

テレビ

2005-12-09 23:10:30 | つれづれ
笑ひ声絶えざる家といふものがこの世にあるとテレビが言ひぬ
(小池光 日々の思い出)

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ある方とメールで、小池さんのうわさ話をしていて、私が小池さんのところで歌をやろうと思ったのは、この歌がきっかけだったと今更思う。現実の事柄が良くも悪くも、それにまともに当たると辛いことがある。例えばテレビという「枠」を持ってものを見ると、気持ちが楽になる。自分を客観視すること、俯瞰すること。しんどいことも、人生の一場面やんか・・・と考えてみる。これを歌を通じて教えてくれた小池光のいる短歌人会に入ろうと思った。
(画像は岐阜県博物館のサイトから)

ずぶ濡れのビートたけしの熱演を茶の間の無音のテレビが映す
(近藤かすみ)

お子様

2005-12-08 17:06:55 | つれづれ
お子様はいつからそんなに偉いのかランチのうへに小旗は紙の
(資延英樹 抒情装置)

日の丸はお子様ランチの旗なれば朱色の飯(いひ)のいただきに立つ
(小池光 日々の思い出)

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次の日曜、12月11日に資延英樹『抒情装置』、角田純『海境』合同批評会が大阪ガーデンパレスである。
批評会のみ申し込んでいて、今日は昼間時間があったので、少々予習。先週の東京の会には、小池さんも出席されたらしい。

お子様の親は<親様>お受験の塾の講師の友は呼びたり
(近藤かすみ)