相変わらず、「一万年の旅路」ネタですが。
どうもね、ネイティブアメリカンの一部族の物語に触れたら。
離れられないというのか。
安住の地を求めての、しかも、子どもたちの子どもたちの子どもたちのために、というね。
つまり、のちのちの子孫、ということだけど。
彼らが、厳しい道のりのなかで、昨日の知恵、をなんども、反芻し。
そのなかから、まだ、まなべるものはないか、とね。
一族が集まり、みんなで話し合っていくんだけど。
解説によると、アメリカの民主主義の原点になっている、なんて言い方もあった。
それはまた、違った議論が必要かも。
変わりゆく明日に向けて貯えられた昨日の知恵、という言い方してるんだね。
賢者は歴史に学ぶ、というわけだ。
それも、ほんとにその解釈でいいのか、と問いかける。
まちがった解釈のために、「大地に横たわるものたち」が増えないように、と。
一族のなかまが、死んでしまわないように、ということだけどね。
歴史を、イデオロギーで潤色し、なんて、悠長なことでなく。
生をつなぐためには、真剣なわけだ。
なんともね、言えなくて。
その延長線上に、例えば、日本でいえば、神武天皇の東征なんていう旅が記録されているわけだ。
いずれにしても、古来、人類は、大きな旅をしてきたんだね。
二本足で歩き続けるもの、という言い方をしていたかな。
とにかく、歩く、あるく、歩く、のです。
栄養のバランス、なんてこともなく、寿命も、どうだろう、今の何分の一だったのか。
なので、彼らは、古老の知恵を大事にもし。
86歳なんていう女性の物語も、語られたりするけど。
ま、30歳をひと世代としたら、1万年を30で割ると、ざっくり、300になるかな。
300代に及ぶ物語だ。
実際には、東アフリカでの、木の上の生活、なんてのも出てくるから、もっと長いんだろうけど。
沼津と富士のあいだにある、飯綱神社の神主さんの家系は、256代だ、なんて。
どこかで聞いたこともあるけどね。
それはともかく、当分、この「一万年の旅路」の物語に、釘付けだな、たぶん。
どうもね、ネイティブアメリカンの一部族の物語に触れたら。
離れられないというのか。
安住の地を求めての、しかも、子どもたちの子どもたちの子どもたちのために、というね。
つまり、のちのちの子孫、ということだけど。
彼らが、厳しい道のりのなかで、昨日の知恵、をなんども、反芻し。
そのなかから、まだ、まなべるものはないか、とね。
一族が集まり、みんなで話し合っていくんだけど。
解説によると、アメリカの民主主義の原点になっている、なんて言い方もあった。
それはまた、違った議論が必要かも。
変わりゆく明日に向けて貯えられた昨日の知恵、という言い方してるんだね。
賢者は歴史に学ぶ、というわけだ。
それも、ほんとにその解釈でいいのか、と問いかける。
まちがった解釈のために、「大地に横たわるものたち」が増えないように、と。
一族のなかまが、死んでしまわないように、ということだけどね。
歴史を、イデオロギーで潤色し、なんて、悠長なことでなく。
生をつなぐためには、真剣なわけだ。
なんともね、言えなくて。
その延長線上に、例えば、日本でいえば、神武天皇の東征なんていう旅が記録されているわけだ。
いずれにしても、古来、人類は、大きな旅をしてきたんだね。
二本足で歩き続けるもの、という言い方をしていたかな。
とにかく、歩く、あるく、歩く、のです。
栄養のバランス、なんてこともなく、寿命も、どうだろう、今の何分の一だったのか。
なので、彼らは、古老の知恵を大事にもし。
86歳なんていう女性の物語も、語られたりするけど。
ま、30歳をひと世代としたら、1万年を30で割ると、ざっくり、300になるかな。
300代に及ぶ物語だ。
実際には、東アフリカでの、木の上の生活、なんてのも出てくるから、もっと長いんだろうけど。
沼津と富士のあいだにある、飯綱神社の神主さんの家系は、256代だ、なんて。
どこかで聞いたこともあるけどね。
それはともかく、当分、この「一万年の旅路」の物語に、釘付けだな、たぶん。