まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

憂歌団

2011年09月20日 | Weblog
昨日、facebookのウォールを眺めていたら。

どなたかが、憂歌団のライブをyoutubeから貼り付けてあって。

おもわず、懐かしくて、いいね!ボタン、おしちゃったんだけど。

この時代、便利なもので、youtubeを検索すると、しこたま、映像が出てくるのですね。


憂歌団 #10 君といつまでも ラストライブ 1998-12-19


これは、加山雄三の「君といつまでも」のカバーで。

ボーカルの木村とギターの勘太郎がね。

よくてさ。

もう何年まえになるのか。

静岡でライブがあり。

静大出身の、もと新左翼活動家からお誘いがあって。

もと文学少女も来るから、と。

この映像を見ると、1998年に解散しているので。

ざっと、今から、少なくとも、10年はたっているわけだ。

いや、ボーカルの木村の太り方からすると、20年くらいかも。

みごとに中年太りになりつつある。

なにせ、こちらは、40年以上前の、ベンチャーズ・コピーバンドだからね。

そのころ、ギターを見ているだけで、快感で。

720、セブンツーオーという番組が、毎朝、字のごとく、7時20分からあって。

それ見てから、学校へ行くんだから、毎日、遅刻ぎりぎりか、遅刻か。

あのときのバンドメンバーを、「青春グラフティー」みたいにご紹介すると。

ドラムは、一時、ヤクザになったけど、今は脚を洗い。

サイドギターは、横浜でコンビニ経営だったが、今は音信不通。

ベースは、地元では大手の会社で、営業マン、社長賞を三回取った。

と言ってたな。

リードギターは、毎日、ブログをかいてる。

人間の中には、一匹だか、何匹だか、虫がいてね。

その虫が動き回って、人に何を言われようと、その虫の動くとおりの人生になっていく。

なんて、思えたりもするね。

ところがまた、その虫がいいやつで、けっこう、こちらの言うことも聴いてくれて。

ときどき、折り合いをつけてくれてさ。

ききわけのいい子にもなってくれる、と。

そんなわけで、本日は、昔懐かしいお話でした。
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二日酔い

2011年09月19日 | Weblog
帰省中の長男坊、最後の夜かも。

ということもあり、土曜日、呑みすぎた。

フクシマのお酒、山廃純米の「末廣」を。

日曜日は、ほとんど、寝てすごした、感じだ。

一緒に来た彼女は、一足先に帰還。

おばさまからは、お手紙付きのお土産をいただき。

この方は、わが長男坊と、若ければ私が結婚したい。

とおっしゃっているくらい、気に入っているそうで。

そりゃ、ありがたいことです。

ご両親の薫陶よろしく。

みたいなことも、書いてくださっていて。

過分なお言葉を頂戴して……、と返信しなければいけないな。

その担当は妻、ということになっていたんだけど。

いつの間にか、僕のほうにうつっていた。

次男坊?

その日、彼は、友達と出かけていて。

一緒には飲めなかったんだけどね。

その友達というのが、就職希望、吉本興業?という若者で。

とにかく、キャラも含めて、面白いらしい。

あのマサがうけてるんだから、そうとうだよ。

というのは、わが妻で。

身近な人の中から有名人がでるかどうか。

そういえば、土曜日。

バツイチ別荘男から、電話があったな。

どうやら、以前ご紹介したお見合いが、少し、動き出した模様で。

その報告の電話だったんだけど。

詳細は、ことが成就してから、ということで。

そんなこんなの二日酔いだったのだけど。

本日、長男坊は、みやげをぶらさげ、東京へ向かうことになる。

何年か前は、三遊亭金馬の「薮入り」を思い出しながら、送ったものだった。

親も子も、成長するもんだね。
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空気は吸うもの

2011年09月18日 | Weblog
帰省中の長男坊と彼女とデミトークをしたんだけどね。

その中で、彼が。

職場の先輩やら同僚に、空気読め!とかね。

気がつかない、とか。

人間として当たり前のことじゃん。

みたいに言われてさ。

と、あんまり堪えてもいないように言うんだけどね。

なので、表題のごとく。

空気は読むもんじゃなく、吸うもんだ。

って、言ってやりゃいいさと、かっこいいオヤジはのたまったのです。

そりゃ、いいね。

とうけつつも、怒り出すだろうね、と。

ま、そんなところでしょうか。

そこへ、彼女が、わたしはむしろ、人の目を意識しすぎるきらいが。

ときた。

そう、そりゃ、大変だね。

って、言いつつ、いやいや、僕も子どものころからずっとそうだったよ。

最近だよ、そんなの気にならなくなったの。

って、やっぱり、年をとったせいでしょうか。

実のところ、このあたりのことは、とても、興味深いことで、じっくり、話しあってみたいな。

なんて、思っているのですが。

ところで、と。

彼ら二人を前にして、臈たけたオヤジはのたまうのでした。

中国の古典にね。

人間の位には、3つあって。

その中で、最下位、3位がね、頭の良い人間、聡明博識だったか、っていうんだけどね。

で、その次が、2位だね、豪放磊落(ごうほうらいらく)と言って、ワハハハと笑い飛ばしたり、剛気な人でね。

一位が、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)と言ってね。

ま、春風のようにゆったりとまったりとした人なんだね。

えー、じゃ、なおくんみたいですね、ときた。

そうそう、オチは息子への褒め言葉だったんだけどさ、先に言われちゃったね。

ということで、デミトークはめだたくお開きとなりました。
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ゲリラ豪雨

2011年09月17日 | Weblog
昨日は、ipadの講習会があって。

2時間ばかり。

ふむふむ、と言いながら、いろいろと教えていただいた。

会場に早く着きすぎたので、となりのイトーヨーカドーで時間つぶし。

ぶらぶらしたんだけど。

一瞬、東南アジアのデパートにいるような気分になった。

なにもしゃべらず、話し声にも耳をふさげば。

姿かたちも、東洋人ばかりだから。

しかも、初めて入ったので、どこになにがあるかわからず。

講習会がおわって、帰りの車中。

いきなり、雨が降り出し。

それが、かなり強い雨で。

こわいな、という気分がかすめた。

ゲリラ豪雨、という文字が、テレビや新聞におどっているこのごろなので。

最近では、紀宝町や熊野の大災害があったりしたしね。

なんだか、その字面におびえたみたいな感じで。

そういえば、南幹線でよく水がたまるところを、大雨の中、車を走らせたことがあったな。

10年前だったか、20年前だったか。

水にぬれると、ブレーキがきかなくなる。

というので、走りながら、ブレーキふみふみ、と。

そんなことも思い出しながら、一瞬かすめたこわさが、危険予知につながるのか。

それとも、過剰な反応なのか。

なんて、思ってみたり。

そうそう、帰郷中の息子と彼女と前の晩、呑みすぎまして。

当日は、二日酔いなのでした。

って、あんまり、本題とは関係ありませんが。

そのときの話しは、to be continued ということで。


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しずはた村はどこから来た

2011年09月16日 | Weblog
今日のテーマは、歴史が嫌いな方には申し訳なし。

と最初に、謝っておこう。

ご当地、静岡という地名は、どこからきたか。

というのが、まず、テーマなんだけどね。

明治までは、駿府、といっていたから、そのまま、駿府県とでもなづければよかったんだろうけど。

なにせ、その前の江戸を開いた徳川の神君家康公が、駿府のゴッドファーザーだったんだろうから。

そりゃ、新政、明治政府からしたら、許せません。

薩摩、長州の官軍からしたら、なんとか、徳川の痕跡を消し去り。

あたらしい日本の国ができあがりつつあります。

というシナリオで、進みたかったんだろうね。

あとから支配者としてきた人たちの心理としては、そりゃそうだ、というわけです。

なので、どうしようか。

ということになり、しずはた(賎機)山の麓でもあるから、その名前にしようか。

と時の静岡県人は、考えもしたんだろうけど。

いくらなんでも、賎は、賎民、とかの賎だから、そりゃないだろう。

と知恵をしぼり、静の字をあてて、静岡とした。

ようだ。

と、ここまでは、よくありがちな話で。

そうやって地名は変化していくのだろうけど。

よくよく考えてみたら、神君家康公が駿府とよんで、愛でたもうた地に、なぜ、賎機という山が残ってしまったのか。

というのが、この何ヶ月、いや、何年かな、の疑問なのです。

なんて話を、このブログのコメンテーター、Toshさんとも、何度か話して。

たまたま、この間、彼のご家族、お嬢さんと奥様とわが妻と食事をしたときにね。

そんな話も出たんだろうね。

何日かして、お嬢さんが、お父さんの言ってること、あたってるかも。

と、本やらなにやら、見せてくれたらしく。

そのさまを、彼が、evernoteで、紹介してくれてね。

ふむふむ、と言いながら、なんだか、背筋がすーと涼やかになって。

おそろしさからでなく、うれしさから、ですが。

なにせ、このテーマに、こんなに真剣に向きあってくださった方は、いなかったからね。

それに、彼女、いつも、そんなにアクティブに、つばを飛ばして話す、というタイプでもないし。

そんなこんながないまぜになった、不思議な感懐なのでした。

そういうわけで、またぞろ、賎機旅情とでも申しましょうか。

賎機(しずはた)探索の旅に出かけられるというものです。

この賎機については、そのうち、じっくり、ブログに書きます、たぶん。

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ネオテニー

2011年09月15日 | Weblog
今日は、格調高く、横文字の表題です。

こんなふうにして、母国語が変容しちゃうんだろうね。

なんて、オヤジの愚痴はおいといて。

この間、歯医者さんの待合室で週間誌ながめてたら。

例の福岡ハカセが文章書いててね。

このネオテニーって、幼形成熟のことなんだそうで。

って、余計、わけわからない言葉を羅列しちゃいましたが。

どうやら、幼いまま成熟しちゃう。

というのが、生物界にはあるらしい。

ウーパールーパーなんてのも、そうなんだ、と。

ところで、チンパンジーってのは、遺伝子が98%まで、人間と同じなんだってね。

残りの2%で、ヒトとわかれるということなんですが。

脳内で、成熟しなさい、おとなになりなさい、とスイッチのはいるのが、ヒトの方が遅いらしい。

チンパンジーのほうが、はやく、おとなになるわけだ。

ヒトは、こどもでいる期間が長いんだそうで。

だから、チンパンジーとヒトはこんなにもちがうんですよ。

こんなにも立派なヒトになれるんですよ、ということらしいんだけど。

なぜかといえば、好奇心や驚きや柔軟な心を持ち続ける期間、つまり、こどもの期間が長いから。

と。

雪がとけるとなんになる?

春になる。

って、例のやつですね。

そんなこころもちを長く、やっているのがヒトであって、だから、いろんな進歩、成長がある。

というお話です。

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(呼)

2011年09月14日 | Weblog
携帯電話を学校へ持っていって叱られた。

というのは、娘が中学の頃だったか。

なんて話を妻としていて。

そういえば、昔は、(呼)だったよね。

住所があって、電話番号の後ろに(呼)と書いてあるわけだ。

って、若い方には、なんの話?

だろうけど。

自宅に電話がなくて、隣やその隣の家の電話をおかりするのです。

なになにさま方、(呼)だったかな。

なんとかさーん、電話ですよ、って、呼びにきてくれる。

その後、各家庭に電話がひかれ、その家のIDみたいになったんだけどね。

一家に一台の電話が。

今では、一人に一台の携帯電話になってね。

中学生の頃だったか、友達の家に電話かけたら。

名前を名乗りなさい。

と友達の父親に叱られたことがあったな。

その方は警察官で、謹厳実直でね。

だから、今でも、こちらの名前を、なになにです、って、なのるクセがぬけないんだよね。

初めての方にはともかく、たいがいが、登録してあるわけで、ディスプレイにはこちらの名前が出ているんだろうけどね。

子どもの頃からの習慣はなかなか抜けません。

一家のID番号が、今では、個人のID番号になってるんだね。

病気への治療もそうなる日も近いらしいね。

ヒトゲノムだっけ、個人ごとの遺伝子の情報を読むことができて。

それにあわせて、投薬や施術もかえる、というね。

はい、風邪です、って、大量に薬を渡されるんじゃなく。

個々それぞれにあわせて、ということになるわけだ。

ま、そうなると、病名もさらに増えて。

松田聖子の風邪、とか、新沼健二の胃病とか。

個人名のついた病名になるのかな。

ま、だから、みんなで力をあわせて、なんていう掛け声がさらにむずかしくなるかも。

ムラのなかでこそ家が生きられ、家のなかでこそ個人が生きられ。

なんていう時代とまたちがっているわけで。

とはいえ、ひとりひとりの価値観が、一気呵成にかわるわけでもなく。

世代、地域で、まだら模様を描きながら、なんだろうな。

そんな社会のなかで、今日も生きていかれるみなさまがた、ほんと、ご苦労様です。



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帰郷

2011年09月13日 | Weblog
長男坊が15日に帰ってくる。

というので、日曜日。

妻は朝から部屋の片付け。

すごいパワーだね。

僕は、害のない男のキャッチフレーズのまんまに、益もない男になりすまし。

一日中、ネットを見たり、本を読んだり。

その間、彼女は獅子奮迅の働きで。

愛息が彼女を伴い帰郷するのだから。

という意気込みを部屋中に振りまきながら。

と書くと書きすぎかな。

午後には、この秋に京都で結婚式をあげる姪っ子が招待状持参で訪れ。

裏側の住所をみたら、斑鳩とあり。

いいねぇ、おれが嫁に行きたいくらい。

この「帰郷」、ウイキで検索したら、1928年から今まで、9本の邦画・洋画がありました。

この響きには、洋の東西を問わず、なにか、誘われるものがあるのですね。

帰郷と書いただけで、さまざまな思い出が湧き出し、物語のひとつでもひねり出したい気持ちにもなろうというものです。

さて、わがホームドラマはどのような展開になりますのやら。

何年か前には、親元を離れ、丁稚奉公に出た、落語の「藪入り」に似せて、わが息子の物語を思いもしたのでした。



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写本

2011年09月12日 | Weblog
フクシマとカタカナで書かれるようになって以来。

遺伝子とかDNAとか、よく出てくるんだけど。

放射能を浴びると。

二列にならんだひも状の遺伝子が切断されて、うまくコピーができなくなり。

というような言い方でね。

ところで、文学者のような生物学者、福岡ハカセがまた、おもしろいこと言っててね。

写本のようなもので、と。

うちの母親も、般若心経の写経をやったりしているけど。

男にだけ、Y染色体があり。

それで、女性とわけられる、ということらしいんだけどね。

たしか、学校でならった記憶があるけど、覚えてません。

このY染色体を追っていくと、人類の分布がわかるんだ、と。

10万年から20万年前、アフリカのある地域から、ある男が出ていて。

その後、三波の動き、別の男たちの動きがあったという。

最初は、ヨーロッパ、アジアをへて、日本にたどり着き、旧石器時代だそうで。

ちゃっぷいちゃっぷい、どんとぽっちい、ってCMあったけどね。

あんな感じの頃かな。

次の波が、縄文時代で、北からと南から到達。

そして、弥生時代だそうで。

彼らは、縄文人を北と南に蹴散らして、列島の真ん中に居座った。

ヨーロッパやアジアで、異変があると、みんな東の果て、日本へ逃れてきた、と。

ゆえに、日本って言う国は、単一民族どころのさわぎでなく、人種の坩堝である。

と言うんだね。

そりゃ、法事やらお葬式やら参列すると、実感しますね。

この人、南系、この人、北系なんて。

一時、天皇陛下のお世継ぎ問題で、Y染色体の関係で、女系はだめで、男系でなければ。

なんて議論がまきおこったことがあるんだけどね。

福岡ハカセ曰く。

あるY染色体の写本を追っかけていくと、同じ型をもった人々が、アジアで1600万人いる、と。

それは、チンギス・ハーンのものらしい。

1000年くらいまえだよね。

権力者のY染色体ほど、コピーが散らばるんだ、と。

ちなみに、神武天皇は、かれの計算によると、100万人くらいになるらしい。

戦前なら、こんなこと書いたら、不敬罪で逮捕されちゃうかも。

たしかに、そんなに末裔がいらっしゃったんじゃ、ね。

だって、100人に一人でしょ、ざっくり。

そういう意味では、みんな、神様の分霊です。

なんて言い方も、まちがっちゃいないな、と思いますね。

だから、おのおの、ちがいをあげつらうって態度は、近いがゆえの性なのかも。
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2011年09月11日 | Weblog
ちょとした、飲み会があって。

ま、2時間強くらいだったか。

去年、京都へ行った仲間となんですが。

終わって、清水駅で、妻の車を待っているとき。

そうです、最近、はしごは減ったのです。

何年かまえに、建て替えられた駅舎と言おうか、眺めていたんだね。

すると、何十年まえのことか。

この駅で、夜を明かしたことがあったな。

と。

高校生だったか、卒業したあとだったか。

仲間とどこかで飲んで。

駅舎の長椅子、たしか、木製だったけど。

そこで、寝るんだか、タバコ吸うんだか、話をするんだか。

そんなんで、朝を向かえたわけだ。

メンツもなにも、まったく、覚えてないんだけど。

とにかく、そこで夜を明かしたことだけが記憶の隅っこにあるんだね。

田舎の国鉄の駅だったから、のどかなもので。

その後、さまざまな紆余曲折をへて、どうやら、ホームレスにもならず。

そんなことを回想する身分にもなっているわけだ。

多くの選択肢があるなか、その時の仲間はそれぞれの人生を生きてきて。

たぶん、この間、大腸がんで急逝した彼もいたはずだけど。

そういえば、わがチャリンカーも。

それに、お見合いをしたばかりのバツイチ別荘オヤジもいたはずだ。

竹内まりやの「駅」って歌、あったかな。

人が集まる駅には、それぞれの思い出もつまっているんだろうね。

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