まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

十五の心

2011年09月10日 | Weblog
 こずかたの お城の草に 寝ころびて

   空に吸われし 十五の心

これは、石川啄木の歌らしい。

この方の「風のたより」というブログから拝借したんだけどね。

というのも。

本日、インターンシップ、と銘打って。

わが社の税理士の先生が、大学の3年生同行で、事務所に訪れ。

もう、何年になるのか。

毎年の恒例行事になっているわけだ。

中小企業経営者としてなにかお話を。

というウタイなんです。

ま、大事なことは聴くこと。

をモットーにしているおじさんなので。

しゃべるしゃべる、とモットーとは逆のことを、またしても、してしまったのです。

彼女は、20歳か21歳かな。

その頃の自分に、一挙にフラッシュバック、?、プレイバック、?、しちゃってね。

あれやこれやと、ほとんどが自省をこめての話になっちゃったけど。

あっという間の一時間でした。

啄木になざらえて、空に吸われしハタチの心。

かあさん、あの麦わら帽子、どこへ行ったんでしょうね。

と言っても、人間の証明、見たことない方には、ピンとこないかもしれないね。

最後に、あなたの懐メロって、なに?

今、聴いてる音楽って、なに?

と質問をたたみかけたんだけどね。

最初のには、ゆず、だって。

次の質問には、レッド・ホット・ペッパーズだったかな。

からそうな名前だね。

そうですね、みんなは、レホペと言ってます、だったかな。

略して、ということですね。

ほんと、空に吸われし、って、いいね。

わかるな、その哀感、とでも言えばいいのか。

吸われたのは、15の心です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界一幸せの国

2011年09月09日 | Weblog
というか、そんな国を目指している国、といったほうがいいね。

いや、むしろ、世界一なんていう概念そのものが、ないのかもね。

例のGHPでしたか。

国民総生産じゃなくて、国民総幸福量というやつ。

国民全体の幸福度をあげていく、という国ですね。

ブータン。

たまたま、テレビつけたら、ブータン代表のサッカーのドキュメンタリー、やってて。

大分トリニータのコーチやっていた、という方が代表監督で。

トレーニング姿が映っていた。

中の一人の選手が、声が出せなくて。

ブータンでは、人を押しのけてでも、という文化がないらしいんだね。

コミュニケーションが大事なんだ。

みたいなことを、大分の元コーチの方が、ブロークンな英語で一生懸命に伝えるんだね。

ワールドカップ予選の真っ只中で、この間も、夜中のウズベキスタン戦をカラダ固くしながら応援している当方としては、なかなか複雑な映像でもあったわけです。

日本でも、大昔、中国の道教が伝えられ、それに影響されて神社ができたのかもしれないし。

その後にインドから仏教がやってきて、神仏が合体したり。

明治維新でも、道教や仏教が、一神教たるキリスト教のしくみを真似たのかもしれないし。

他人事ではないんだけどね。

たまたま、枕元に、「エッジエフェクト」という福岡伸一さんの本があって。

彼は、文学者のような生物学者、なんだけど。

界面作用、と日本語では言っている。

異なったものが出会うとき、すばらしいことがおこるんだ、と。

西洋とはま逆の、経済の成長率でなく、人間の幸福度という尺度を国つくりの根っこにおいている国。

と言われているブータンとまんま西洋、というフットボールが出会っているわけだ。

第一次の予選を勝ち抜けば、監督の母国、日本と対戦できるかもしれない。

というのが、今の彼らの夢なんだ。

U-22だか、U-20だかの、ブータン代表です。

なでしこジャパンが、苦労の末、ロンドン五輪の切符を手にした夜明けに書くブログとしては。

とても、場違いな内容になっちゃいましたが。

ついでに、蛇足ながら、福岡伸一さん曰くに。

生物ってのは、誕生して20億年くらいは、女性、ま、メスともいいますか、それ一本でやってきたんだってね。

つまり、オスは存在せず、女性が自らをコピーして繁殖を続けた、と。

だからグラマーな美女は、子どもも、その孫も、ずっとグラマーな美女なんだって。

さすがに、それでは、環境の変化に対応できない。

ということで、20億年くらいたって、メスにくらべて不完全なオスを、つくり。

さまざまなバリエーションを可能にしてきた。

と言うんだね。

これ、ブータンのサッカーとは関係ないかもしれないけど。

境界での出会いから、あたらしいものができあがる、というわけです。

この続き書いていくと、終わらなくなっちゃいそうなんで、このあたりで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報告

2011年09月08日 | Weblog
トイレでツイッターを見ていたら。

長男坊から電話がはいる。

出るのが早いね、って。

そりゃそうだ、手に持っていたからね。

今日、検査がおわって。

と。

何ケ月になるんだろう。

一日も休みなく、仕事をし続け、やりきりました、というわけだ。

ちなみに、長男坊は、東京で建設現場監督をやっているんだけどね。

バブルのころ、仕事がありすぎ、パンパンになっていた頃。

何人かの現場監督が、失踪したんだよね。

なかには、自ら生命をたった方もいたんだ。

と話したら。

今回も、電気屋の監督が、終了目前で、いなくなっちゃって。

そりゃ、残された人たちは、大変だった、と言うんだね。

それにしても、やりきったのは、すごいことだよ。

お疲れさん、とねぎらった。

9月の半ばに、彼女と帰るつもりだから。

と言いながら、受話器の向こうがわから充実感が伝わってきた。

って、親馬鹿ちゃんりん、なんて言わないでね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サティ

2011年09月07日 | Weblog
表題は、インドの習俗らしい。

夫をなくした妻は、その後を追い、死んでいく。

というようなもので。

そのことを、サティというんだ、と。

それをみた、イギリス人は、インドを植民地化したあと。

「善き社会の設立」を望み、と言うんだね。

不幸な女性を、男性たちの理不尽な慣習から救い出す、と。

つまり、後進国の、貧乏な国の、非科学的な、非合理的な行いを正します。

くらいの調子なんだろうな。

ベタすぎる上から目線、というやつだけど。

そんなこんなで、我が国も、特には、明治のころ、オーベー化をした歴史があるんだけどね。

言葉を変えれば、小さな親切大きなお世話。

とも言えるけど。

それはともかく、27歳の開沼博さんの「フクシマ」論で、そんな話を扱っている。

福島原発ができるまでは、彼の地の人々は、みんな出稼ぎに行っていたらしい。

 津軽平野に 雪降るころはよー

 お父ひとりで 出稼ぎ支度

 春にゃかならず お父は帰る

 土産一杯 ぶらさげてよ
 
 さびしくなるけど なれたや お父

と吉幾三が書き、千昌夫も歌ってますね。

<iframe width="420" height="345" src="http://www.youtube.com/embed/bQA0LyqNx5E" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


これは、津軽平野だけど、似たようなものだ。

原発ムラの住人になったおかげで、出稼ぎに行く必要もなくなり。

家族の団らんがもどり。

草野心平さんという有名な詩人じゃなくて、別の草野さんという詩人がいて。

開沼さんが本の中で紹介しているんだけどね。

題名は、「村の女は眠れない」というものです。

 帰ってこい 帰ってこい

 村の女は眠れない

 夫が遠い飯場にいる女は眠れない

 女が眠れいない時代は許せない

というフレーズがあります。

原発がなければ、日本の成長は見込めない、とか。

脱原発をしなければ、日本がつぶれてしまうかもしれない。

とかの扇情的な言葉の裏側で、ひっそりとね。

こんな歌が歌われているのです。

ほんと、深い深い話です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

害にならない男

2011年09月06日 | Weblog
最近、何気ない言葉が、家庭内会話でうけてね。

この表題もそうで。

おれって、害のない男だね。

とポツリと呟いたら。

ことのほかうけて。

妻は大笑い。

これね、他人にもそうだけど、自分にも害がない。

ということで、気に入っているんだけどね。

ま、わかりやすく言うと。

他人のしぐさに目くじらをたてない。

とでもいえばいいのか。

スピリチュアル系の言い方だと、他人を裁かない、かな。

あるいは、評価しない、測らない、区別しない、差別しない。

言い方は、いろいろあるんだろうけどね。

だから、当然、自分にも目くじらをたてない、というわけでね。

すこぶる健康にはよくて、なんとか食品なんぞ、食べる必要もなく。

というわけです。

大気にも大地にも、放射能がまきちらせれたあとでは、たぶん、これしかないかな。

とも思いますね。

つまり、免疫力をあげる、とでもいいましょうか。

自分の細胞を鞭打って、がんばれ!と言うんじゃなくて。

こちらからは、あんまり、負荷はかけないから、一緒にやってこうぜ!

くらいのノリかな。

そのためには、くだらない、といったら失礼ですが、ちまちま細かいことで、一々、目くじらをたてない。

という結論にいたるわけで。

その考え方が、他人に害を及ぼすかもね。

というのが、わが妻の結論ですが、それも、それで、いいか。

なにせ、僕は、長生館のおやじ曰く。

あたりはソフトだけど、芯は頑固ですね、ということらしいから。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スカボロー・フェア

2011年09月05日 | Weblog
若かりし頃、流行った唄だ。

サイモンとガーファンクルが唄っていた。

Are you going to scaborough Fair、って、歌詞が流れてくるね。

自然に。

これ、スカボローに立つ市なんだってね。

wikiでは、こんな風に書いてます。

昨日、一本のツイートが目に入り。

同友会のフェア、準備中。雨よ降らないで。

みたいなもので、いつぞや、8階のバーテンダーで、一緒に地震にあった女性のもので。

おいおい、雨よ、降らないでって、そりゃ、降るでしょ。

と思いつつ。

静岡の青葉公園で開かれていた、恒例になりつつある、3年目の同友会フェアへ妻と同行二人。

会場に着くと、なつかしい?面々がブースに陣取り。

挨拶を交わしながら、談笑、談笑、談笑、という感じで。

案の定、降る、やむ、降る、やむ、降る、だったな。

それはともかく。

呑みます?

と、山廃純米の「末廣」を、差し出してくれたのが。

判子屋の大将で。

彼とは、福島も一緒だったし、その前の北海道、岡山もそうだったな、たしか。

僕より、十くらい若いんだけど、おもしろい大将で。

これから、名城を訪ねて、旅をするんだとか。

名城というのは、古いものがそのまま残っているお城のことで、全国に14あるらしい。

犬山城の携帯写真をみせてもらい、次は、松本城なんだ、と。

その彼が、ブログ、読みましたよ、おもしろい。

っていうから、その言葉が、ブロガーを育てるんだよ。

と、こちらもまんざらでもなく。

近くにいた、ギフト屋の大将ものってきて。

Toshって、だれですか、と。

彼は、以前、このブログにも、「巴川狂想曲」で、登場ねがっている御仁なんだけどね。

懇切丁寧にだれだれで、と説明すると、糠漬け師匠は?

と言うんで。

だんだん、うれしさも倍増してきてね。

そうか、コメントまで、読んでくれてるんだな、と。

その彼、今度のロンドン五輪の版権をとるとかとらないとか、話してくれてね。

3億かかるらしいんだけど、もちろん、そんなお金ありません、というんだけど。

それが、また、おもしろくて。

でも、仕組みがよくわからないので、ことこまかく、ここで書けません。

その話を聴きながら、彼の昔のエピソードが浮かんできて。

ヤクザの事務所へ仲間とのりこんで、後ろを振り向いたら、自分しかいなかった、とか。

両替町で酒に酔って、道端の自転車のハンドルだかサドルだか、のきなみ、ぐるっと曲げて。

ふーとため息ついて横をみたら、おまわりさんが、その自転車全部を指差し。

わかりました、と全部、もとにもどした、とかね。

ほかにも、いろんな人とおしゃべりをしたので、ブログねた、満載なんだけど。

ケーキ屋けんちゃんのところのお菓子も買い。

ところで、「末廣」は、先月、福島へ買出しに行った戦利品で。

よくわからないけど、来年は呑めないかもしれないな。

例の何百ベクレル、というやつでね。

そんなわけで、大昔にたった、という安部の市にちなみ、スカボローの市ならぬ、同友会の市がたったのでした。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川の神

2011年09月04日 | Weblog
台風による被害が大きくなっている。

一度、行きたいと思っていた十津川村。

そこの野尻、というところでは、二棟が流されてしまったらしい。

地元の理美容院の方が、ツイッターで発信していて。

だんだん、ネット回線もつながりにくくなり。

3G回線でかろうじて、と。

その流された方が、お店のお客さんで、なんとか、助かってくれ。

というようなツイートをしていた。

それが、現実感があって、濁流のおそろしさを実感しながら見入ってしまった。

今朝のNHKニュースだと、対岸の土砂崩れで川がせき止められたみたい。

ここでは、明治22年にも、大雨で大きな被害が出ているようだ。

わが列島は、太古の昔から、地震や大水、大風と直面してきたわけだ。

って、昨日だかも、書きましたが。

アマテラスオオミカミといえば、天皇家の御祖先神ということになっていて。

伊勢神宮の内宮に祀られているのだけど。

伊勢に移る前は、滝原宮にいらっしゃったわけで。

そこでは、川のカミとして、祀られていたそうだ。

水戸の神(みなとのかみ)として、雨水をつかさどる神様だった、と。

今回の大水、大風をみていると、アマテラスさんの、そういう古い姿はうなづけるね。

まだまだ、降りそうなので、みなさん、気をつけましょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野分

2011年09月03日 | Weblog
台風12号が四国へ上陸しようか。

ということで、全国で2万人以上の方々が、避難指示や勧告となっているらしい。

台風のことを、古い言い方で、野分(のわき、のわけ)というようだけど。

風については、日本では、何十、何百と呼び方がある。

と誰だったか、言ってたな。

引佐郡のいなさ、もたしか、風の別称だったと思う。

東風吹かば、のこちも、そうだし。

ならいの風、とか言い方もありますね。

昨日も、風の盆についてアップしたけど。

古来、風には、多大な恩恵も受け、損害も受け。

この列島では、神のごとく、崇められてきたわけだ。

それに比べると、地震というのは、ないふる、という古語はきくけど。

それ以外もあるかもしれないけど、ほかには、わからない。

地震では、恩恵をうけることはないからね。

風は、地形によって、いい風だったり悪い風だったりするし。

船による交易には欠かせないものだからだろうね。

ところで、強風域というのが、600キロというから、広いね。

それにしても、テレビやネットで、瞬時に現状をみれるから、なるほど。

となるけど、そんなメディアのない時代、そりゃ、昔からの経験をたくさん持っているお年寄りは、たよりになっただろうね。

この風だと、この雲だと、どんな具合になっていくの?

とおそれ、不安になる若者に、落ち着いて、おしえさとしたんだろうね。

そういえば、雨が700ミリ降る、と予報されながら、あんまり、降らないので。

事務所の近所のおじさんに、昨日は、この先、どうなるの?

って、僕も、聞いたんだっけ。

なにせ、船に何十年、とのっていた方なので。

毎日、最近新築した家の外にでて、蛍族をやっている御仁だけどね。

それはともかく、この列島は、自然との共生といい、戦いといい、崇敬といい、畏敬といい。

ながいながい、おつきあいをしてきたのですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

越中富山風の盆

2011年09月02日 | Weblog
今日は、9月の2日だから。

富山、越中ですね、の八尾(やつお)では、お祭りの中日になる。

台風接近中で、いろいろと難儀されていることだろう。

と、かの地在住のすみちゃんとお兄様ご夫婦のことなど、思い出している。

そういえば、何年か前、お邪魔したとき。

しきりに、かれは、風が吹くから、それを追い払う、というような意味のことをおっしゃっていた。

まさに、台風到来で。

風神への祈り、真っ盛りなわけだ。

胡弓というのか、異国情緒たっぷりの音色に、粋な編み笠、なまめかしい仕草で踊る姿が浮かんでくるんだけど。

風の神も、あれ見たら、一休み、とあいなるのかもしれない。

ご当地、静岡でも、台風接近ということで、350ミリ、降ります。

なんて予報が出ていたけど。

それたのか、それとも、これからの時間に、それだけ降るのか。

いまのところ、平穏な新学期、という感じだな。

ところで、この間、福島へ行ってきたので。

「フクシマ」論、という本、買っちゃいました。

書いているのは、開沼博という方で、1984年生まれ。

若いね。

僕の場合、題名と本の帯を読んで、75%くらい、読んでしまった気になるタイプなので。

帯から少し、ここへ、転記しておこうかな。

「福島生まれの著者による本書は、郷土への愛という神が細部に宿っている」佐野眞一

「本書の刊行はひとつの奇跡だ」

「原発は戦後成長のアイコンだった。

フクシマを生み出した欲望には、すべてのニッポンジンが共犯者として関わっている」 上野千鶴子

と、まあ、そんな宣伝文句を、青土社の編集者はのっけている。

311以降、フクシマは、グローバルな言葉になってしまったね。

話はもどるけど。

八尾の今朝の食卓には、コナスの漬物がならんでいるのかな。

お世話になった、すみちゃんのご実家で。

ものすごく丁寧で、いやみのない言葉つかいと、朝のつけものが、とても、印象にのこっているのです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地割れ

2011年09月01日 | Weblog
自宅から一分も歩かないうちに、北街道がある。

母親がまだ尋常小学校の低学年の頃。

大きな地震があって。

真ん中が地割れでまっぷたつになってしまった。

道路の向こう側で遊んでいた母親たち、幼い姉妹をねぇちゃんが向かえに来てくれた。

という。

ねぇちゃん、というのは、母親のおば、になります。

それは、どうやら、昭和10年のようだ。

昭和2年生まれの母親だから、8歳前後か。

というのも、寺田寅彦という物理学者が、東京から清水へ被災状況を調査に来ている。

地震雑感のような文章を書いているんだね。

久能山の海側の麓がかなり、被害をうけているようで。

お寺の門や灯篭など、もちろん家々も。

しかし、その文章のなかには、北街道の地割れは、書いてなかった。

8歳の童女の見る地震と学者の見る地震とは、あきらかに違っていたんだろうね。

この年の2年前には、三陸海岸大津波の昭和版ですから。

それが、昭和8年で、5年には、5.15だっけ、2.26だっけ。

いずれにしても、天災、人災、戦災とさまざま、当時の方々は不安におののいていただろう。

大正12年には、関東大震災だしね。

そりゃ、大本営発表をしながら、日常生活のなかでも、進軍ラッパを吹いていたかった。

という心情は、理解できますね。

昭和の12年からは、支那事変が始まる。

そこから、一気に太平洋戦争へ突入してゆくわけだ。

今ここでは、評論家みたいに、涼しげに書いてるけど。

実際は、不安、おびえ、勇ましさなどなど、大変だっただろうね。

ご当地、竜爪山に穂積神社があるんだけど。

ここのお札は鉄砲の弾が当りません。

というので、たいそう繁盛したらしい。

あれから、70年、80年とすぎ、やがて100年にもなんなんとする今。

おびえや勇ましさは、どんな姿になっていくのか。

どんな姿にしていきたいのか。

そんな問いかけが、多くの犠牲者の方々から投げかけられているような気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする