まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

窓を開け放ちの珈琲ドリップ。

2021年02月02日 | Weblog

さすが、古代マレー語の天国という意味の駿河。

春の訪れが早い、節分の朝。

やさしい風だ。

これだけで、今朝のブログはいいって感じだな。

ところで、who am I?、っての。

何かといえばご紹介することになるOSHOの言葉なんだけど。

そうだ、つい先日、本当の生は過ちを通り抜けていく、とかのフレーズ、アップしたんだった。

その文末に置いてある言葉がこれで。

本当の生の一番の土台はこの質問に対する答えだ、ってわけだ。

who am I?

というのも、この間、死んだ後どうなるんだろう、なんて問いがやってきて。

どんなタイミングだったかな、忘れたけど。

となると、そもそも、生そのものはなんだ、僕が生きているってのは、どういうこと?とね。

この、僕、って何?、なんて書いて来ると、ずっと昔の芥川賞だったか、三田誠広の書名みたいだな、「僕って何?」

はともかく。

その都度、リアルの何かに触発されて記憶をたぐり寄せ、僕ってこれ、みたいな具合。

リアルに限らず、妄想の上に妄想を重ねる、なんてのもありだけど。

だから、早い話が、僕、ってのは、過去でしかないんだよね。

当たり前のことを当たり前に語っているだけ、でもあるね。

だからなんだ、と言われても困っちゃうんだけど。

だから、生ってのは、新たな僕を獲得していくことなんだ、くらいの話かな。

リアルな、この世の生、ってのは。

早い話が、自由、ってことにもなるな。

そういえば、豊橋でのエネルギーワークの講師が、三歩歩くと忘れちゃう、なんておっしゃっていたけど。

あれ、とも言えるな。

僕を獲得、ってのは、日に新たに日々に新たにまた日に新たなり、という古代中国の。

湯王が洗面器に書いておいた言葉、ってのにも通じるか。

明日から始まる第一候、東風凍を解く(はるかぜこおりをとく)の季節は、脳内の凍りまで解いてくれるので。

今朝のブログは、自由闊達にして曖昧模糊、みたいな感じだな。

というわけで、そんな一日を獲得せむ、です。

コメント
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