今日からの、七十二候の第二侯は、黄鶯睍睆(うぐいすなく)、と言うことのようで。
いかにも春です、だよね。
寒い山里で声美しく、と言うんだけど、若い未熟な青年のなく声はもっと後なのか。
あれは、なんとも微笑ましくて、がんばれ、若造、って感じだけどね。
2月8日は、母親と娘と、今は亡き、妹の旦那さんの誕生日だ。
三人に共通するのは、わがままだね、いや、頑固だね、だったか、そんなことを言って。
誕生日を祝ってもいたな。
母親の入所している施設が、クラスターだと報じられ、心配の電話もいただいたり。
だったんだけど、彼女は、陰性だそうで。
いずれにしても、コロナ以降、ほぼ、面接ができない状態なので。
今日の誕生日、と言うことで、誕生日カードでも持っていこうか、なんて考えているんだけどね。
昨日は、朝陽を浴び潮風とともに富士山に凝視められながら、走ったよ。
役者が揃ってるでしょ。
カラダ、重かったけれど、それにしても、もう一年だ。
走った後には、フォームロールでマッサージをするんだけど、なぜか、走り始めの頃の道。
浮かんでくるんだよね。
不思議だ。
わが記憶のピックアップ機能は、どうなっているのやら、ってとこだ。
にしても、マッサージやストレッチも覚えてきて、カラダとの対話は進化しているんだろう、と。
そこが楽しいんだよね。
知らなかったことを体感する、その瞬間の数々が。
そう、箱根の常勝大学、青学のコーチ、中野ジェームズさんと言うかたの漫画、読んでたら。
走るフォームね、それはそれぞれの人なりで、そこを無理に正統なのにしようとすると、カラダを傷める。
なんて箇所があり、なぜなら、正統でないフォームというのは。
その人の筋肉のくせ、こちらは伸び、あちらは縮み、みたいなね。
だから、そこを無視して、正統を追求すると、カラダを壊す、ってわけだ。
これ、何にでも言えるよね。
誰かの真似をするのは、例えば、古来からの賢人であったり、成功者であったり、はそれなりだけど。
人それぞれ、みんな違うわけで、組織も集団も会社も、ってことで。
そこを無理くり何事かの仕組みに当てはめる、ってのは、そりゃ、どこかに痛みがくるよ、って。
そこんとこ、テストになかなか出ないんだよね。
だいたい、最初に、心に痛みが来るんだろうな、心療内科の先生には見立てられない程度の痛み、ってやつ。
すると、たぶん、組織も心の痛みに浸潤され、って流れだな。
だから、心から楽しく、面白く、ってのが、今朝の結論だな。