いきなりの今朝の表題ですね。
Twitterに、三島botなんてのがあって、そこに書かれていたんだった。
何を褒めていたのか忘れちゃいましたが。
なので、たまたま、本棚に、安吾の文庫本があったので、小文をパラパラと。
というのが、夕べのしばしの時間。
一言で言えば、知へのフラット感、とでも言えるか。
大したもんだよ、とか、大したことないよ、とかの中間に、「知」原理主義みたいなのでなく。
って感じかな。
この世のすべてが、フラット。
当たり前と言えば当たり前だけど、その昔、中学の美術の先生が入院した。
すると、同部屋の患者さん、先生様なのでなんでも知ってると、あれはどうだこれはどうだ。
の質問攻めに閉口した、なんて言ってたの、なぜか覚えているんだよね、ってのは、以前アップしたか。
全校集会の時に、座っている女子に向かって、しかも、マイクを使って、ズロースが見えてるぞ。
なんてこと、言っていたのも、記憶にある、そんな先生。
ズロースもそうだし、そんなこと、公衆の面前で宣える、ってのも、古き良き時代。
ってなもんだ。
いや、それが、良きなのか悪しきなのか、の判断はひとまず、脇に置いておくか。
師走のこの今、知が乱れ飛んでいる観、あるよな、コロナに関しての。
あるいは、アメリカの大統領選とかの。
水瓶座の時代、i knowというキーワードだそうだけど、そんなことも関係しているのか。
いずれにしても、直観、ってのを大事に、ということは間違いないな。
どこかから訪れる来訪者、メッセージ、ふと思い立つ、エゴから逃れた。
そんな直観ってのね。
もっとも、エゴだって、随分の難儀の後に手に入れた、ある種のツールでもあり。
それだって、大事なものではあるんだけど、過剰はどこかに病弊として現れちゃうからね。
過ぎたるは及ばざるが如し、ってわけだ。
というわけで、今日も走りますよ。