まわりで起こっていること

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地割れ

2011年09月01日 | Weblog
自宅から一分も歩かないうちに、北街道がある。

母親がまだ尋常小学校の低学年の頃。

大きな地震があって。

真ん中が地割れでまっぷたつになってしまった。

道路の向こう側で遊んでいた母親たち、幼い姉妹をねぇちゃんが向かえに来てくれた。

という。

ねぇちゃん、というのは、母親のおば、になります。

それは、どうやら、昭和10年のようだ。

昭和2年生まれの母親だから、8歳前後か。

というのも、寺田寅彦という物理学者が、東京から清水へ被災状況を調査に来ている。

地震雑感のような文章を書いているんだね。

久能山の海側の麓がかなり、被害をうけているようで。

お寺の門や灯篭など、もちろん家々も。

しかし、その文章のなかには、北街道の地割れは、書いてなかった。

8歳の童女の見る地震と学者の見る地震とは、あきらかに違っていたんだろうね。

この年の2年前には、三陸海岸大津波の昭和版ですから。

それが、昭和8年で、5年には、5.15だっけ、2.26だっけ。

いずれにしても、天災、人災、戦災とさまざま、当時の方々は不安におののいていただろう。

大正12年には、関東大震災だしね。

そりゃ、大本営発表をしながら、日常生活のなかでも、進軍ラッパを吹いていたかった。

という心情は、理解できますね。

昭和の12年からは、支那事変が始まる。

そこから、一気に太平洋戦争へ突入してゆくわけだ。

今ここでは、評論家みたいに、涼しげに書いてるけど。

実際は、不安、おびえ、勇ましさなどなど、大変だっただろうね。

ご当地、竜爪山に穂積神社があるんだけど。

ここのお札は鉄砲の弾が当りません。

というので、たいそう繁盛したらしい。

あれから、70年、80年とすぎ、やがて100年にもなんなんとする今。

おびえや勇ましさは、どんな姿になっていくのか。

どんな姿にしていきたいのか。

そんな問いかけが、多くの犠牲者の方々から投げかけられているような気がする。

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