と言うのが、令和元年の忘年会、最後の言葉。
だったかな。
三次会になるか、そこでのセリフで。
来年はあれをする、これをする、と言うような話を長くしていた相方に。
表題。
言葉はたくさん費やせば費やすほど、エネルギーは費消され。
結果、オレ、何をするんだっけ、みたいなことになりがちで。
簡明、簡潔が一番、ってわけだ。
相方は、あれ、オレの話、聞いてない、って具合だったんだけど、そうです、聞いてません。
だったな。
わが社の忘年会、一切、口出しせず、と言う立ち位置でのイベントだった。
のだけれど、どうしても、口に出したくなってしまう、と言うのは、仕方ないね。
おもてなし、と言う観点での、と言うことなんだけど。
なんて言い出したらキリがないし、じゃ、お前がやれよ、って話にもなり、ってわけだ。
ことほどさように、仕事を任せる、ってのは、骨の折れる仕儀で。
とね。
そうだ、昨日は、ほぼ一日中、人口が増えていることで全国的にも名を馳せている。
長泉町の現場で、と言う日だった。
労働基準監督署の、臨検、と言うのがあるんだけど、その対応だった。
帰りがけ、微妙な時間があったので、沼津港近くの珈琲屋さんにひさびさに参上。
モカとチーズケーキをいただき、当日のお昼がわりにしたんだった。
写真、あげちゃおうかな。
ここで、気に入ったコーヒーカップがあって。
ピンクのね。
今度行ったら、これ、くれない?って言ってみようかな。
今朝の当方の珈琲は、グアテマラだったけど、淹れ方、マスターの、真似してみた。
見方によっては、大雑把に淹れる、んだけど、そりゃ、お客さんを待たせない、と言うのもありだろうし。
あるいは、もともと、珈琲なんてのは、そんな具合で味わうのかもしれないな。
教則本やあれこれに書かれた、かくかくしかじか風の淹れ方は、爛熟した文化、ならぬ。
てにをはに過剰にこだわりだす、と言う、つまり、幹を見ず、の枝葉だけの世界、かもしれないな。
なんてことを感じつつの、朝の一杯なのでした。
さて、今日は、今年最後の呑み会。
夕べ、忘年会をやっといてなんだけど、最後の、と言うのが、たしかに、最後ではあるけれど。
どうも、いつもの年と違ってるな。
あんまり、年の瀬感がないし、わりと多くの方の、そんな言葉を耳にする。
食べるものを作り出す、と言う世界から遠ざかっているので、季節が変わる、時が経過する、と言うのが。
どこか、他人事、リクツ、理論、誰かの考え、借り物、みたいになっちゃってるのかな。
そんなわけで、とにかく、そう言うことです。