団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

夫婦(めおと)鰹

2009年05月19日 | Weblog

 (お詫び:20日分の投稿を入院検査のため19日に差し替えます)

 なにげなく合わせたテレビのチャンネルから田中邦衛の姿が映し出された。彼は76歳になったはずだ。背景は港だった。NHKの『日本紀行』という番組だった。

 田中邦衛は案内人として出演している。その76歳の田中邦衛が紹介したのは、現在93歳の現役カツオ漁師の山中天吉さんだった。あの田中邦衛独特の語り口で、山下さんの年齢を言われると、山下さんがまるで天人のようにきこえるから不思議である。 朴訥に田中邦衛は、山下天吉さんを紹介する。ところは四国高知の土佐清水漁港。朝の4時半山下さんの船が港を出る。船に乗っているのは、山下さんだけではない。妻の山下操さん(89歳)も乗っている。操さんは狭い船室の中から夫天吉さんの一挙手一投足を見つめている。漁場までは小さな天吉さんの船だと3時間もかかる。本来女性を乗せない漁船になぜ女性が乗っているのか。

 山下天吉さんは、8歳の時からカツオ漁を生業としてきた。土佐清水漁港で一番の水揚げを誇ったカツオ漁船の船主だった。70歳で漁船を手放し、住んでいた自宅も息子に譲った。一人乗りの小さな漁船を購入し、年金と一人で行う漁からの売り上げで、操さんと映った2DKの市営住宅で暮らしている。私は、天吉さんのこの二つの決断に、敬意を表する。なかなかできることではない。覚悟のある人間にしかできないことである。多くの権力を持った頂点を極めた人は、いつまでもその権力にしがみつく。特に官僚、政治屋にその傾向がある。天吉さんの身の引き方は見事である。

 夫も立派だが妻の操さんは、もっと凄い。結婚して以後、天吉さんは漁に全身全霊を捧げるかのように働きずくめ。家のことは全くかえりみてくれない。漁で稼ぐお金を次々の新型船につぎ込む。男の車、機械、船などへのロマンという言葉に隠された身勝手である。操さんは、女手ひとつで二人の子どもを育てた。子どもたちは自立した。天吉さんが住んでいた家を子どもに譲り、市営住宅に引越す時も、操さんは抗うことなく天吉さんに決断を任せた。大きな最新型の漁船も売却し、小さなひとりで漁にでるための船にした。操さんは、「何を言っても聞いてくれないから」と言い、ずっと天吉さんの後ろを歩んできた。

 狭い船室から漁をする天吉さんの一部始終を見つめる操さん。カメラは見事にその様子を美しく映し出していた。カメラは、ふたりの想いまで映し出しているようだった。操さんはなぜ船に乗るようになったのか、私は理解に苦しんだ。田中邦衛のナレーションがそれを静かに伝えた。「もし夫に何かあったらと心配になった。そうなってもこの年寄りの女ひとりが助けることなどできるわけがない。そうしたら後を追って海に飛び込むしかない」と操さんの言葉である。天吉さんに好きなことをさせていあげたい。せめて一緒に漁に出て、天吉さんの仕事を見ていたい、と操さんが言う。一緒に旅行をしたこともない。土佐清水から出たこともない。凄い。昔観た『名も無く貧しく美しく』の佐田啓二と高峰秀子の燈台守の夫婦の映画を思い出した。

 天吉さんと操さん、市営住宅に住む。小さな質素な住みかである。懐かしいちゃぶ台で初カツオをふたりで囲む。操さんのカツオを切る包丁もまな板も使い古した年季のはいったものである。海では操さんはじっと天吉さんが働く後姿を眺めていた。陸では買い物に行く操さんを気遣って、天吉さんが自転車で、やはり三輪自転車に乗って後に追う操さんを先導する。スーパーでも操さんの買い物をエスコートに徹して横に添う。健康であることが長生きを支えている。しかし老いは確実に二人に忍び寄る。二人は、毎日をただひたすらに受け入れ生きる。このドキュメンタリーのタイトル『黒潮の海に今二人 老いて深まる夫婦のキズナ』が見事に二人の生き様を言い当てる。素晴らしい。テレビだからこその番組を観させてもらった。私たち夫婦も少しでも天吉さん操さん夫婦を目指したい。

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