団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

写真家(日本)

2017年07月24日 | Weblog

①  齋藤亮一 写真集『BALKAN』

②  高橋曻  開高健『オーパ』 写真担当

③  星野道夫 『ラブストーリー』『ノーザンライツ』

①  ミシェル・ウエルベックの小説『服従』にこんな記述がある。「文学と同じく、音楽も、感情を揺さぶり引っくり返し、そして、まったき悲しみや陶酔を生み出すものと定義することができる。文学と同じく、絵画も、感嘆の思いや世界に向けられた新たな視線を生み出す」 私はこの文章の中の“絵画”を“写真”に替えてみた。私は適切かつ分かりやすい定義に魅かれる。「写真は、感嘆の思いや世界に向けられた新たな視線を生み出し、感情を揺さぶり引っくり返し、そして、まったき悲しみや陶酔を生み出す」

写真家 齋藤亮一との出会いは、旧ユーゴスラビアのベオグラードだった。ネパールで知り合った女性写真家からの紹介でベオグラードの私たちのアパートの部屋に泊まった。齋藤亮一は主に東ヨーロッパの国々の写真を撮っていた。特に人の写真がいい。一瞬の表情を切り取る。私も何千枚という写真を世界の各地で撮った。私が撮った写真には、訴える何かがない。ただの瞬間の景色の切り取りだ。新たな視線を生み出すことはない。そういう時間にあの場所にいたという、後になって思い出す証拠写真である。

縁あって齋藤亮一写真家に私の『サハリン 旅の始まり』の写真を担当してもらった。ほとんど必要経費だけで夏と冬の2回サハリンへ主人公リンさんの撮影に行ってもらった。本の中の2枚の写真は、私の感情を揺さぶり引っくり返さずにはおらない。       

②  開高健の『オーパ』の写真を担当した高橋曻も尊敬する写真家である。開高健が好きで開高健が書いたものはすべて読んだ。高橋曻は、開高健を十数年にわたって撮影し続けた。『オーパ』にはカナダ編もあった。カナダで開高健と少し似た経験をした。自然の中で狩猟、釣りをした。高橋曻の写真を私の感情を揺さぶり引っくり返した。開高健の文と高橋曻の写真は、ダブルで私を陶酔させた。

③  星野道夫は、写真家で探検家、そして作家、詩人でもあった。テレビの『どうぶつ奇想天外』の撮影で1996年8月、カムチャツカ半島滞在中ヒグマに襲われ亡くなった。星野は、多くのカナダで撮った写真を残している。星野の写真も文章も私の心を鷲づかみにして揺さぶり巴投げのように引っくり返した。43歳という若さで生涯を終えたことが悔やまれる。しかし、星野の写真も文章も残っている。いつ読んでも見ても色あせることはない。

 日本にも多くの写真家がいる。テレビに戦争写真家とか写真家と言ってコメンテーターをしている“写真家”たちがいる。彼らの写真を見たことはない。有名と実力・才能は同居しないようだ。私は写真を見た瞬間その写真を受け入れられるか、られないか、判断できる。撮るのは下手というか、才能がないが、感嘆の受け皿と鋭い視線は持っていると自負している。優れた写真家には、被写体の心を読み取るファインダーがついているのかもしれない。


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