団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

娘を守れ

2014年03月06日 | Weblog

  昨年8月25日花火を見に行った帰りに中学3年生の寺輪博美さん(当時15歳)が殺害、遺棄された。半年が過ぎた3月2日強盗殺人の容疑で現場近くに住む高校3年生の男子生徒(18歳)が逮捕された。切ない。わり切れない。怒りに振り回される。

 健康で未来に夢いっぱいの若者、特に女性が犯罪に巻き込まれ命を奪われている。15歳当時の自分を考える。いま、私は66歳である。15歳以後どれほど多くの良いこと、悪いことがあったか。波乱万丈、一生どころか他の人の何生分も生きてきた。カナダへ留学できた。恋をした。失恋した。結婚した。2人の子供を授かった。離婚した。再婚できた。妻の海外勤務について行き主夫になった。狭心症で心臓バイパス手術という最新医療でオマケの命をいただいた。15歳で命を絶たれた寺輪博美さんに申し訳なく恐縮する。

 娘を守る。子を守る。自分の命を守る。嫌な時代になった。娘を守る、で思い出す話が2つある。

  北海道の湧別町で漁師の岡田幹夫さん(当時53歳)が吹雪に巻き込まれ、車の中で長女の夏音さん(当時9歳)を守るために胸に抱え凍死しているのを発見された。長女を守るために父親が自らの命をさしだした。

  私の知人は娘2人を10年間にわたってバス停まで送り迎えした。娘2人を中学から私立学校に入学させ、バスと電車で通学させた。家が高台にありバス停に出るのに危険と思われる公園の脇道を通らなければならなかったからだ。娘なのでもしか公園で事件に巻き込まれてはならない、の一心で通学日はどんなことよりも優先させて必ず送り迎えをしたという。

  親は当たり前のように自分のことをさて置いても子供のために身を粉にして子を守ろうとする。犠牲となり、子供のために踏み石になり子供が幸せになれと助け後援する。ましてや近年、性的事件、通り魔事件、無差別殺人事件、強盗殺人事件が頻繁に起こる。どんなに用心していても、事件事故に遭遇する可能性は否定できない。親としてできるだけ守ろうと思うのは当然である。

  北海道の父親が娘の上に覆いかぶさって娘を凍死から守ったのは、あんな猛吹雪が来るかもしれない日に外出してしまった後悔と責任を感じたのかもしれない。妻を病気で失い、男手ひとつで育てていた父親の娘への思いは、娘のために自分の命にかえても守ることに迷いはなかった。その思いが離婚して私ひとりで子育ての体験がある私の心を締め上げる。

  私の知人がたった数百メートルの公園の脇道の急坂をバス停まで送り迎えしたのは、万が一の危険を感じていたからだという。思うだけでできないことは多い。10年間やり遂げた知人は偉い。

  娘を守る、子を守る、のは、親の役目だ。子を授かり、その子を大人になるまで育て、独り立ちさせる。子育ては、子を授かった親にとっての人生最大の事業である。親は子育ての専門家であるべきだ。危険回避に先手を打つ知恵を絞る。悪との真剣勝負は、いい加減な心掛けでできるものではない。私は離婚して初めて、そのことに気づかされた。子供が大学を卒業するまではと、自分のことは二の次にした。その13年間が私を生まれ変わらせた。

  いま、親の育児放棄、虐待、我が子の殺人が横行する。原因の一つは親が大人になっていないからだ。大人とは、愛する人のために時間を最大限に惜しみなく懸命に使える人である。

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