さすが、古代マレー語の天国という意味の駿河。
春の訪れが早い、節分の朝。
やさしい風だ。
これだけで、今朝のブログはいいって感じだな。
ところで、who am I?、っての。
何かといえばご紹介することになるOSHOの言葉なんだけど。
そうだ、つい先日、本当の生は過ちを通り抜けていく、とかのフレーズ、アップしたんだった。
その文末に置いてある言葉がこれで。
本当の生の一番の土台はこの質問に対する答えだ、ってわけだ。
who am I?
というのも、この間、死んだ後どうなるんだろう、なんて問いがやってきて。
どんなタイミングだったかな、忘れたけど。
となると、そもそも、生そのものはなんだ、僕が生きているってのは、どういうこと?とね。
この、僕、って何?、なんて書いて来ると、ずっと昔の芥川賞だったか、三田誠広の書名みたいだな、「僕って何?」
はともかく。
その都度、リアルの何かに触発されて記憶をたぐり寄せ、僕ってこれ、みたいな具合。
リアルに限らず、妄想の上に妄想を重ねる、なんてのもありだけど。
だから、早い話が、僕、ってのは、過去でしかないんだよね。
当たり前のことを当たり前に語っているだけ、でもあるね。
だからなんだ、と言われても困っちゃうんだけど。
だから、生ってのは、新たな僕を獲得していくことなんだ、くらいの話かな。
リアルな、この世の生、ってのは。
早い話が、自由、ってことにもなるな。
そういえば、豊橋でのエネルギーワークの講師が、三歩歩くと忘れちゃう、なんておっしゃっていたけど。
あれ、とも言えるな。
僕を獲得、ってのは、日に新たに日々に新たにまた日に新たなり、という古代中国の。
湯王が洗面器に書いておいた言葉、ってのにも通じるか。
明日から始まる第一候、東風凍を解く(はるかぜこおりをとく)の季節は、脳内の凍りまで解いてくれるので。
今朝のブログは、自由闊達にして曖昧模糊、みたいな感じだな。
というわけで、そんな一日を獲得せむ、です。