気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

昨日の朝日歌壇&more

2005-12-12 22:15:48 | 朝日歌壇
生者のみめくれるように出来ている日めくり暦すでに極月
(塩釜市 佐藤幸一)

携帯を仕舞うや娘首を垂れマリオネットのごとくし寝ねぬ
(東京都 丸木一麿)

真直ぐに前を見つめるサングラス高橋尚子来た来た過ぎた
(国立市 加藤正文)

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一首目。カレンダーも終わりに近づいて来たが、それをめくることが出来るのも生きている人間だけという視点が新鮮。だが「めくれる」という言い方はこれでいいのだろうか。「ら抜き」言葉なのじゃないか。「めくり得る」なら理屈っぽいかな。
二首目。人がどれだけ携帯電話に囚われているのかが、わかるような表現。いつでもどこでも誰かとつながっているのは、息苦しいことではないのだろうか。私はいまだに携帯電話を持たないが、出先で電話をかけようとすると、公衆電話が見つからなくて不便。それでも持たないのは相当に意固地なんだろう。このまま行けるところまで行くつもり。
三首目。高橋尚子の快走は素晴らしかった。結句の「来た来た過ぎた」が生き生きしている。

朝日歌壇で一首ずつ出る歌と、歌集や連作の中の一首とは、なんとなく違う。読む層が違うからだろうか。短歌は、だれに読まれることを想定して作るものなのだろう。

わが夫を帰さぬ会社のカレンダー最後の一枚冬枯れの空
(近藤かすみ)