備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

今日の『あの日』

2014-01-17 09:08:50 | Weblog


今日は、個人的に『あの日』。
「個人的ではない」と言われる向きもあるかとは思うけれど、被災経験の思いは誰にも代われないと強く思っているので、敢えて「災害は個人的な出来事」と言い切る。皆が共通な事なんてない。
9.01、1.17、3.11……記憶に残る大きな災害はその他にも沢山ある。小さいものもあるだろう。規模に関係なく人それぞれの『あの日』がある。
そして個人経験からの立ち直りは、皆が自分の中で折り合いを付けていくしか仕方がないとも思う。
勿論、他人が「そこに寄り添いたい」とか「何かしたい」という繋がりが生まれるのも事実。その繋がりも被災側も援助側も個人的な思いからの結果。
しかし、その両者にも個人の中にしかその動機も答えもない。

あの日から一週間後に戻った神戸の風景は色褪せて音が無かった。その時の印象は今も強い。
19年経た今日は、淡々とするしかないという『平常の想い』と『あの日への想い』が交錯している。
今日はそういう日。


以前ブログに書いたことを思い出そうして、自分のブログの検索窓に「神戸」と打ち込んでみた。
そこには悲喜こもごもな想いの上澄みが書いてある。まぁ、お気楽ブログなので然程に個人的な重い事は書かないので、ほんの気持ちの断片しか見えないけれど。

その中で2011年の東北の震災と津波の後、2012年に阪神淡路大震災の事を『あの日』として記していた。
見返すと、2011年12月の気仙沼へ行った事が思い出された。震災後に今の自分に出来る事として色々と思っていた事、現地を見に行けた事……。神戸と東北。

震災前に神戸を離れて生活していたこともあり、現在、変化している街の風景を見ると戸惑う事がある。それが震災の影響なのか自然な変化なのか見当がつかないから。
そこにある空き地や拡張された道路の理由は? 歩きながらも内心いつも戸惑っている自分がいる。そういう今。
同じような感覚の人もいるだろう。無い人もいるだろう。
しかしあの日、そこでリアリティーを感じる事を受け止め難い自分の心があった街である。そこからの復興、復活。
自分の中では大切な年月でもある。それが個人的な想い。

メディアで流れる「忘れない」とか「忘れないで」とかという言葉に小さな違和感を覚える。それも大切な報道とは思うけれど腑に落ちないのは仕方ない。
だから、今日はラジオもテレビも見ないで、『あの日』を想っている。


昨夜の事。
月と雲がダイナミックな風景を作っていた晩だった。カメラを持ち出して撮影。

ファインダー越しに「あの日、震災前夜と知らずに月を見上げた人もいただろうな」とチラッと思った。

そう思っても風景は色褪せなかった。
一緒に見たウチの子供達は素直に天体ショーを楽しんだ。

「今、生きている」……そういう実感を無意識に確認した月夜だったのかも知れない。
そんな想いの傍らで「キレイ~~」と言える心の柔らかさが嬉しくもあった。


さて、今朝の仕事場はモツレクから始まった。そして今日の最後はマラ2にする予定。
自分の心の復活の為に震災後初めて聴いた曲は昼食後に。「必ず毎年『あの日』に聴く」と決めた曲でもある。その時は風景が色褪せるかも知れないけれど。
穏やかな冬枯れの山の景色はどんな風に自分に映るだろうか。


自分と向き合う日。

でも、今日という日を淡々と始める。




モツレク…… モーツァルト『レクイエム』
マラ2 …… マーラー『交響曲第2番 復活』