水曜日午後、少し晴れ間が出た隙に海を見に行った。山国育ちの私は海を見ていると気持ちが“畏敬”で満たされる。水平線を見る。水平線の向うに虹がでていた。美しかった。私の背後の西の方角だけに青い空が見えていた。太陽の光が神々しく放射線をのばしていた。東、南、北、空、海、陸、島。目に入るほとんどが鉛色だった。水平線の彼方から「ジャックと豆の木」の豆の木の根元のような太い虹が向って右側に少しカーブしていた。完全な半円の虹ではなかった。水平線から立ち上がって数百メートルで切り株のようにスパッと切れていた。あまりの光景に見惚れていた。
カモメの鳴き声で現実に引き戻された。目でカモメを追った。いた。海岸からすぐ近くの波立つ漁礁の沖で漁をしている小さなボートの上にたくさんのカモメ。数十羽いた。鉛色の背景に白いカモメは目立つ。虹に心奪われ、その上生活臭を洗い清められたようになっていた私は違和感を覚えた。生きるためとはいえ漁船で漁師が獲った魚をかすめ取ろうなんて許せない。私はいつもの普通の私に戻っていた。海岸の階段状の防波堤に腰をおろした。虹と漁船の周りを飛び交うカモメを見ながら考えた。
中国では「トラもハエもキツネも」のキャンペーンを掲げて汚職の一掃に努めている。トラは共産党の幹部高官を指す。ハエは上層部以外の役人や一般人。キツネは中国から海外へ不正に巨額な財産を移している連中。なかなかのたとえである。本来、共産党の共産とは字のごとく資産生産手段を社会全体で共有することである。ところが中国でも人は他の国々と同じく汚職は理念とは裏腹に増える一方である。日本とて決して汚職が皆無とは言えない。あらゆる不正が毎日ニュースで伝えられる。
まだ虹は消えていなかった。7色の順番も色も言えない、見分けられない。でも綺麗だ。自然現象のこのような美しさがあるから生きていられる。
帰りがけ、川が海に流れ込む近くに水草を餌にする鴨の群れを見た。最近海に近い松並木の巣で繁殖期に入り集合しているアオサギも6羽がそれぞれの狩場に立ちすくんでいる。鴨には目もくれずにじっと餌の魚を狙っている。健気に見えるのは、かすめるのではなく自ら働いて生き延びようとしているからだ。生きていれば、周りに迷惑をかけるのは必然である。それでもできるだけ自力で生活を完結しようとする姿は虹にも劣らず美しい。美しいことには救いがある。それは喜びでもある。