まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

葵使い

2011年06月17日 | Weblog

一本の電話から、恋のうまれるときもある。

なんて、歌、ありませんでしたっけ。

一杯のコーヒーからだったか。

どちらでもいいですが、懐かしい昭和の歌ですね。

と前フリで。

今回は、一本のメールから、というわけですが。

今晩、京都の上賀茂神社から、駿府への葵使いのために、客人があり。

紀尾井で食事します。

というものなんだね。

実のところ、夜は会合があって、ちょっと、無理っぽいかな。

と思ってはいたんだけど。

上賀茂と葵の二文字に、とても刺激されてしまい。

知らぬ間に、僕の車は浅間町へ向かっていたのでした。

葵使い、といっても、僕も付け焼刃なんだけど。

京都の、上賀茂神社の葵の葉を、徳川家康の住む駿府へ献上するために運んでくるのが、葵使い、というらしい。

なぜそんなことになったのか。

京都からの客人の話によると……。

時は元禄、ならぬ紀元前500年。

今から、ざっと、2500年も前の話になるね。

京都に、加茂族なる人々がおり。

そのなかのお姫様に、一本の針が天から降ってきた。

それを大事に、一晩暖めていると、翌日。

めでたく、なのか、なんというのか、御懐妊。

姫は、玉のごとき男の子を産む。

とはいえ、いつの時代も、リアルしか信じない人々はいるもので。

これは、いったい、誰の子なんだ。

と姫の父親はいぶかしみ、一族の者たちを見渡し。

この男の子が、この盃を渡したものが、父親だろう、というわけだ。

で、その子に盃をわたし、さあ、誰だ。

というと、盃とともに、多分、すさまじい雷鳴がなりひびいたんだろうけど。

男の子は、天に上ってしまったらしい。

雷とともに上っていったので、その子の名前は、別雷命(わけいかづちのみこと)と名づけられた。

上賀茂神社のご祭神です。

姫は嘆き悲しむ。

すると、天からの声が、天声人語じゃないけどね。

葵の葉を供えるならば、その子に会わせよう、と言ったんだそうだ。

って、とても、ながいブログになりそうなので、いったん、この辺できりますね。

なにせ、朝のお忙しい時間を割いて読んでくださる方々に、申し訳ないですから。

なので、to be continued です。

 

 

コメント (3)
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かけもち

2011年06月17日 | Weblog

お葬式のかけもちだった。

隣組のみっちゃんと同友会の方。

みっちゃんといっても、うちの母親と同世代で。

短歌の会などにも出ていたらしく。

 われも子も

 縁うすかりし 父の日よ

 グラジオラスの

 紫ひらく

という歌が、会場に飾られていた。

32歳のとき、ご主人をなくされ。

ご自分は小さな頃、父親も母親もなくされ、近所の親戚で育てられ。

彼女は、母親と瓜二つなんだそうで。

以前、少し書いたけど。

わが祖母が、おかあさんに会いたかったら、鏡をみてごらん。

と、なんともしゃれた、やさしい言葉をかけた。

というようなことを、彼女と幼馴染の、わが母親が言っていた。

息子さんが、最後の挨拶で、母親をほめてあげたいと思います、と涙ながらに言っていた。

お葬式というと、隣組の人たちが集まるのだけど。

9軒あって。

今の世にならい、高齢化が進んでいる。

なにせ、僕が下から2番目で。

この9軒の中には、80歳以上が6人いらっしゃって。

まがりなりにも、跡取りがいるのは、そのうちの3軒だけで。

30年たったら、どうなってしまうのか、と僕より3つ上の電気屋さんが心配していた。

 

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