まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

土曜の午後はのんびりした。

2020年12月20日 | Weblog

大きな声では言えないけど、二日続きの呑み、だったので。

昨日は、そういうわけで、まったりゆっくりと時間を過ごした。

ちょうど届いた、北条民雄という人の「いのちの初夜」という小説を読んだ。

癩病に侵され、23歳でこの世を去った御仁の、隔離施設への入所日、そこでの。

物語。

まさに、初夜に、いのち、というものと向き合わされたわけだ。

川端康成が、あとがきを書いていた。

そのころは、遺伝病だとかの説が流布され、というのか、医学的に言われていたのか。

なので、家族とは関係を断ち、施設への入所となる。

その上、肉体を侵蝕する癩菌が、ある人には、目に、ある人には、顔に、カラダに「症状」としての。

崩壊が現れ、いわゆる「人間」としてのカタチでなくなっていく中で、残されたのは。

まるっぽの、いのちそのもの、ということになる。

何回かの自死への試みも失敗した挙句に、その、いのち、と向き合わざるを得なくなった。

そのことを書いた小説が、文学界の賞をとった。

将来を嘱望された文士が、23歳にして世をさったわけだ。

昭和の初め頃だったか。

何年か前に、紀州は熊野を訪れた時、彼の地は、癩病者も受け入れた、というのか、すべてを受け容れる。

そんなことを三石さんが話されていた。

今回のコロナにしても、その実態が明らかになりにくく、ただ、恐れだけが先行し。

陽性者へのさまざまな差別、区別、偏見などなど、を目にし耳にし、のなかで。

あの頃の癩病者への、同調圧力による迫害なんてのは、凄まじいものがあったんだろうな、という感想の中。

彼、北条民雄さんがいのちと向き合わざるを得ない、その心の中を、こちらは。

呑気に小説として味わった次第で。

迫害なんて言葉から連想するのは、中世の魔女狩りもそうだし、もっと言えば。

桃太郎伝説なんかの鬼、ってのも、おどろおどろしく語られ、「ジャックと豆の木」なんてのもそうだね。

戦い、なんてのはそもそも、そんな具合に出来上がるんだよね。

かつてのわが列島でも、鬼畜米英、なんて言葉、今の紳士然とした新聞紙上を踊ったんだろうし。

今でも、SNSに限らず、そこここでの、異論反論反目、早い話が、小さな大きな罵り合い。

なんてのは、その類だしね。

敵を作って我が身・集団の保全を図る、ってのは、わがホモ・サピエンスが手に入れた、利点でもあり。

最大の欠点でもあるのかも。

というような考えが浮上した日曜日の朝、珈琲はケニアのキアマバラ。

 

コメント
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