団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

無利息

2009年10月16日 | Weblog
“なんどでも1週間無利息な、○○ローンが 初回30日間無利息をはじめました。足りないもの、みつけるなら今(原文のまま。○○は伏せた)”だとか“とことんあなたのチカラになりたい”はたまた“10万円を30日借りて500円玉が3つの1500円”電車の中吊りは、まるで借金をしなければ損だよのムードである。ちなみにこの利息は、年利18%である。都市銀行の1年定期預金でさえ利子は、年利0.12%しかつかない。実に150倍になる。500円玉3つが大した金額に思えないほど人々の金銭感覚は麻痺してしまったのか。騙しあいとそれを錯覚する側とのせめぎ合いの様相だ。これら消費者金融は、現在ほとんどが大手都市銀行に買収されてその傘下に収まっている。

 テレビやラジオは、最近“借金でお困りでは有りませんか”だとか“あなたは利息を払いすぎてはいませんか?”はたまた“最近元気ないね。何か心配があるの”と若い女性が前を歩いていて急に私(視聴者)の方に振り向いて問いかける法律事務所や司法書士の宣伝が多い。そしてどの宣伝も“何回相談しても相談料は同じです”テレビの宣伝料が安いはずがない。宣伝料を払っても、利益がでるなら、この商売は、儲けが莫大であるはずだ。これらの宣伝文句は、戯言、甘言である。私は、過剰な反応を示す。理由は、私自身の過去の経験にある。

 「いつもニコニコ現金払い」私を育てた継母も、再婚した妻もなぜかこの格言を頻繁に口にする。二人は信念として覚悟して格言どおりに実践する。私の亡き父は、派手好きで金遣いが荒く、継母はずいぶん苦労した。その分、継母は、質素で忍耐強く家計を守った。少ない収入を毎月、電気代、給食代などと古い封筒に入れて支払いに備えていた。そんな継母に育てられても、私は父の血を色濃く受けついだ。最初の結婚後、平均以上の事業収入を得ていたことで、「自分ならもっとできる」と野心を燃やし虚勢を張り、収入以上の支出を平気でする生活だった。ロータリークラブや青年会議所にも入った。有頂天だった。車、家電品、家とローンを組むのも平気だった。夢を追い、宣伝の甘い言葉に酔い、ローンで買った商品が、あたかも自分を幸せにしてくれると単純に思い込んでいた。事業への借金も夢を追いすぎ膨らんだ。JAL状態に陥った。離婚も結果として当然だった。離婚後、類は類を呼ぶのたぐいの知人の連帯保証人になり、その知人が夜逃げして、彼の借金千五百万円を被った。

 二人の子どもの養育、借金、離婚、どん底だった。そこからが私の出発だった。2年間、朝3時に起きて禅寺へ坐禅に通った。若かった。まだ30代だった。やがて下の女の子は、アメリカの友人の家庭に預かってもらい、上の男の子は、全寮制の高校へ進学させた。一緒に暮らせば、全員が破滅すると感じた。

 私は、ひとり地元に残り、仕送りと借金の返済に明け暮れた。毎月仕送りした後、米と味噌を買った。それでも食べ物を買う金がなくなって、数回消費者金融に手をだしたことがある。困窮生活が13年間続いた。何とか破滅しないで済んだのは、①子ども二人の仕送りに必死で他の事を考える余裕がなかった②自分が50歳以下で若さがあった③消費者金融で数回借りた金も米と味噌と食料以外に使わなかった、からだと思う。二人の子どもが大学を卒業し就職自立した。いまでは結婚して家庭を持った。私には再婚という天からの贈り物が届いた。妻は、結婚式の日「あなたは、これまで子どもや借金に身を捧げてきたのだから、これからのあなたの命を私に下さい」と言った。その気持になれたので受け入れた。長い修行だった。やっとまともな人間への歩みを始めることができた。

 10月10日、再婚してから18回目の結婚記念日を迎えた。「いつもニコニコ現金払い」は、私を現実に引き戻して、救ってくれた格言である。

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