まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

仙石原

2012年10月21日 | Weblog
箱根の仙石原、といえば、すすきです。

ポーラ美術館の近く。

今がピークで、大勢の人が歩いていた。



真ん中のおばが、新聞だかテレビだかで、見たので行ってみたい、と。

実は、松本くらいまで、行ってみたかったんだけど。

下のおばが、5時半から、お通夜があるので、それまでには帰りたい、ということなので。

新東名で、御殿場まで行き、乙女峠を登ることに。

その途中、ドライブインで。



箱根山麓の野菜を物色中のおばたちですが。

彼女たち、もう何十年も買い物をしているので、色めき立つのです。

お年寄りの女性を、奮い立たせるのに、野菜の買い物は、必須で。

エネルギーが、どこからともなく、溢れ出すんだね。

箱根を超えて、小田原まで下り。

小田原と言えば、かまぼことういろうで、ここで、ういろうを買い求め。



小田原城ではありません。

昼食は、このコースではお決まりの、根府川、やまもとさんの「アジのたたき定食」です。

こんな景観のところに建っているのです。



ここから、通常なら熱海まで抜けて、ということなんだけど。

本日、帰途を急ぐので、西湘バイパスを東行し。

途中、足柄SAにより。

ここでも、富士山麓の野菜、です。



今日も天気がよくてよかったね。

車じゃなきゃ、こんなにあちこち、よれないね。

近所の友達に話すと、うらやましがるんだよ。

などなど、運転手さんへのオマージュを聞きながらのドライブで。

運転手さんたる僕は、そうそう、安全運転のために。

お互い、悪口をいわないで、兄弟仲良くしてくださいね。

なんて、ちくりと冗談とも本音ともつかない軽口をかえして。

そんなこんなで、今月のおじおば会。

来月は、17日でいいですか、と終了です。
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快晴

2012年10月20日 | Weblog
とまではいかないけど。

秋のいいお天気で。

今月のおじおば会。

箱根の仙石原へ、ススキを観に。

西へ行くのか東へ行くのか。

新東名の入り口まで決まらず。

分岐寸前に。

誰かの声で、箱根、と。

ま、そんなわけで、東へ。

明日は、囲炉裏パーティ。

秋田から、しょっつる、じやなく、なんだっけ。

糠漬け師匠の段取りで、鍋のもとも、届いているようで。

秋の味覚に、舌鼓を打つことになるわけで。

さて、清水SAを出発します。


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暴力

2012年10月19日 | Weblog
関西方面で、わけわからない事件が起きているね。

角田という女性が、中心人物のようで。

その周辺で、何人も死んでいる。

あんまりフォローしてないので、詳しいことはわからないけど。

ざっくり言っちゃうと、日常生活のなかに、暴力が侵入してきた、というイメージかな。

あるいは、価値観の違う者たちが出会ってしまった、とでもいうのか。

人を虐げて自分がいい思いをする。

という価値を、自分にゆるしてしまったらね。

つまり、強いものが支配する、と。

手がつけられないね。

落語の世界に、「らくだ」っていう人物が登場するけど。

家賃ははらわない、催促にいくと、大家さんをおどかす。

隣近所の人たちは、みんななんらかの被害をうけている。

というらくだのように、もっさりした大男が、ふぐにあたって死んでしまった。

というところから、「らくだ」は始まるんだけど。

みんな、ありがたいねぇ、とよくフグがあててくれたね。

ってなもんだけどね。

関西の事件で、隣近所の方や被害者の親戚の方が、口からあわを吹くように語っていた。

高校のとき、担任の先生が、小柄な、インテリ先生だったけど。

力が正義だよ、って、言ってたな。

今では、その力を、警察とかにまかせちゃっている観がある。

311以後の、日本をおおっている、絆とかのキーワードに、北野武がイライラしていたらしく。

新作の、またぞろのバイオレンス映画で、それに対するアンチテーゼを提示した、というんだけどね。

また聞きですが。

暴力が、日常から隠されている時代とでもいいましょうか。

そんな日常に、暴力が侵入すると、とまどいますね。

おいおい、そんな準備、してなかったよ、ずるいよ、って感じで。

もっとも、やくざの世界では、いや、その世界だけでなく、けっこう、世界的に暴力は、見え隠れもしているわけで。

国際間の、国益合戦なんてのも、まさに、それで。

食い物の奪い合いが、日常から消えて久しいので。

暴力が見えにくくなってもいるのかも。

ずっと前、知り合いの家が汲取だったころ。

バキュームカーに向かって、おらんち、クソをもってくな。

って、おこった息子をみて、ねぇ、うちの子はケチでこまるんだよ。

って、お母さんが言ってたっけ。

それと暴力と、どんな関係があるか、わかりませんが。

似ていなくもないな、と。


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一万年の旅路

2012年10月18日 | Weblog
途方もない記録とでもいうのか。

記録、ってのも、言い方が変だけど。

オナイダ族というネイティブアメリカンですが。

ポーラ・アンダーウッドという女性が、祖父から受け継いだ口承史です。

日本の古事記も、稗田阿礼(ひえだのあれ)の口承史を。

太安万侶が漢字を駆使して、日本独自の文章化をしたというんだけどね。

それにしても、一万年というのは。

それだけでも、身の引き締まるような思いがする。

東アフリカの木の上の生活から、ベーリング海をわたってアメリカ大陸へ。

その道程を、歌にして、代々伝えてきたようなんだけど。

500ページもある本の半分くらい読んだ。

僕の中では、ひとつの事件みたいなインパクトがある。

彼らは、数々の苦難に遭うたび、一族の歴史をみんなで輪になって、確認するんだね。

食べるものにも飲む水にも苦労して。

彼らは、移動を繰り返すんだけど。

変化に対応する考え方が、彼らを生き延びさせる。

それぞれ、得意不得意もあり、しかし、その役割をしっかり分担し。

この、今にまで、命をつないできた、その営為にね、脱帽するしかない。

毎朝、仏壇を前にして、つないできてくださったいのちのみなさま、ありがとうございます。

ととなえるんだけど、まさに、そんな気がしてくる。

瞑想していることすら、なんだか、エゴイスティックに思えてくるくらいで。

とにかく、途方もない物語です。
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育児放棄

2012年10月17日 | Weblog
昔はよかった。

ってのは、わりと、耳にする言葉なんだけど。

子どもをほったらかして、遊びまくって。

なんて若い母親が、ニュースになったりすると。

昔はこんなことはなかった。

戦後の教育がなってないからだ、なんて論調になりね。

道徳教育をしなけりゃならない、と。

大塚ひかりという女性が、古事記について書いてるらしいけど。

育児放棄は、古代からあった、というわけです。

書名は、「古事記 いのちと勇気のわく神話」という。

人間が本能として子どもを平等に愛するわけではない、そうで。

一定数のものは、育児放棄をする、というんだね。

ノスタルジーなんてことばがあるように、どうも、現在からの逃避で。

昔はよかった、といいがちなんだね。

エジプトのパピルスにも、昔はよかった、と書いてあったらしい。

これは、日本でも、縄文時代の遺跡を掘っていたら、木簡がみつかり。

そこには、今時の若いものは、と書いてあった。

みたいな冗談とにてもいるんだけど。

そもそも、中国の孔子さんだって、ずっと、そんな言い方してたしね。

過去の聖哲のおさめていた時代は、すばらしかったのに、今はどうしようもない、みたいな。

ところで、ゴータマ・シッダールタの、ま、お釈迦さんですね。

ツイッターがあって、つまり、お釈迦さんが語られた言葉を、botとでもいうのか。

誰かが、自動的にツイートするんだけど。

むさぼっている人々の間にあっても、わずらいなく、おおいに楽しく生きよう。

むさぼっている人々の間にあっても、むさぼることなく暮らそう。

というんだけどね。

あれ、2500年くらい前でしょ、むさぼるほど、食べ物やらなにやら、あったんだね。

それのほうが、おどろきなんだけど。

それはともかく、大塚ひかりさんだけど。

世の中が急に意地悪になったんじゃなくて、昔からずっと意地悪だった、というし。

ダメな母親も意地悪なご近所さんも、古事記の時代からずっとつづいています。

だって。
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夢は枯野をかけめぐる

2012年10月16日 | Weblog
これ、芭蕉からのパクリです。

この前に、旅に病んで、とあるんだけどね。

あれ、たしか、芭蕉だよね、違う人だったかな。

それはともかく、病んではいないけど、旅で見聞きしたことを、ブログに書いておこう。



これ、二日目の朝、生国魂神社の鳥居前に、あった。

水戸天狗党の、川原崎孫四郎という方のお墓です。



って、書いてありましたが。

幕末に、天皇中心の世にしよう、ということかな、江戸で、井伊直弼、時の大老ですが。

今で言えば、幹事長とかになるのかな、暗殺してますね。



これは、斑鳩の里、バスの車窓から撮ったのですが。

「うだつ」というらしい。

信州だと、うだつ、ってのは、隣家への家事の類焼を免れるためのものだ、と聞いたけど。

これは、屋根の棟に、自然換気の棟をつけてあるようだ。

で、そこから、湿気やらが上にあがっていく、というので、これをつけないと上にあがらない。

ということで、出世しない、うだつがあがらない、というような意味なんだ、と。



奈良の大仏さんです。

大きかったな、中学のときにも見ているはずなんだけどね。

みんな口々に、覚えてない、って言ってたけどね。

※って書いたけど、これ、大仏さんじゃないね。脇を固めるなんだっけ、名前忘れましたが。



この鐘楼の鐘、26tあるらしい。

大仏さんをつくったときに余った、銅や錫でつくった。



これは、昨日もふれた、金剛組の外観です。



法善寺横町の、「おかめ」というおでんやさん。

帰りがけ、ちょっと、撮らせてくださいね、ということで。

この方々が、大阪と奈良人で、ノリが、まあ、さんまやのりおみたいだった。

楽しかったですが。

このあたりのお店は、法善寺さんの境内にあるので、みんな良心的なんだそうだ。





これ、法善寺さんですね。

というわけで、枯野ではなくて、生き生きとした町や寺社を、スナップ風にご紹介。

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旅は道連れ

2012年10月15日 | Weblog
このあとに、世は情け、とつづくわけだ。

二日間の大阪、奈良旅行が終わった。

写真もたくさん撮ってきたけど。

百聞は一見に如かず、とは言ったもので。

その場にたたないとつたわらないものはあるのですね。

youtubeなど、映像が手軽に楽しめる時代ではあるけれど。

現場感、とでもいうのか、その場でのさまざまな体験・経験がね。

漢方薬のように、人それぞれ、効いてきて。

やがて、その種が芽を出し、成長していく。

というね、旅のもっている、なんともいえない効果効能が楽しみです。

大阪のホテルへチェックインして、その足で、四天王寺へと向かった。

残念ながら、4時をすぎていたので、奥の奥には入ることはできなかったが。

そこには、守屋祠というのがあってね、そこにたたずみたかったのだけど。

四天王寺というのは、聖徳太子が創建したわけで。

その太子に滅ぼされた、物部守屋の祠です。

この祠、守屋さんの末裔が、つい最近まで、ずっと祀っていたらしく。

その歴史の不可思議さを、現場で、体感したかったのです。

その頃は、負けた側は、殲滅というのか、一族郎党ほろぼされてしまうんだけどね。

勝った側の創建したお寺に、負けた側の末裔が、ずっと、お祀りしていたということがね。

その祠の前にたたずむのは、またの機会に、ということで。

その帰り道、金剛組の看板があって。

千何百年続いているという会社、建築屋さんですが。

それをみただけでも、大阪というのか、難波、浪速、浪花(全部、なにわ、とよみますが)の歴史を感じたのでした。

ちなみに、なにわ、というのは、古い朝鮮語で、ナルニワからきている、というのが、谷川健一さんの論で。

つまり、太陽がさす地、とでもいうのか。

西からきた民が、東からでてくる太陽をめざした、というイメージですね。

そんなわけで、二日間にわたる旅の、ほんのさわりだけ、今朝は、書くことにします。

to be continued です。


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生国魂神社

2012年10月14日 | Weblog
今朝は、いくくにたま神社に、早朝参拝といったところ。

境内にて、タバコを吸いながら、です。

ここは、長野県の上田だったか。

あそこにもあって、生島、足島大神をお祭りしてるんだね。

長野は、地面が本殿だったけどね。

神武天皇が、大和に入られる前の、古い神様です。

土地の方々は、いくたまさん、とお呼びしているようで。

何人かの方が、参拝していた。

夕べは、法善寺横丁で、土地の方々と盛り上がったんだけど。

その話は、また、のちほど。



こんなお宮さんです。

静かな境内です。

近くに高速が走ったりしてるんだけどね。

昨日訪れた四天王寺といい、大都会の真ん中に、まさに、鎮座ましましているわけだ。

こうした信仰心というのは、リアルです。

世の流れは、千変万化するわけだけど、変わらないもの、ってのがね。

人それぞれにしても、確かに、存在する。

という、厳かな、心持ちにもなろうってものです。

さて、今日は、興福寺の阿修羅像です。

どんな一日になりますやら。
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生国魂神社

2012年10月14日 | Weblog
今朝は、いくくにたま神社に、早朝参拝といったところ。

境内にて、タバコを吸いながら、です。

ここは、長野県の上田だったか。

あそこにもあって、生島、足島大神をお祭りしてるんだね。

長野は、地面が本殿だったけどね。

神武天皇が、大和に入られる前の、古い神様です。

土地の方々は、いくたまさん、とお呼びしているようで。

何人かの方が、参拝していた。

夕べは、法善寺横丁で、土地の方々と盛り上がったんだけど。

その話は、また、のちほど。



こんなお宮さんです。

静かな境内です。

近くに高速が走ったりしてるんだけどね。

昨日訪れた四天王寺といい、大都会の真ん中に、まさに、鎮座ましましているわけだ。

こうした信仰心というのは、リアルです。

世の流れは、千変万化するわけだけど、変わらないもの、ってのがね。

人それぞれにしても、確かに、存在する。

という、厳かな、心持ちにもなろうってものです。

さて、今日は、興福寺の阿修羅像です。

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社内旅行

2012年10月13日 | Weblog
本日、大阪へ向けて、バス旅行へ。

何年ぶりだろう。

大の大人が、二日間、狭いバスの中でね。

お酒飲んだりしながら、たらたらと。

っていうのが、わりと、好きです。

この時代、個人の自由がなんたらかんたら。

とも言えるけど。

三割くらいの強制も、楽しいもので。

意外と、人は、旅をしてなくて。

一つの思い出として、効果的なんですね。

ま、そんなわけで、本日、バス旅行です。
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