団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

映画『ジュリエットへの手紙』

2011年07月05日 | Weblog

 5月京都へ行った時、アメリカ映画『ジュリエットからの手紙』を観た。事前にこの映画の評判とか論評は、一切、目にも耳にもしていなかった。京都で雨宿りのために映画を観たというのが実際だった。その映画館は12の映画を上映していた。迷った。この映画を観ようと思ったきっかけは、この映画がイタリア・ロケだったことだ。映画の内容がどうでも、イタリアの景色が観るだけでもいいと思って入場券を買った。

私は、日本以外で住むならイタリアに住みたいと思っている。イタリアの景色、気候、人々の気質、歴史、そして何より食べ物。フランス語はきれいな言葉と言う人が多い。私はイタリア語の響きが一番好きだ。オペラもイタリア語がいい。イタリア人女性歌手フィリッパ・ジョルダーノは、私の心を奪ったままである。ドイツ人の合理性を尊敬し理想とするが、ドイツに住みたいとは思わない。初めてイタリア北部の小さな生ハムの生産で有名な都市、サンダニエルで大皿に並べられた黒に近い紫色のイチジクの上に、店の女主人が巧みな包丁さばきで薄く切られた生ハムを冷えた白ワインと口にした時、タクシーの運転手に紹介してもらったローマの小さな食堂でポルチーニをちょっとあぶって、塩とオリーブオイルだけでやはり白ワインと食した時、私はこのままイタリアに住み続けたいと心底思った。ラグーナという潟に造られた車の走らない都市ヴェネッツイアに初めて旅した時、このままずっと居たいと思った。旧ユーゴスラビアに3年8ヶ月暮らした。当時旧ユーゴスラビアは民族紛争で混乱していた。時間があれば、車を6時間運転すれば行けるイタリアに癒しを求めてさまよった。

 最初映画の物語そっちのけで大きな画面に映し出されるイタリアの風景にばかり気を取られていた。ぶどう畑、赤い瓦、白い壁の家、青い空。だんだん話の展開にも引きこまれていった。英国人の女性とイタリア人の男性が青年時代に恋に落ちたが、その恋は成就せず別れた。お互いが他の人と結婚して家庭を持ち、老いていつしか伴侶も失う。そのまま終るはずだった人生に突然ジュリエットの手紙が届く。私個人は、終った恋や結婚を、歳を取ってから再び蒸し返すこと自体、抵抗を感じる。しかし人によっては、恋を美化して何度でも楽しめるらしい。映画の老人たちの恋の再燃に物申す気はない。それぞれの人生である。ただそういう恋物語の舞台としても、イタリアは、映画になる国だと感心した。風景、気候、国民性、食べ物。私は、約2時間、イタリアにどっぷりと漬かることができた。このような老いらくの恋の映画が、日本ロケで撮影されたとすれば、私は途中で映画館から出たかもしれない。ロケ地の雰囲気を思い切り楽しむこんな映画の見方もあると知った。


 
満足して映画館から出るとまだ雨が降っていた。イタリアのカラッとした空気もいい。でも京都の雨は雨で私は好きだ。通りがかった六角堂の柳に雨が落ちていた。その風情のある美しさに私は、立ちつくした。イタリアも好きだが、日本もいい。やはり京都に来てよかった。そのままホテルまで歩いて帰り、部屋で小さな幸せを手のひらに学会で難しい講義を受けている妻の帰りを待った。


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日焼けしたグレープフルーツ

2011年07月01日 | Weblog

 町田へ行く楽しみのひとつに駅近くの果物屋で格安で私の大好きなパパイヤを買ってくることだ。この果物屋は、首都圏に多店舗展開している。果物は傷みがはやい商品だ。その上、日本人の購買者は形、色、新鮮さにこだわる。商品価値の見極めにうるさい。だから商品価値が下がると廃棄するか、それを承知した客に投売りするかのどちらかである。この店では、ある有名店なら1個1600円で売っているハワイのパパイヤ・ソロ(果肉がサーモンピンク色の種類)が4~5個1000円で買えることもある。私は、傷んだ部分を相当切り捨てる覚悟で購入する。いわゆる投げ売りしている店なのだ。

 10時少し前だった。配送トラックが都内の店舗から集めてきた商品の箱が店の前に置かれていた。まだ商品をいつものように陳列されていていなかった。売り切れを恐れ、早い時間に店頭に足を運んだ私は、店の右端で店員とおばさんが大きな声でやりあっていた場面に出会った。店員「うちはお客に承知してもらって売っているんだよ。その辺のどこの店でも1個何百円で売っているから。行って見て来な。文句言われても困るんだよ」何が起こっているのか私には全容はつかめなかった。雰囲気と双方の動き様子、持ち物から想像した。おばさんは、昨日、この果物屋を普通の店と信じ込んでグレープフルーツを格安の値段で買った。家に帰ってグループフルーツをよ~く見てみると、いつも買っているグレープフルーツとすこし違う。皮にみずみずしさがない。日に焼けている。そこでおばさんは、朝一番、店に取り替えてくれるように現物を持ち込んだ。店にはおばさんが買ってもちかえったものと同じ商品しかない。「取り替えて」と客に言われても店側も困る。話を聞いていると、なお厄介なことに昨日売った店員が今日と違っていたらしい。昨日の状況を認識理解して、店員がおばさんがわかるように優しく説明できたならまだしも、今日はじめておばさんに出っくわし、苦情を持ち込まれた店員、お互い自分の主張でぶつかり合う。言い合いは、誤解から始まる。きちんと説明できればいいのだが、多くの人は自分の言いたいことを理路整然と説明して自分の意見を主張できない。また他人の話を聞く耳を持たない。たとえ店員が懇切丁寧に説明できても、おばさんに理解する知性がないかもしれない。私はできることなら仲を取り持ちたかったが、ついにそのきっかけさえもつかめなかった。おばさんはブツクサ言いながら不満たらたら店を離れていった。

果物屋でおばさんが何か言ってもすぐ近くにいた私でさえ、おばさんに話を聞こうとしなかった。ましてや通行人は、まったく無関心だった。今の日本の人々の関係が希薄で、人はそれぞれの利害だけで狭い社会で他人と関係を持つ。世間を自らひどく狭くして生きている。生き易いといえばそうだ。生き難いといえばそうだ。現在の日本はアメリカを真似て、何事も自己の能力の及ぶ極狭い競争社会に身を置いて生きている。

このグレープフルーツのおばさんを原発事故に戸惑う国民にたとえれば、果物屋は、さしずめ東京電力、原子力安全委員会、原子力保安院の会見に出てくる説明担当者である。説明を求められておばさんに判るように説明することは難しいことだ。故井上ひさしは「自分にしか書けないことを誰が読んでもわかるように書く」と作家の極意を言っている。「その道を極めている人は、誰にでもわかるように平易な言葉で説明できる」と大学教授に聞いたこともある。原子力専門家に言い換えれば「自分にはわかっている原子力のことを、素人である国民のだれにでもわかるように説明できる」はずなのだが、そんな学者がマスコミに出てこない。

本当は果物屋も原子力関係者も商品のことも原子力のこともよくわかっていないのかもしれない。今の日本は、いつしか驕り高ぶりが横行している。「自分以外はすべてバカ」という風潮が蔓延している。アフリカで「日本の製品は傲慢にできていて、アフリカの一般消費者が求めるモノをつくってくれない」と言われたことがある。多くの企業が他の日本の競争企業との製品開発競争にあけくれた。気がついたら、ほとんどの分野でガラパゴス製品と揶揄されるような一部の機械工学好きにだけ好感賞賛される製品ばかりになってしまった。日本のモノ作り復権は、「日本にしか作れない優れたモノを作って、世界の誰にでも簡単に使ってもらえる」ことではないだろうか。

 そんなことを考えながら私は目当てのパパイヤ、2パック〔1パック3-4個いり〕2000円分を買い、重い箱を持って、もし途中でグレープフルーツのおばさんがいたら話しかけてみようと駅に向かった。結局おばさんに遭うことはできなかった。つぎは話しかける勇気をふりしぼってみる。

 今回私の買ったパパイヤはいつもより、痛みもひどく食べられる部分はすくなかった。唯一傷んだ部分をカットしないで食べられた1個のパパイヤを写真に撮って、グレープフルーツの交換を店員に掛け合っていたおばあさんを思った。(写真:朝食に用意したパパイヤ)

 

 


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