まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

もういくつ寝るとお正月?

2020年12月22日 | Weblog

ってな時期だね。

あの、なんとも言えない、待ち遠しい感覚、どこへ行っちゃったか。

忘れたな。

なので、今年は、チャレンジで、そんな気分を一人演出してみるか。

そうだ、知り合いの花屋さんが、玄関に飾る松飾りだっけ、売り出していたな、あれ、いただこうか。

もちは、次男坊と娘とつくか、というか、捏ねる機会だけど。

おせちは妻と娘にお任せし、あと何かな、羽つきはいいか。

どんど焼きの先陣を切って、備長炭での焼き魚か。

とかね。

演じ手にして制作者、みたいな、しかも、観客か。

一人三役ということになるな。

と考えてくると、まんま、人生そのものだね。

この世の出来事は幻想、なんて解釈の仕方あるけど、そもそも、幻想、なんて言葉を使わざるを得ない。

そんな狭苦しさの中に閉じ込められていることでもあり。

とここまで書いてきて、ふと、尾崎豊の「卒業」の歌詞が頭の中に鳴り響いてきた。

言葉はとても便利でホモ・サピエンスの手にしたツールの中では、使い勝手がいいものなんだけど。

それが故に、ある時には障害の原因にもなり、なんだけど、その障害すら次なる道筋への里程標、なんてね。

すべてのものにはひび割れがある、しかし、そこから光を手に入れることができる。

と、オードリー・タンを気取ってみるか。

光といえば、人生の途中で光を失ったのが、かのベートーベンじゃなかったっけ。

その御仁の曲を、このところのプリウスライブで聴いている、というのはご紹介したけれど。

あら、こんなにいいんだ、なんて気分だよ。

世紀の学聖に向かっての、この感想は、失礼かもだけど、モーツアルトにしても。

天からの授かり物、って感じがするよ。

15 piano variations and fugue、ってのがよくて、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」だったか。

一つのテーマをあれやこれやと変奏する、って感じかな。

こんなのも作ってたんだ、ってわけだ。

風の時代、水瓶の時代、i knowの時代、ま、いろいろと知らないことに出会うんだよね。

そこが醍醐味。

その点が、次なる未知なる点と出会い、切り結び、知らない創造物が現れる、って算段だな。

まさに、天才性の発現だ。

というわけで、本日も天才の発揮をするか。

コメント
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