という具合に、三寒四温、なんて言葉、学校で習ったか。
一雨ごとに暖かくなる、なんてのも。
いつになるか、ずいぶん前か、神社オタクなんて自称していた頃。
忍野八海にある、忍草浅間神社(しもふさせんげんじんじゃ)横のにわか駐車場のおばちゃんが。
カッコーが鳴いたら豆を蒔け、だったかな、そんなこと、教えてくれたな。
嫁に来た頃、姑さんに言われたんだって。
ちょうど、裏手に小さな川が流れていて、そうか、ここへカッコーがね、なんて思ったものだ。
くだんの神社は、緑のエネルギーを感じたところで、気に入ってもいて。
なんてところでお聞きした言葉が、いまだに残っていて、暦、なんてのにも繋がり。
今日から第4候、土の脉潤い起こる(つちのしょううるおいおこる)となっている。
土がさまざまな命を育む準備を始める、だって。
なんかいいね。
わがプリウスの温度計は0度だったけれど。
雪解雨(ゆきげあめ)ともある。
これまた、わが邦、駿河では実感、体感としてはないけど、知的にはいい感じだよね。
クリスマスが塗り替え塗り替えされて現代の形になっている、なんて話にも通じる、暦。
あるいは、実感としての季節の巡りと知的なカレンダーとの。
なんて言うのか、合致みたいなの、ズレのない、一体感、なんてのね。
旧暦はいいね、なんて言いながらも、八ヶ岳倶楽部の柳生さんの御本では。
さらに、その前の暦、和暦というものがあった、なんての、書いてあったな。
それによると、一日の始まりが夕方だった、なんてね。
お祭りの前夜祭に残されているのかもな。
その中でいまだにわからないのが、こぞことし、と言うもので。
うろ覚えだけど、こぞは去年だよね、ことしは今年、なんだけど、たしか、来年もこぞと言うんだったかな。
この時の流れが理解できなくて、いや、たしかじゃないな、もう一度、読んでみるか。
と言うことで、冷たい朝の珈琲は、エチオピアからのモカ、ディンギネッシュ。
日本の次に、だったか、日本よりも、だったか古い王朝が続いていたという、かの地から届けられた。
そうだ、昨日、医療従事者を身内にもつ、ある御仁と、煩悶と言えばいいか、そんな内容の電話をした。
かの地では、今日から接種が始まるらしい。
who am i?と書いて、今朝のブログは閉じることにするか。