住む町で夏祭りが始まった。コロナで開催が2年間自粛されていたので3年ぶりになる。先日、祭りに合わせて花火大会もあり、花火の破裂音が我が家でも聞くことができた。平常が戻って来た気がする。後期高齢者で基礎疾患を持つ私は、家で自粛を継続中。4回目のワクチン接種を受けたが、祭りや花火大会の人ごみに入り込む勇気はない。各地域が、トラックの上に山車を乗せて町内をまわる。私は、家の窓から通り過ぎる山車を見ている。山車の中では、10人くらいのハッピ姿の笛や太鼓のお囃子隊が、陣取って賑やかに演奏している。
祭り、特に夏祭りは、暑い夏を人々が乗り切れるかを試すような祭りだ。気弱になった人々に気合を入れるようでもある。私も幼い頃、町内の子供神輿を担いだものだ。汗をかき、苦しかったが、終わった後の達成感は、良く覚えている。大人の神輿を担いだことはない。でも私が子供の頃、大人神輿は、他の町の神輿と、よく喧嘩になった。神輿を担ぐ大人は、けいきづけに酒を飲んでいた。暑さ、酒の酔い、取り巻きのけしかけに、多くの担ぐ大人たちは、手がつけられない無礼講状態になっていた。夏祭りの神輿は、それが当たり前の風潮だった。
10代後半から暮らしたカナダでも、夏に多くの都市で祭りがあった。カナダの祭りは、パレードが主で、日本の祭りとは、異なっていた。山車のような車両に付けられたステージのような場所に、その町の選ばれて着飾った若い女性が立っていたり、映画や物語から発想を得た主人公や動物に扮した人々が立って手を振った。地元の高校のバンドが、先頭でバトンを大きく振る指揮者に先導されて行進した。一般の人々は、沿道で行進を見守る。形式は違うが、祭りに変わりはないと思った。
海外勤務した妻に同行して5ヵ国で暮らした。それぞれの国に祭りがあった。夏祭りという特定の祭りに出会うことはなかった。祭りは、宗教色が強かった。異教徒に入り込む余地はなかった。
コロナの感染者数が、国内で過去最高になっている。また感染者数は、世界最多になったそうだ。にもかかわらず、博多のどんたく港まつり、京都の祇園祭、弘前のねぶた祭、秋田の竿燈祭り、山形の花笠まつりなどが3年ぶりに復活している。3年もの長きにわたるコロナ禍。人々の我慢の限界なのかもしれない。
それにしても、3年経ってもコロナの正体、コロナの決定的な治療法は、見つかっていない。私は、ペストやコレラ流行の歴史に学んだことをじっと実践するのみだ。ペストやコレラを生き抜けた人々の多くは、城壁に囲まれ、他所から人を入れなかった孤立できた都市国家や村落に住んでいたという。他人との接触を避けて孤立していることが感染を防いだ。コロナ感染が始まって、すでに3年が過ぎた。私の晩年の貴重な3年間の喪失感があまりにも大きい。いろいろ体に問題はあるが、寝込んだり長期入院するほどのことはなかった。75歳を過ぎた今、健康寿命の限界が近いと感じている。
家の前を通り過ぎるトラックの上の山車に乗る元気な子供や若者を見る。羨ましいほど輝いている。私にもあのような時代があった。夏祭りのお囃子は、ちっとも変っていない。