団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

健康問題 靴

2007年11月02日 | Weblog

 最近外出して私と同じフィン・コンフォート社製の靴を履いている人を見つけては喜んでいる。

 靴とは不思議な履物である。私はその人が着ている服より履いている靴に興味がある。こんな話を聞いたことがある。旅館で働いている人は、玄関で客が靴を脱ぐ時、客の
靴を見て瞬時にその客の懐具合を判断するという。

 特に女性の靴へのこだわりは相当なものである。私は女性のハイヒールを見ていると、どうして人間があのような履物をはいて歩き回れるのかと感心する。

 養老猛司の講演会へ行った。養老さんは、人間は舗装でなく普通の土の上を裸足で歩くことが必要という。田植えのような足元の不安定な場所での労働は、脳をフルに使う動作になるそうだ。手と足への脳の運動と感覚領域に占める割合は非常に大きい。ここに顔の筋肉の運動を加えれば、脳への良い刺激になるそうだ。

 トランポリンで左足のくるぶしを痛めて以来、私は1メートルのずり足運動を替わりに毎食後実践している。裸足になって足の指全てを広げ、指で床をつかんで全身を運ぶ。同時に両手も広げて指で空気をつかむように動かす。短時間だけれども中々思うようには足の指も手の指も動かすことができないものである。

 足腰から人は歳をとる、といわれている。歩くには、足に無理を与えない適当な靴がいる。足に良い靴は、みな格好が悪い。格好をとるか、健康をとるか、人それぞれに考えがある。私は健康を選んだ。

 フィン・コンフォートの特約店で私の足をとことん調べてもらい、とれるデータはすべて記録してもらった。まず右足と左足の長さから違っていた。足の大きさも違う。既製の靴がぴったし足ににじまないわけだ。そのような事前の下調べがあって初めて靴の選定に入る。調整される。 靴底は履いているうちにすり減ってくる。今履いている靴は今度で3回目の靴底修理になる。宅急便で靴屋に送ると、新品の靴のようになって戻ってくる。頑丈な靴である。

 ドイツのフランクフルトへ行った時、本場のフィン・コンフォートの靴を靴屋で探した。店員にも尋ねたが、店員はその名前さえ知らなかった。たぶんドイツでも流行の靴はどこでも買えるが、格好の悪い健康を考慮した靴は売れないのだろう。 出かけた時、人の靴を観察してフィン・コンフォートの靴を探すのが楽しみになっている。できれば「ご等輩」と声をかけたいものだ。


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