5月京都へ行った時、アメリカ映画『ジュリエットからの手紙』を観た。事前にこの映画の評判とか論評は、一切、目にも耳にもしていなかった。京都で雨宿りのために映画を観たというのが実際だった。その映画館は12の映画を上映していた。迷った。この映画を観ようと思ったきっかけは、この映画がイタリア・ロケだったことだ。映画の内容がどうでも、イタリアの景色が観るだけでもいいと思って入場券を買った。
私は、日本以外で住むならイタリアに住みたいと思っている。イタリアの景色、気候、人々の気質、歴史、そして何より食べ物。フランス語はきれいな言葉と言う人が多い。私はイタリア語の響きが一番好きだ。オペラもイタリア語がいい。イタリア人女性歌手フィリッパ・ジョルダーノは、私の心を奪ったままである。ドイツ人の合理性を尊敬し理想とするが、ドイツに住みたいとは思わない。初めてイタリア北部の小さな生ハムの生産で有名な都市、サンダニエルで大皿に並べられた黒に近い紫色のイチジクの上に、店の女主人が巧みな包丁さばきで薄く切られた生ハムを冷えた白ワインと口にした時、タクシーの運転手に紹介してもらったローマの小さな食堂でポルチーニをちょっとあぶって、塩とオリーブオイルだけでやはり白ワインと食した時、私はこのままイタリアに住み続けたいと心底思った。ラグーナという潟に造られた車の走らない都市ヴェネッツイアに初めて旅した時、このままずっと居たいと思った。旧ユーゴスラビアに3年8ヶ月暮らした。当時旧ユーゴスラビアは民族紛争で混乱していた。時間があれば、車を6時間運転すれば行けるイタリアに癒しを求めてさまよった。
最初映画の物語そっちのけで大きな画面に映し出されるイタリアの風景にばかり気を取られていた。ぶどう畑、赤い瓦、白い壁の家、青い空。だんだん話の展開にも引きこまれていった。英国人の女性とイタリア人の男性が青年時代に恋に落ちたが、その恋は成就せず別れた。お互いが他の人と結婚して家庭を持ち、老いていつしか伴侶も失う。そのまま終るはずだった人生に突然ジュリエットの手紙が届く。私個人は、終った恋や結婚を、歳を取ってから再び蒸し返すこと自体、抵抗を感じる。しかし人によっては、恋を美化して何度でも楽しめるらしい。映画の老人たちの恋の再燃に物申す気はない。それぞれの人生である。ただそういう恋物語の舞台としても、イタリアは、映画になる国だと感心した。風景、気候、国民性、食べ物。私は、約2時間、イタリアにどっぷりと漬かることができた。このような老いらくの恋の映画が、日本ロケで撮影されたとすれば、私は途中で映画館から出たかもしれない。ロケ地の雰囲気を思い切り楽しむこんな映画の見方もあると知った。
満足して映画館から出るとまだ雨が降っていた。イタリアのカラッとした空気もいい。でも京都の雨は雨で私は好きだ。通りがかった六角堂の柳に雨が落ちていた。その風情のある美しさに私は、立ちつくした。イタリアも好きだが、日本もいい。やはり京都に来てよかった。そのままホテルまで歩いて帰り、部屋で小さな幸せを手のひらに学会で難しい講義を受けている妻の帰りを待った。