気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

子規のユニホーム

2005-12-07 22:48:23 | つれづれ
久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも

今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうちさわぐかな

(正岡子規)

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坪内稔典『柿喰ふ子規の俳句作法』を読みすすむ。
久方の・・・は天(あめ)にかかる枕詞で、久方からベースボールを引っ張り出してくる言葉あそびの歌。
ブログに載せる写真を探していると、子規のユニホーム姿というのを見つけて感激した。
愛媛大学のサイトからお借りしました。
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/KUHI/JAP/yakyu.html
以下は、即詠。

ユニホーム以上にスーツの似合はしき古田敦也は将棋参段
(近藤かすみ)

林檎(きのうの朝日歌壇)

2005-12-06 16:08:58 | 朝日歌壇
若者の血のあと残る事故現場にひっそりと降る霜月の雨
(京都市 佐藤佳代子)

儀礼のごと林檎を高く放り上げ青年晧(しろ)き歯に齧りたり
(栃木県 若島安子)

朝食に流れるEnya(エンヤ)のメロディーが今日という絵の額縁になる
(カナダ 堀千賀)

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一首目。写実の歌で、ものだけを歌っているがその背景がわかる歌。
二首目。青年というのは このごろ聞かなくなった言葉だと思った。清潔感のある歌。
三首目。音楽がそれをよく聴いていたころの額縁になるという考えに共感した。エンヤはわたしも好き。

もう生活の一部になっている短歌だが、なんのために短歌を読んで作っているのだろうと、ときどき思う。
ある場所には、いい人でありたくてそれを確かめるためのような歌が集まる。いい人でなければならないプレッシャーが強い。毒がない。
ネット上のおつきあいというのも、毒があってはお互いに辛い。某所で読んだ「ネットで才能を消費していませんか・・・」という言葉、私も心しなければならない。

国光を切つてうさぎのかたちにし薄い塩水に浸せと母は
(近藤かすみ)

食悦三六五日

2005-12-03 23:23:33 | おいしい歌
ごはんにはお好み焼きぞおやつには烏賊焼き右党なら御座候

枯れるにはまだはやすぎる串カツの脂ぎりたる串の先端

晩酌のときにつまみし昆布豆御飯を注いでまたのびる箸

(吉岡生夫 短歌人12月号 食悦三六五日)

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明日は短歌人会関西歌会&忘年会なので、その予習。
詠草を読んだあと、今月号も読もうと思うが、なかなか進まない。

吉岡さんの食べ物のうた、いつも楽しみに読んでいる。
一首目。右党という言葉はあまり使わないが、酒好きを左党というのに対しての「甘党」の意味だろう。御座候は大判焼き=今川焼きの一種で関西を中心にチェーン展開しているお菓子。以前、知り合いが「御座候」を連発するので、何のことかわからなかった。大判焼きのことだとあとで知った。彼女は姫路の出身なのだ。
二首目。串カツ、焼き鳥、私も好物だ。居酒屋で出るとつい、みんなで分けられるように串からはずして「どうぞ・・・」とやってしまう。無粋だったと気付く。
三首目。御飯をつぐというのは言うのだけど、注ぐとすると「そそぐ」と読まれるのじゃないだろうか。注ぐという言葉からは液体を連想する。
・・・とえらそうなことを書いてしまった。
(画像はhttp://less-is-more.seesaa.net/さんからお借りしました)

土産には甘きがひたすら好まれし昭和の御世に生姜板あり
(近藤かすみ)

銀杏

2005-12-02 21:34:39 | つれづれ
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に
(与謝野晶子)

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京都の街路樹の銀杏が美しい。今のたっぷりの銀杏は、もうじき作業の車が来て南から順番に伐られていく。本当の冬が来る。

短歌人会は12月に限り7日〆切(必着)なので、いよいよ原稿を書かなければならない。さてさて・・・

紅生姜

2005-12-01 23:16:50 | つれづれ
紅生姜入れに紅生姜詰め込んでるあんな教育を受けたくせに
(斉藤斎藤 短歌12月号 76ページ)

学歴をなほ信じゐる母連れて春のハトヤに来たりけるかも
(小池光 日々の思い出)

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角川短歌の「今年出会った一番の歌」で黒瀬珂瀾氏が取り上げていたのが、斉藤斎藤のこの歌。下句にすごいインパクトを感じた。
加藤治郎の有名な「もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに」を踏まえたと、黒瀬氏は言う。その通り。

連想として思い出したのが、小池光のハトヤの歌。
ああ、いつまでもアタマに沁みついた学歴信仰を捨てるため、母は新たな自分を探さなければならない。この手の内容の歌をまだ冷静に読めない私。わが子がおごってくれるなら、マクドでも吉野家でも母は泣いて喜ぶのである。

四大卒専業主婦の命がけの子の進路言はぬ聞かぬこのごろ
(近藤かすみ)