まわりで起こっていること

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しずはた村はどこから来た

2011年09月16日 | Weblog
今日のテーマは、歴史が嫌いな方には申し訳なし。

と最初に、謝っておこう。

ご当地、静岡という地名は、どこからきたか。

というのが、まず、テーマなんだけどね。

明治までは、駿府、といっていたから、そのまま、駿府県とでもなづければよかったんだろうけど。

なにせ、その前の江戸を開いた徳川の神君家康公が、駿府のゴッドファーザーだったんだろうから。

そりゃ、新政、明治政府からしたら、許せません。

薩摩、長州の官軍からしたら、なんとか、徳川の痕跡を消し去り。

あたらしい日本の国ができあがりつつあります。

というシナリオで、進みたかったんだろうね。

あとから支配者としてきた人たちの心理としては、そりゃそうだ、というわけです。

なので、どうしようか。

ということになり、しずはた(賎機)山の麓でもあるから、その名前にしようか。

と時の静岡県人は、考えもしたんだろうけど。

いくらなんでも、賎は、賎民、とかの賎だから、そりゃないだろう。

と知恵をしぼり、静の字をあてて、静岡とした。

ようだ。

と、ここまでは、よくありがちな話で。

そうやって地名は変化していくのだろうけど。

よくよく考えてみたら、神君家康公が駿府とよんで、愛でたもうた地に、なぜ、賎機という山が残ってしまったのか。

というのが、この何ヶ月、いや、何年かな、の疑問なのです。

なんて話を、このブログのコメンテーター、Toshさんとも、何度か話して。

たまたま、この間、彼のご家族、お嬢さんと奥様とわが妻と食事をしたときにね。

そんな話も出たんだろうね。

何日かして、お嬢さんが、お父さんの言ってること、あたってるかも。

と、本やらなにやら、見せてくれたらしく。

そのさまを、彼が、evernoteで、紹介してくれてね。

ふむふむ、と言いながら、なんだか、背筋がすーと涼やかになって。

おそろしさからでなく、うれしさから、ですが。

なにせ、このテーマに、こんなに真剣に向きあってくださった方は、いなかったからね。

それに、彼女、いつも、そんなにアクティブに、つばを飛ばして話す、というタイプでもないし。

そんなこんながないまぜになった、不思議な感懐なのでした。

そういうわけで、またぞろ、賎機旅情とでも申しましょうか。

賎機(しずはた)探索の旅に出かけられるというものです。

この賎機については、そのうち、じっくり、ブログに書きます、たぶん。

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