団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

涙が止まらない

2017年05月19日 | Weblog

①    虐待死 藤本羽月ちゃんの正座写真

②    ベトナム人レェ・ティ・ニャット・リンの写真

③    川崎の中学1年生上村遼太くんの写真

①    私は子供の頃近所の子どもたちに“準内地マイ”とあだ名をつけられたほど泣き虫だった。準内地米とは戦後の食料難に国産米に準ずる米、つまり外国産の米を指す。準内地米の準の音と私の名前ジュンとをかけてプラス内地米を泣いてしまえとした。あだ名としては名作であろう。私は泣くまで彼らに寄ってたかっていじめられた。私を泣かせることは、彼らのウップンを晴らす手段として定着した。中学生になってやっと泣き虫が影をひそめた。最近また“ジュン泣いちまい”当時のようによく泣く。先日妻と夜の晩酌を楽しみながら、テレビのニュースを観ていた。羽月ちゃんが正座している写真が出た。私は妻に「こういう写真・・・」 話し出しながらすでに私は涙を流し始め、嗚咽で声が消えてしまった。妻も涙もろい。妻は静かにティッシュで目頭を押さえる程度だ。私は声を押さえられても肩の震えまでは封じられない。ニュースで2度羽月ちゃんの正座する姿が映し出された。以前裁判所に頼まれて、外国人女性が自分の5歳の男の子を壁に打ち付けて殺した女性の通訳をした。その時証拠として男の子の遺体の写真があった。何枚もの写真を母親に見せながらの尋問を通訳した。写真は正視できないものだった。羽月ちゃんの虐待によるアザと同じように体中にムラサキの変色があった。それを被告の母親がひとつ一つ供述する。私は機械のように訳した。私にはとてもつらい経験だった。あの裁判で母親が語ったことが羽月ちゃんの映像から蘇る。それにしても親の幼児虐待事件が多すぎる。自分の子を虐待してそれを携帯の写真や動画で配信するなど常軌を逸している。羽月ちゃんが正座する横で実の母親が携帯を操作している。私はたった3歳の羽月ちゃんの正座の姿を見ると胸が痛い。助けてあげられない自分に腹が立つ。羽月ちゃんの遺体と裁判で見なければならなかった証拠写真の5歳の男の子の遺体。そしてあの時の母親の供述した声。私には肩を震わせることしかできない。情けない。

②    千葉県我孫子市で殺されたレェ・ティ・ニャット・リンちゃんの写真。笑顔が可愛らしい。正直40歳過ぎた大人、それも小学校の保護者会の会長を務める者が、自分の性的嗜好を充たすために殺した。逮捕された男は、いまだに黙秘しているという。日本ではこのような性に関わる事件では被害者、被害者家族への配慮から事件の核心に触れることは避けられる。いずれ裁判では詳細が明らかにされるであろうが、真実を正面から受け止める精神力が欠けている気がしてならない。

③    川崎の上村遼太くんの笑顔の写真も辛かった。私の初孫と同い年で顔もよく似ていた。どうしても孫に重ねてあの事件を見てしまう。親の都合で隠岐から川崎に来て、彼の人生が狂ってしまった。私も2人の子どもを翻弄してしまった。深い反省がある。

私はもうじき古希を迎える。自分さえ良ければとは思わない。長生きしたいとも思わない。ただ願わくば、子を授かった親は、子を毎日食べさせ、時々抱きしめ、成人するまで育てる責任と気概を持って欲しい。こんなどうしようもない私にできたのだから、誰にでもできるはずだ。


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